本日の My 短歌 [ 忘れまじ我らが父祖の血と涙この地に滲み平和祈りをる ] | 俳句でDiary ─ できるかな?

俳句でDiary ─ できるかな?

私の俳句 萌え萌え日記

前から不思議に思っていたのですが、我が国の絶対的な悲劇・悲しみの日というのは何故こうも

晴天の日が多いのでしょうか。八月の六日、九日そして十五日と───。 私の記憶に残る限り

毎年よく晴れて暑い日でした。そうして、せかすように蝉が鳴きしきるばかりです。

キャンドル



─── 昭和二十年八月十五日 、時刻は正午

朝から、様々なメディアが報じているので、この日が何の日であったか言うまでもないのですが

長い長い長い、果てしなく長く続いて大いなる犠牲を生んだ戦争の終った日。

連合国側のポツダム宣言を受諾し、昭和天皇がラジオを通じて終戦/敗戦を国民に伝えました。


日本の降伏
【引用: http://www.history.com/ quit:単純に"stop"と同じ意味もあり、また"手放す"、"立ち去る"という意味も・・・】


===*===*===*===*===*===*===*===*===*===*===*===*===*===*===*===*===*==


戦勝国にとっては、「終わった、万歳!」と歓喜の声で迎えられた日ではあったでしょうが・・

peace!
【画像引用:http://www.monumentsmen.com】


ニッポン、降伏す
【Japan surrenders →ニッポン、降伏す 画像引用:http://history.journalism.ku.edu/】


810newyork
【1945・8・10 ニューヨクにて 画像引用:http://www.japantimes.co.jp/】


ニューヨークタイムズ    重慶市の新聞
【左:ニューヨークタイムズ 右:中華民国重慶市の新聞】


===*===*===*===*===*===*===*===*===*===*===*===*===*===*===*===*===*==



何事もそうですが、始めるのは簡単だけど、実は一番難しいのは終わらせるときです。

どのような終わり方をするのか、始めた時にはなかなか考えられないんだよね。追い詰められた

あげく、輝かしい勝利を夢見て(本当に”夢”見ていたのか?)スタートさせたものの・・

1945815重慶市の日本人
【画像引用:The Central Daily News in Chongqing 中国・重慶市在住の日本人】



こうべ垂れ地に額づけば敗戦忌      灰色の猫


広島と長崎への原爆投下、都市部への焼夷弾による無差別絨毯爆撃により焦土と化した国土

東京消失地図
【東京都・昭和20年8月時点での焼失区域・グレイの部分完全焼失 昭和28年発行資料より】



戦争が終わった・・・ただ、それだけではありません。新たに苦しみもスタートしたのです。

第三者的な国家の仲介もなく(だって、あのソ連に期待してたんだよ?!)ポツダム宣言を受諾

しての無条件降伏。それは海外在留邦人の日本への引き揚げの苦しみが、この日から新たに始

まったことでもありました。

引き揚げ
【画像引用: 『在留邦人引き揚げの記録』 より /中国の葫蘆(コロ)島からの引揚げ者】



作家の宮尾登美子氏は、戦前に御主人の勤務先である旧満州に渡り、終戦と共に引き上げて来ら

れました。氏の作家を志望したきっかけは、この満州からの引き揚げ体験を我が子に残しておき

たいということだったそうです。 氏の満州時代~収容所~引き揚げを綴った作品が ↓


 ←帯の文言が切ない。新潮文庫/『朱夏』/宮尾登美子

宮尾氏の作品の中では、地味であり映画化されてはいないので忘れられがちではありますが、

当時の満州に渡った日本人たちの生活ぶりや、収容所での暮らしがリアルに描かれています。


宮尾氏は、当時かなりの物を略奪されはしましたが、反面かばってくれる中国人もいて、運よく

家族みな無事に引き揚げ船に乗れましたが、それまでに数多くの人々が飢えや寒さで死亡・・・

小さな引揚者
【画像引用: 『在留邦人引き揚げの記録』 より昭和21年奉天 母の遺骨を抱く断髪の少女】


そうして、命からがらの逃走の果てに引き揚げ船に乗れたものの、日本上陸を目前にしてお亡く

なりになった方々も・・・母を亡くした、小さな女の子の泣き顔が忘れられません(号泣)

船中の死
【画像引用: 『在留邦人引き揚げの記録』 より/樺太からの引揚者 引き揚げ船が舞鶴港に着いた日に・・・】



私たち日本人にとっては、八月十五日は死者の戻るお盆であり鎮魂の日です。

正午には、すべての戦争犠牲者の鎮魂のために、直立して黙祷を捧げましょう、合掌。


        ペタしてね

___________________________________
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

<おまけ> 八月十四日に発表された首相談話の件その他


海外の掲示板、特に中国の掲示板で日本に対して、必ずトピックスとして定期的に掲げられる

テーマが2つあります。1つは、明治維新。列強の植民地になることなく独立国として欧米と肩を

並べられるようになったのは何故か?ということ。  (この件に関してはいずれ記事にしてみたいな)

明治維新
【画像引用:http://manapedia.jp/】



そして、もう1つがこの敗戦です。原爆を投下され、国土を焦土とされ海外の植民地はすべて

手放した日本が、何故中国以上に復興し経済的な発展を遂げられたか? ということです。

答えは1つだけではなく、幾つもの要因が重なっていると思うのですけれど・・・?


なぜ、こんな話をしたかといえば───


昨日、安倍首相の戦後70年談話が発表されました。その全文を読んで、アレ?と思ったのです

だって、その中に上記の疑問に対してヒント(?)となるような事が書かれていましたから

首相の談話は報道もされ、沢山の方々がブログで取り上げておられましたけれど・・・


※ぴぴのブログ    ( ^ー゜)σ     安倍首相の戦後70年談話全文


この談話、非常によく出来ていると思いました。かねてより、キーワードと目されていた単語を

きちんと入れた上で、敢えて断ち切り未来を見据えた文言となっているからです。そうして、

周辺諸国や連合国側へもかなり配慮した上で、バランスよく書かれていると感じました。



そうして、中でも未来志向のこの一文を高く評価する方も・・・

※ウォームハート葬儀屋ナベちゃんの徒然草  ( ^ー゜)σ     【本日のおまけ】 談  話



「 あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の

  世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない 」



*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-


逆に考えれば分かりやすいのですが・・・仮に、原爆を落とし空爆を続けたアメリカや連合国に

対して、我が国が恨み辛みをいつまでも・いつまでも・いつまでも叫んでいたでしょうか?

もちろん、事実は事実として悲劇の記憶は決して忘れてはなりません。


けれども、それだけでは駄目なんですよね。恨んでばかりにエネルギーを使うのではなく

明日を信じて、たゆまぬ努力を続けて来たからこそ現在があるのではないかしら?

マッカーサー
【画像引用:http://showa.mainichi.jp/news/バターン号のタラップを下りるマッカーサー元帥 】

(↑ 1945年8月30日、占領軍の代表として厚木空港にコーンパイプをくわえ悠然と降り立ったマッカーサー、
内心は日本人からの報復テロにおびえていたことを御存知?だって、あのカミカゼ・アタックの日本人だよw )



それよりも未来を見据えた上で、敗戦国としての責任を果たし(お金の支援という形等で)

贖罪を続けてきました。しかし、そのことをわざと国民には告げていない国家もあります。

非常に残念ながら、それは国家としての求心力の弱さの証明になりますね。

悪いのは・・・
【画像引用:http://best-ecards-blog.tumblr.com/】



悪役を作り「悪いのはアイツだ!」と叫ぶことによって、国家・国民をまとめていく方法です。

分かりやすいのですが、為政者としては怠慢であり、短期的には効果があるけれど、長期的に見

て賢明な策とは言えないよね。結果としては自国の首を絞めることにもなりかねません。


まあ、その件について触れると、今日の記事の本筋からは離れそうなのでもう止めましょう。



声高に恨みつらみの声あげて他国ののしる為政者あはれ      灰色の猫 

               

随分と長くなってしまいましたが、最後までお読み頂きありがとうございました。

それでは、今日はこの辺で・・・またね。



        ペタしてね

↑『14歳〈フォーティーン〉満州開拓村からの帰還 』/集英社

作家の澤地久枝氏が、自らの少女時代の満州体験を語ったものです。敗戦時、14歳だった氏が

満州・吉林での難民生活を弟さんのお孫さんに語りたいと執筆されたもの。本当はもう「語りたく

はない」辛く苦しい日々を 若い世代に語り残したいと執筆された良書です。