注:8話目です。1話から順にお読みくださいm(__)m
ジヨンから何度も電話がかかって来ていることには気が付いていた。
だけど、今は説教も小言も、慰めさえも聞きたくなくて、何度目かの着信があった時、スンリは遂に、スマートフォンの電源を切ってしまった。
「あれ?スンリじゃん」
スンリが一人で強めの酒をあおっていると、そんな風に声をかけられた。
「久しぶり。珍しいじゃん」
前はよく、クラブで顔を合わせていた遊び仲間だ。見知らぬ女の子も何人か一緒にいる。何処かで飲んでいて意気投合したのか、ナンパして来たのかもしれない。全員、既に大分酔いが回っているように見えた。
「わぁー、BIGBANGスンリだ♪隣、座ってもいいですかぁ~」
「好きにすれば」
スンリは素っ気なく応えたが、女の子は気にする様子もなく、嬉しそうにスンリの隣に腰掛けた。甘い香りが、鼻腔を擽る。香水の香りだろうか。
「ねぇ、何飲んでるの?私も同じのが欲しいなぁ」
女の子は、甘い声で言って、スンリに身体を寄せて来る。
可愛い子だ。美人だし、スタイルもいい。
(もう2度と、ミオが俺のことを思い出してくれないのなら、他に目を向けた方がいいのかな?)
そうすれば、この胸の痛みは消えるだろうか?
身体だけの関係で欲望を満たせば、美緒を忘れてあげることが出来るだろうか?
スンリは、あからさまに自分を誘って来る女の子を見て、その子と一夜を共にすることを想像した。
嫌いなタイプではない。以前なら、恋愛の対象として見ていた気がする。けれど今は、一欠片のときめきも欲望も沸いて来なかった。
スンリは、溜め息を吐いて、席を立った。
「ごめん。俺、そろそろ帰るよ」
「あ、スンリ!」
女の子が、名残惜しそうにスンリを見ていたけれど、スンリは後ろ髪を引かれることもなく、店を後にした。
午前0時。
誰もいないはずの家に帰宅したスンリは、扉を開けて驚いた。
玄関に、あるはずのない女物の靴が置かれている。
見覚えがある。立ち仕事の美緒が履きやすいようにと、スンリが贈ったスニーカーだ。
(まさか…)
スンリは慌てて靴を脱ぎ捨てて、部屋の中に走った。
「あっ…」
ソファーに座っていた美緒が、飛び込んで来たスンリを見て、驚いて顔を上げる。
「ミオ…」
スンリは、自分の見ているものが信じられなかった。あんなに酷いことをしてしまったのに、どうして美緒がここいるのだろう。飲みすぎて、都合のいい夢でも見ているのだろうか。
「あの…、ごめんなさい。迷惑…だったよね?」
美緒がそう言って、悲しそうに俯く。
「そ、そんなことないよ!」
スンリは慌てて、美緒がいるソファーに駆け寄った。
「ジ、ジヨンに連れて来てもらったの…。スンリに電話してくれるって言ってたのに、帰って来ないから…」
「あっ…」
スンリは、ジヨンから何度も何度も電話がかかって来ていたことを思い出す。叱られるのだと思って、無視してしまった。こんなことだと知っていたら、すぐに駆け付けたのに。
「ごめん…。電源を切ってて…その…」
「お酒、飲んでたの?」
「う、うん…」
美緒の質問に、スンリは歯切れ悪く応えた。何かがあった訳ではないが、何となく、後ろめたい。
「女の子も、一緒だった?」
「…………!」
美緒の言葉に、スンリは驚いて目を見開いた。
「私が、スンリのことを忘れちゃったから…、思い出せないから…、もう、嫌になっちゃったのかな?…私、このまま、スンリと出会ったことを忘れてしまった方がいいの?」
「あ…」
スンリは青ざめて、美緒の前に膝をついた。恐ろしさで、身体がガクガク震えている。
「ごめん…、ミオ、ごめん…」
「……………」
「忘れようと思ったんだ。お酒を飲んで、他の女の子に目を向ければ、忘れられるんじゃないかって…」
忘れてあげられれば良かったのかもしれない。そうすれば、これ以上、美緒を苦しめなくてもすむのかも。
「だけど、無理だった…。俺にはミオしかいないんだって、わかっただけだった…。ごめん、ミオ…、忘れてあげられなくて、ごめんね」
スンリは、何度も何度も謝りながら、すがるように美緒の手を握った。
「そう…」
美緒は、小さな声で頷いて、スンリの手に、そっと手を重ねてくれた。
「良かった…」
「ミオ?」
スンリはその時、漸く気が付いた。自分の手だけではなく、美緒の手も、震えている。
「もう、帰って来ないかと思った…」
「ミオ…」
どうして、美緒はそんなことを言うんだろう。そもそも美緒は、どうしてここに?
最初に抱いた疑問が、再び沸いて来る。だけど、どうやって確かめればいいのかわからずにいると、美緒の方から、口を開いてくれた。
「私ね…。確かめる為に来たの」
「確かめる?」
「スンリの…キス」
「…………!」
「何だか…、知っている気がして…」
美緒の言葉に、スンリははっとした。
「何か思い出したの!?」
「ご、ごめんなさい…」
スンリが声を弾ませてしまったので、美緒は、申し訳なさそうに言った。
「まだ、何も…、ただ…」
「ただ?」
「もう一度…確かめたくて…」
確かめる?何を?
スンリは、美緒の言葉が何を意味するのか、必死で考えた。だけど、一人で考えても、スンリの脳は、自分の都合のいい考えしか産み出さない。冷静にならないと、また同じ失敗を繰り返してしまいそうだ。
だから、スンリは、美緒に言った。
「ミオ、ダメだよ。誘われてるように聞こえちゃう」
美緒は、真っ赤になって俯いた。押し倒して泣かせてしまった直後だから、きっと怖がられているだろう。スンリは、そう思っていた。
だが、不意に、美緒が、スンリの手の上にそっと添えていた手をぎゅっと強く握った。
「ミオ…?」
下から見上げて、美緒の表情を覗き込む。美緒は、少し潤んだ瞳で、不安そうに、でも、しっかりと、スンリを見つめていた。
(まさか、本当に…、誘ってる?)
そんな訳がない。美緒にとって自分は、まだ、「よく知らない男」のはずだ。美緒は「よく知らない男」と簡単に関係を持てるような女の子じゃない。
だけど、例え覚えていなくても、スンリは美緒の「恋人」だから、美緒が、その恋の記憶を取り戻す為に、勇気を振り絞ってくれたのだとしたら。
スンリは、美緒の瞳を見つめながら、美緒の頬に、ゆっくりと手を伸ばした。
逃げられることも覚悟していたが、スンリの手が、頬に触れても、美緒は、逃げ出そうとはしなかった。
「ミオ」
スンリは腰を上げ、もう片方の手も美緒の頬に添えると、少しずつ、美緒の顔に、自分の顔を近付けていった。
至近距離で、じっと見つめていると、恥ずかしく思ったのか、美緒は、視線をそらしてしまった。
「スンリ、お酒臭い」
「あ!ご、ごめん!」
スンリは慌てて、美緒から少し離れた。
今日は少し飲みすぎた。酒に弱い美緒にとっては、不快な香りだったかもしれない。
「…………嫌?」
スンリが尋ねると、美緒は首を横に振って、スンリの腕をぎゅっと掴んだ。
「香水の香りがしたら、嫌だったかも」
美緒の言葉に、少しドキッとする。まさか、誘惑してきた女の子の香りが、身体に移ってはいないだろうか?
美緒がこんなにも勇気を出してくれたのに、一瞬でも不義になることを考えた自分が憎らしい。
「何もなかったから!俺、本当に、ミオだけだから!」
スンリが心からそう訴えると、美緒は、スンリの胸に頭をつけて、優しい声で、こう言ってくれた。
「うん。信じるよ」
「ミオ……、ミオ!」
スンリは嬉しくなって、美緒の身体を強く抱き締めた。美緒の身体は一瞬だけびくんと震えたが、逃げ出そうとすることはなく、美緒もスンリの背中に、そっと腕を回してくれた。
「あ、あの…」
やがて、スンリの腕の中で、美緒が、小さな声で言った。
「私も…、誰にでも、許す訳じゃないから」
「ミオ…」
スンリには、スンリにだけは、許してくれる。
そう受け取っても、いいのだろうか?
スンリは、再び、美緒の頬に手を添えて、美緒の瞳を見つめながら言った。
「わかってるよ。ミオ、愛してる。サランヘ」
二人の国の言葉で愛を囁いて、少しずつ、顔を近付ける。美緒は、視線をそらすのではなく、今度はゆっくり目を閉じた。
スンリも、同じように目を閉じて、美緒の柔らかい唇に、そっと唇を重ねた。
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