※ これは三国志14PKのプレイ日記です
後漢末の中国にタイムスリップした女子高生6名は、群雄割拠する194年、広陵にて旗揚げ。
わずか2年で劉備・呂布を倒し、197年6月、偽称皇帝・袁術を滅ぼすべく兵を挙げる。苦戦の末、約1年を経てようやく寿春を制圧。汝南、許昌をうかがう。
都市数:4
武将数:45
兵数:5.1万
●198年6月
孫策3.7万か。兵力的にはこちらが勝ってるけど、だいぶと奥まで行かないと滅ぼせないので、途中で武将が枯渇して難儀しそう。
蜂蜜皇帝2.7万。2都市落として武将が34人入るから、やっぱここ滅ぼすのが最優先には変わりなし。
曹操7万か。確かにこれくらいの兵力差なら対応できる。無茶なように見えた前回の出兵も、終わってみればそんな無茶じゃなかったように見えて不思議。
占領率上がってきた。
●198年7月
相変わらずお金はきついが、何人か官職振っておこう。高慢持ちの葉月にはだいぶ前に官職授与済み。
●198年9月
この前の寿春攻略戦で出陣した部隊がこれでようやく全て帰還。5か月もかかったわ。この広陵と寿春の兵で汝南行きたいと思います。
●198年11月
汝南は施設がほぼ建てられないんで、タワーラッシュが無理。なので、中途半端な兵力で府を取りに行って敵が出てきたら、ただのガチ対決になって、何もメリットがない。なので、最初から大兵力を投入することにしました。こんだけ兵もってけば、城から出てこないはず。
まずは安豊ゲット。
そして鞠那を入れる。
続いて戈陽。
●198年12月
予想通り、敵が出てこないので、更に兵を投入。更に府を取るで~
上原久々の出陣。実はこれまで弓櫓の建設・撤去とか、結構裏方作業が多くて前面に出てきませんでした。
曹操軍がいつ来るかと気をもんでいるんですが、結局袁紹の方に行くんですよね。今回も大丈夫。
続いて汝陰も。
そして広陵からダメ押しの出兵。
●199年1月
許昌から呂蒙が出てきた。まずはあれしばいてから汝南だな。