ファンタジーは私も好きです♪現実から遊離した面白さと夢がありますものね。それは過去
についても同じことでしょうか?近頃、李氏朝鮮時代の嘘を事実であるかのように錯覚させる
動きがあるのよね。日本の統治が無ければ、もっと早く素晴らしく近代化できたはずって(苦笑)
ふうーん、そっかぁ、だとすれば、李氏朝鮮時代の都 ソウルはさぞかし…と思ったら、えっ?
↑これって何処か辺鄙なド田舎(失礼!) …ではありません。これがソウルです。
19世紀の終わり頃で、1888年。日本の明治維新から20年後の時代ですね。
要は、写真技術が確立され写真が残る時代です。左上に見えるのは王城の門でしょうか。
上の写真と同時代の南大門・・・かな? 瓦葺の建物が多少はあるのでしょうか?
建物が低いのは儒教の教えである”礼節”の為です。つまりは、天子様より上に上がって
はいけないという・・・それに殆どの建築物が藁や茅葺の屋根なんだよね。
まあ、それはそれでエコ(?)ではありますが・・・。 そうして王侯貴族以外の庶民といえば
同時代の写真ですが、これは白黒写真に彩色が施されていますね。外国人が撮った写真だと
思われます。この当時は欧米の人々もこの地を訪れていますから・・・。
韓国に旅行された方は御存知でしょうが、↑こちらがソウルの南大門通りです。
いわば中心地・繁華街とも言うべきエリアですよね。 1880年代の写真です。
後でお話しますが、外国人による旅行記でも李氏朝鮮時代が語られています。
念のために言っておきますが、これはスラム・貧民街ではないごく普通の庶民の暮らしです。
衣類は基本的に白、というか喪の色ではなく染色したものは高価だったので庶民には買えない!
こうして地べたに座って商売するのも楽しそうですね♪ もちろん、屋根の在る商店もあるよ!
↑中心街の商店です。こうした屋根もなかなか趣があると思います。貧しそう? いやいや!
当時の人々には、これがごく普通の暮らしだったし、貧しさは罪じゃないしね。
韓国の文化が好き♪と仰る方もいらっしゃいますが、こうした暮らしもお好きなのよね!
それにこの人々は階級的には普通の人々であり、まだまだマシな方だったんじゃないかなあ?
だって・・・・
「白丁」(パクチョン)と呼ばれた奴隷階級の人々がいました。 奴隷社会でもあったのね・・・。
その人に罪はなくとも、その階級に生まれただけでモノ扱いを受けたのです。
日本統治時代になってこうした人々は解放されました!けれども、未だに韓国・朝鮮語には
相手をののしる言葉としてこの「白丁」という言葉が残っています。お目々をキラキラさせて
韓国の文化が好き♪と仰る方はこうした奴隷制度をどう思っておられるのかなあ?
─── さて、もう少しいきましょうか。 併合前のソウル全景です↓
日本人が余計なことをして、統治後にどう変化したかというと、比較し易いので上の写真に
対応するようなソウルの全景写真を…
商店が立ち並ぶ南大門通りは…
ありゃまあ、一気に近代化を! これは統治後の1936年写真です。
↓こちらは、ほぼ同時期、統治後の東大門近辺です。
全く別の街のようですね。 ここまでの都市建設にどこまでお金をつぎ込んだのやら・・・
ちなみにこちらはピョンヤンです。夜景ですね。煌々と電気に照らされています。
同じくピョンヤンですが、ちゃーんと市内電車も走ってるよ♪
こうしたエネルギーのためには電力が・・・水力発電所です。
この水豊ダムで朝鮮半島の電力をまかないました。
どれ程のお金をつぎ込んだのか、気が遠くなりそうです (クラクラ~~(ノ。-)
植民地には普通はこんなことはしませんよ!
李氏朝鮮時代の女性ファッションです。チマ・チョゴリの原型ですね♪
王族・貴族でない普通の女性です。胸を露わにするのがポイントのミセスたちなの~☆
全てのミセスがこうしてお乳を出していたのではありません。
ファッションとしてお乳が出せるのは資格が必要なのですもの! それはね、お嫁にいった女性が
ちゃーんと、その家の跡取りである男児を産みました!という証しなんですよ。なので、男児を
出産できなかった女性はお乳を出すことが許されず、肩身の狭い思いをしたの・・・
だから彼女たちは恥ずかしがらずに、堂々とお乳を出しているでしょ?
”嫁”としての役割を果たしたという証しであり誇りとなっているのですもの!
封建的? それは致し方ないのかも・・・儒教絶対社会ではそれが嫁の務めだからね・・・。
韓国の文化が好き♪と仰る方なら当然こうしたファッションもお好きでしょうね。
彼女たちにとっては誇りなんだよ? 嫁として立派に跡継ぎ(男児)を産んだ証し♪
これだって立派な文化・伝統のひとつなんだよねえ? 別に悪くはないよね~。
立派な服飾文化だもんね~♪ なのに無粋な日本が禁止しちゃったあ~!
その他、李氏朝鮮時代にはグロテスクでおぞましい風俗習慣が多数
ありましたが、それは今日は書きません。ちょっと世界に類を見ないほど(以下省略)
でも、お目々を輝かせて、韓国の文化が好き♪と仰る方々は、そういった風習にも
理解があるかもしれません。他者を蔑み痛めつけ虐待するのも”文化” とお考えならば・・・
英国人女性旅行家であるイザベラ・バード(1831~1904)を御存知でしょうか。
ヴィクトリアン・レディ・トラベラーとして世界中を旅して紀行文を著した女性です。
明治11年に来日、通訳一人をお供にして東京を起点に日光から新潟、日本海側から北海道
までの北日本を、そして神戸・京都・伊勢・大阪などを訪問し、明治13年にその紀行文である
『Unbeaten Tracks in Japan』を発表しました。邦題は幾つか ↓
最先端文明国である英国人から見た日本がどのように見えたか非常に興味深く描かれて
いますが、今日のテーマではないので詳細は省きますが、読んで御先祖様たちを大いに
誇りに思った!とだけ記しておきましょうかね。日本はいい国だなあ♪とね。
私はそれから奥地や蝦夷を1200マイルに渡って旅をしたが、まったく安全でしかも心配も
なかった。世界中で日本ほど婦人が危険にも無作法な目にもあわず、まったく安全に旅行
できる国はないと信じている。 ~イザベラ・バード"Unbeaten Tracks in Japan"
”日本は治安が良い”と言われている通りですね。だって、江戸時代、普通の庶民が柄杓ひとつ
持って伊勢参りの無銭旅行ができたというだけで、どんな国か想像がつくでしょうが(爆笑)
バード女史は清国にも旅行していますが、初めて朝鮮半島を訪れたのは併合前の1894年。
彼女の眼に、王城の地・ソウル(京城)がどのように映ったかといえば・・・かいつまむと
貨幣制度が(ほとんど)ない。ソウルは世界有数の汚く悪臭のする都市であり、一般民衆の
住む場所は藁葺きのあばら屋で、通りからは泥壁にしか見えないし、道はとにかく悪い。
都会であり首都であるにしては、そのお粗末さは形容しがたい。礼節上二階建ての家は
建てられず、したがって住民は主に迷路のような道の地べたで暮らしている。
~イザベラ・バード・抜粋
まあ、この辺のところはね・・・上に掲げた写真でもう想像はつくと思いますけれども!
清国に旅して、その不潔さに驚いた様ですがソウルは更にその上をいく不潔さ…
道幅は狭く、家々から出た糞尿の汚物を受ける穴か溝でさらに狭められている
ソウルの景色のひとつは小川と言うか下水と言うか水路。
排泄物や塵の間を悪臭を漂わせながら流れていく。そうした水で洗濯をする女性たち
これも貧しい未開の地ではありがちな事でね。あと、街や周囲の山に緑が殆ど無いと。
しかし、何よりも驚いたのはコレです ↓ 抜粋で…
ソウルには芸術品がまったくなく、公園もなければ見るべき催し物も劇場もない。
他の都会ならある魅力がソウルにはことごとく欠けている。古い都ではあるものの、
旧跡も図書館も文献もなく、宗教にはおよそ無関心 なので
寺院もない、結果として清国や日本のどんなみすぼらしい町にでもある、堂々とした
宗教建築物の与える迫力がここにはない。
そう、李氏朝鮮の儒教社会に於いては仏教は迫害を受けたのですよねー。
新羅や高麗時代には盛んであった仏教寺院・仏像などは破壊されてしまい残っていないのです。
そんな時代に交易で朝鮮半島に渡った日本人たちが惨状を見かねて仏像を持ち帰ったのね。
対馬の盗まれた仏像も(たぶん)そうした時代のものらしいのですが…それを今になって
「日本人が略奪した!」ことにする韓国の人々…仏罰が当たるのでは?と心配だわ!
まっ、まさか、昨今の韓国の窮状はこうした神仏の祟りだったりして…??
宗教心の在り様が日本人とは全く異なることを私たちはもっと知るべきです。
─── だから、平気で日本の神社仏閣を、傷つけたり、放(以下省略)
しかし、韓国の文化が好き♪と仰る方は何をもって”文化”と呼んでおられるのでしょうか?
テレビドラマに描かれた李氏朝鮮の姿はまさしく、「こうであったらいいのに!」という 妄想
ファンタジーもしくは夢物語なんですけどねー。すみませんねえ、アナタの夢をこわして(爆笑)
現代の韓国社会ではこうした李氏朝鮮時代の真実は教えられていないのね。
李氏朝鮮時代のソウルは素晴らしい都で、こんな風だと本気で信じ込んでいるみたいよ ↓
日本さえいなければ、李氏朝鮮はもっと早く近代化し発展したとまで教え込んでいるようで
それを聞いた アホな お人好しの日本人が真に受けるという事があるので敢えて今日は、ね。
それでは、夢を壊しついでに、今度は李氏朝鮮の身分制度について…
この辺を読むと、現代の韓国と余り変わらないような気もしますが・・・
李氏朝鮮の身分社会では階級は良民(両班・中人・常人)と賤民(奴婢・白丁)に大きく分けられ
一握りの支配階級が両班(リャンパン)と呼ばれた貴族階級の人々ですが…
両班は究極に無能であり、その従者たちは金を払わず住民を脅して鶏や卵を奪っている
彼らは公認の吸血鬼であり、ソウルには「盗む側」と「盗まれる側」の二つの身分しかない
公認の吸血鬼! 身分制度がシビアであったヴィクトリア朝に生きたバード女史をしてそこまで
言わしめたのはスゴイですよねー。また官僚については…
・日本の発展に興味を持つ者も少数はいたものの、多くの者は搾取や不正利得ができなくなる
という私利私欲のために改革に反対していた。堕落しきった朝鮮の
官僚制度の浄化に日本は着手したが、それは困難きわまりなかった。
いやいや、実は日本が一番手こずったのは彼らの衛生観念の無さではなかったでしょうか?
1930年代に入っても、彼らが糞便を垂れ流す事は完全に改善されませんでした。
無理もない事なのかも?急激な与えられた近代化により、医療や生活水準は高まっても
これは長年の習慣ですからね。
1920年代には人口が増加し郊外地域が産業化されたので、悪臭と不衛生な糞尿問題につき
朝鮮に居住している外国人たちが問題視していました。そこで、朝鮮総督府は…
「居住用建物敷地内にお手洗いを設置するように」と指示しましたが、改善はされず!
”居住施設内にトイレ”か… でもね、現代の韓国でもこんな風だし。
【画像引用:http://blogs.yahoo.co.jp/illuminann/14420431.html】
日本人には理解不能かな・・・これ、現代の韓国ですよ。いわば韓国名物かも?
別に珍しいケースでも無いそうですが、こちらも↓ 洗剤にハングルが見えるでしょ。
【画像引用:http://blogs.yahoo.co.jp/illuminann/14420431.html】
感覚が違うんでしょうね。お国柄というか、民族性というか。それを否定してはダメですが。
韓国の文化が好き♪と仰る方はこういう習慣もお好きかな?
排泄行為に対する愛着が(以下省略)おっと、いけない。
うかつなことを言うと「ヘイトスピーチだ!」とお叱りを受けるかもね(爆笑)
話を元に戻します。その後、朝鮮総督府は居住用のトイレだけではなく、ソウル中心の商業地区
の衛生管理を推進。そうして、1932年には1535戸の商店にトイレがないのを調査・確認し、
1カ月以内に設置するよう指示し、無設置の商店735戸に厳罰を与えるという最後通告を
出し、ようやく全ての商店にトイレが設置されたのです。まさにトイレとの闘いです(爆笑)
(だけど、垂れ流すのが好きな民族にとっては大きなお世話だったのかもしれませんね)
「なめんなよ!」という言葉のアヤではありません。王朝時代には嘗糞(人間の糞便を舐め、
その味の苦さ&甘さで体調を判断する習慣)がありました。6年以上、父母の糞便を舐め続け
看病し、病気を治した孝行息子の記録も有るくらいですからね。つまり、良い事だったの。
さすがに不潔・不衛生ということで日本が併合した時に禁止しましたけれど…
韓国の文化が好き♪と仰る方は(以下省略)
さて、それではイザベラ・バードだけでなく他の外国人が見た李氏朝鮮の姿などを・・・
李氏朝鮮の残酷な死刑や拷問に対し、こんな状況がまだこの地球の片隅に残されている
のは、人間存在への挑戦である。とりわけ、私たちキリスト教徒がさらに恥じるべきは異教徒の
日本人が半島を手中にすれば真っ先にこのような拷問を廃止するだろうという事だ
「悲劇の韓国」
はい、その通りです。李氏朝鮮時代の残虐な拷問や死刑方法は禁止しました。
拷問方法は宗主国サマであった偉大なる大中華帝国サマと似てるでしょうか?その残虐さでね。
ただ、大中華帝国サマほど洗練(?)はされていないか・・・ですね。具体的には書かない。
死刑方法も文化ですが韓国の文化が好き♪な方でしたら(以下省略)
支配階級である両班の横暴と残虐ぶりは、まるで中世さながらだったのではないでしょうか?
目の当たりにした多くの外国人たちはショックを受けたようですね・・・
半島の両班は、まるで支配者か、暴君のごとくふるまっている。両班は、金がなくなると、
使者を送って商人や農民を捕えさせる。その者が手際よく金を出せば釈放されるが
出さない場合は、両班の家に連行され投獄され、食物も与えられず、両班が要求する額を
支払うまでムチ打たれる。
そうして、盗んだものであっても、借用したと称し返さず、貧しい農民から田畑を買っても支払わずに
済ませてしまいますが、それを阻止する者・監督する者は誰もいない、と。両班は支配階級ですが
上の人間が徹底的に下の人間を痛めつけ虐待する
のが通常運転だったみたい。韓国の文化が好き♪と公言される方は(以下省略)
ただねえ、厄介なことには昨今では・・・こうした両班のやった事をそっくりそのまま
日本人がした!と教え込んでいるようなのね。信じちゃダメ!
フランス人の宣教師、シャルル・ダレは統合前の朝鮮王朝について「韓国事情」でこう語ります。
1871 年から、1872年にかけて、驚くべき飢餓が半島を襲い、国土は荒廃した。余りの酷さに、
西海岸の人々の中には、娘を中国人の密航業者に1人当たり米1升で売る者もいた。
北方の国境の森林を越えて遼東半島にたどり着いた何人かの韓国人は、惨たらしい国状を
絵に描いて宣教師達に示し、「どこの道にも死体が転がっている」と訴えた。しかし、そんな
時でさえ、半島国王は、中国や日本からの食料買入れを許すよりも、むしろ国民の半数が
死んでいくのを放置しておく道を選んだ。 「韓国事情」
─── 前近代国家に於いては、こうした飢饉はありがちですが・・・。
ただ、”国家のため!”という発想の乏しい民族であるのは確かみたいね。
権力=私利私欲を満たす! なの??
この件に関しては、何も昔のことを引き合いに出すまでも無いでしょうよ。
戦後の韓国(大韓民国)の歴代大統領の末路を思い返せば宜しい。クネちゃま含めて11人の
大統領たち、退任後・・・
【画像引用:なぜ韓国の大統領は、いつも悲惨な末路を迎えるのか?http://www.mag2.com/】
うーむ。残りの方々も無傷ではなく親族が賄賂や収賄で何人も罰せられています。
さあ、クネちゃま、どうなる?
文字数オーバーです。
”次回に続く”でお許し下さいね。次回は日本統治時代のことをもう少しと、多分あなたが
疑問に思っている【これ程に近代化に尽くしたのに何故恨むのか?】という点を少々。
それでは今日はこの辺で…