火野正平さんの「こころ旅」で、青森県弘前市にある鬼神社の社額の鬼の字のノ画がないのを、祀られるような鬼だから、「角を取った」と監督さんが説明していたけれど、違うのですね。

 

忠魂碑の「碑」の字の「ノ」画もないと思います。

都会の方は、忠魂碑を見たこともないかもしれませんね。

 

師匠の「師」の字の「ノ」画もないと思います。

そんな字は見かけないか。

 

では、「宮」という字の「呂」の口ノ口の「ノ」画もない石碑は見かけませんか?

 

「番」の字の上の「ノ」もない石碑を見たことはないですか?

鎌倉の鶴岡八幡宮の石碑の番の字は、「ノ」画がないですよ。

 

種明かしは、4世紀~江戸時代に書かれていた「伝統的楷書(歴史的楷書)」の字と、清の時代の康熙帝が編纂させた「康煕字典」の字とは、かなり違うという事です。

 

鬼の字の甲骨文字や金文のほとんどが「ノ」画がありません。

鬼の字は、甲骨・金文の頃、田人を縦に並べて書き、頭の大きな人を表し、それが普通の人ではないことを表した。

人が死んで、鬼(人)になったことを表す字である。

 

漢字は、象形・指事・会意・形成・仮借の成り立ちがあるが、甲骨文字・金文の漢字の多くは、象形文字が多く、他の成り立ちの漢字の部分の多くは象形文字である。

 

例えば、ヨ(真ん中の画が右に出ているのが正しい)、又、寸、ナは、手を表すことが多い。

 

尋のヨ、寸は手である。「エ」と「口」は「左」と「右」を表す漢字の手以外の部分であり、呪具、神への祈りを記した文を入れた容器を表している。

因みに、神に「尋ねる」のである。

 

長くなりました。明治時代、漢字学者は、清の康煕字典を漢和辞典の範としてしまったため、伝統的(歴史的)楷書との相違が生じてしまった。

派閥のある学者は、誤りを認めないので、誤ったまま今に至っている。控えめに書いても残念な事である。

 

伝統的(歴史的)楷書については、江守賢治氏、

甲骨文字、金文については、白川静氏の書に詳しい。

今日は紙面が尽きました。

 

私の心の風景はどこだろう。

生家は跡形もなく、記憶の中の優しい思い出だけだから、皆さんにお見せすることはできないな。