本日のMy 俳句[ 行く年や時を背負ふて人の群れ ] | 俳句でDiary ─ できるかな?

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私の俳句 萌え萌え日記

今日は大晦日。街の賑やかさが一際きわだつ年の暮れ。私の子ども時代ほどの慌しい雰囲気は

 

ないけれど、新年を迎える前日は曇り空であっても空気の張り詰め方さえも違うような…。

 

今年ももう逝ってしまうんだなあ・・・。令和元年は二度と帰らない。容赦なく時は流れ、水のように

 

流れる時間は、過ぎた年月の重みだけを私たち一人一人の背中に降り積もらせていく───。

 

   

 

そうして、この一年だけではなく、これまでの過ぎてしまった年月を思うと、その重さにふと

 

戸惑うほどの思いさえあるのです。年の瀬の感傷かもしれませんが───

 

   

 

 

こんにちは、本日の季語は「行く年」(ゆくとし)・・・冬の季語です。私たちの耳にも聞きなれた言葉

ですよね。暮れてゆく年、また年末のことです。「大晦日」はジャストピンポイントで十二月三十一日

 

(つまり今日ね)ですが、「行く年」は特定の日を指すわけではありません。

 

もう少し時間的な幅があるというか・・・

 

 

一年を振り返るしみじみとした気持ちのこめられた季語でもあります。極めて主観的な感慨の

 

こもった季語ともいえるでしょう。一年の最後を惜しみ、振り返りたいような、そんな気持ちをこめた

 

季語でもあります。他には、「年逝く」(としゆく)、「年歩む」また「年流る」「年歩む」「年送る」など。

 

   

 

 

「年送る」なあんて、まさに古い年を送り出すようですね、さようならと手を振ってこの一年を送り

 

出すのです。新しい年がどんな顔をしてやって来るかはまだ分からないけれど、明るい年になれば

 

いいなあと祈りをこめながら───

 

 

   

 

 

”行く年来る年”とは・・・

 

 

”行く年来る年”は今日のように大晦日の様々なメディアでもまるで四文字熟語のように使われる

 

言葉ですが、国語辞典などにも「行く」の例文としてよくサンプル的に使われていますよね。

 

今年、そして来年を端的に表す言葉として・・・。



よく尋ねられるのは「行く年」はの季語で、「来る年」も季語になるのか?ということですが、

 

実はこの「来る年」も一応は季語なんですよね。ズバリ「新年」のサブ的な季語になるのです。


但し、実際には「来る年」ではなく「年来る」(としきたる)として使われていることが殆どではないで

しょうか? 「来る年」としては、コンパクトな歳時記には載っていない場合もあるしね。

ちなみに冬の季語ではなく、春夏秋冬とは別枠で新年の季語になります。



なので俳句的には「行く年来る年」としてセットにして使っちゃダメなんだよね。

 

季節が重なる季重なりは必ずしも全て悪いとはいえないのですが、季語としてのポピュラーさや

 

重要さ、また時間軸を考えると、両方一緒に使いたくはないなあ?

 

 (最近のアバンギャルドな俳句はどうか知りませんが)

 

 

大晦日といえば・・・

 

   

 

大晦日といえば「除夜の鐘」です。あの荘厳な響きは今年と来年を分かつケジメのようなもの。

 

私たちが一年の間に降り積もらせた百と八つの煩悩を落とすための神聖な儀式なんだよね。

 

   

 

 

除夜の鐘は、これまで何度も句に詠み、記事にしてきました。


※2015.12.31 除夜の鐘     ( ^ー゜)σ     除夜の鐘ただ背中で数へをり

 

※2016.12.31 除夜の鐘     ( ^ー゜)σ     天と地に響け吸はれよ除夜の鐘

 

この除夜の鐘を単なる騒音として止めさせようという動きには我慢が出来ません。

 

大声を上げる悪質なクレーマーはごくごく少数であり、殆どの日本人ならば(以下省略)

 

私にとっては、一年の終りの自分自身に問いかける音の響きでもあるんだよね。。。

 

※2017.12.31 除夜の鐘     ( ^ー゜)σ     まだ生きてよいかと問へば除夜の鐘
 

 

   
 

 

時間の流れは・・・

 

 

時の流れは目には見えませんし、ピリオドを打つことも出来ません。それは不可能です。

 

仮に地球上からニンゲンという種族が独り残らずいなくなっても時間の流れに関係はありません。

 

関係はないけれど、そこはそれ、ニンゲンとしては何処かでケジメや区切りつけたいものです。

 

 

そうした”時間”や年月の流れを可視化したものが時計であり、暦・カレンダーなのでしょうね。

 

   

 

 

いろんなパターンの区切りのつけ方がありますが、一年のけじめなら大晦日

 

そして大晦日のピリオドが除夜の鐘、私はそんな風に考えています。

 

目には見えないけれど、極めて貴重なものを形として表すためにも───


 

流れ行く年月

 

 

───流れ流れて行く時間が、最終的には何処に行くのか?

 

もちろん、そんなことは誰にも分かりません。そもそも質量でさえないしね。

 

けれども、着実に私たちに時間の流れは刻み込まれて行きます。

 

   

 

 

いや、人間だけではなく生あるすべてのものに対して同じように時間は流れて行く───

 

   

 

 

そうした歲月の重みをひしひしと感じるようになったのは、私の年齢のせいでしょうか(笑)

 

すべての人に流れる時間、この時間から私たちは逃げることは出来ません、生物の宿命として・・・

 

   

 

 

一年の終りは、単なる終りではなく、そうした歲月の重さを改めて感じる時期でもあります。

 

あーあ、今年ももう終りかあ、一年あっという間だったよねえ、などと呟きながら・・・。

 

今日の句はそんな思いで「行く年」として詠んでみました

 

 

この一年間ありがとうございました

 

 

さてさて、そうした貴重な時間が流れる中で、私のブログをお読み頂き本当にありがとうございます。

 

2013年にスタートして7年の年月が流れましたが、こうやって続けてこられたのも皆あなたのおかげ

 

です。心から嬉しく思い、本当に感謝致しております。

 

    

 

 

今日の記事は余り推敲も出来なかったけれど、やはり一年のけじめとしてアップしたかったの。

 

最後に、月並みな表現ですが、どうぞ佳いお年をお迎えくださいますようお祈りいたします。

 

   

 

 

───地には平和を。 よりよき明日が、よりよき新年がやってきますように!

 

※2018.12.31 短歌 ( ^ー゜)σ  ただ伏して鎮め給へと祈りをる見知らぬ明日の平安ならむと

 

それでは、今日は、じゃなくて(笑)今年はこれで・・・また来年、新年にお会いしましょう!

 

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