遠くに帆船のマストが見えた。江差にある開陽丸の復刻版だ。
傾く幕府が資金を調達して購入した開陽丸は、外国船に劣らない新鋭艦で、1865年、オランダで建造された。
日本への処女航海には、軍艦の操舵や砲術、測量の学修、国際法や財政学、医学の学習のために幕府から派遣されていた留学生の一部が参加した。
到着は1867年、翌年には大政奉還後、大阪を脱出した徳川慶喜を乗せて、江戸へ向かうという皮肉。
その後江戸城は無血開城となり、開陽丸は新政府軍への譲渡が決まったが、海軍副総裁榎本はこれを拒否、蝦夷地へ向かい松前藩などを占領し、支配した。
1868年11月暴風雨のため江差沖で座礁、沈没。僅か1年余の活動だった。
1974年、開陽丸の遺物が発見され、大砲など3万余点が引き上げられた。また引き揚げによる損傷の恐れのある遺物は、銅線入りの網に入れ、海中で保存しているそうだ。


勝山館の上り下りで脚がガクガクしている。江差の観光ルートは平らで有難い。
町案内のガイドさんと追分会館で合流。コンクリート打ちっぱなしのしゃれた建築だが、曇天で冷たい風が強く吹く今日は、建物まで寒々しく感じてしまう。

風に背を押されるようにして幹線道路「いにしえ通り」へ出る。街並みが整備されており、ニシン景気で賑わった当時が偲べるというのだが、ガイドさんの法被に記された「江差の五月は江戸にもない」の文字の、再興の可能性の薄さに寂しさヒシヒシ。

旧中村家、母屋は総ヒバの建物と紹介されている。良い香りだろうなあ、見学したいが時間は取ってなさそうだ。羊の様に群れについて歩く。

中村家と並ぶ旧家横山家の縦に長い建物の一番海に近いハネダシ。元は2階部分に相当し、物見用の窓として利用したそうだ。昔は此処まで海が迫り、下の1階部分が京都府伊根の舟屋の様に利用されていたという。
https://www.isan-no-sekai.jp/column/7192

いにしえ通りを姥神大神宮まで歩いて、観光終了。追分会館前の広場に、壺の形をした奇妙なオブジェがあるのが気になった。これは街にニシンをもたらした「折居さま」という老婆姿の神で、これを祀ったのが姥神大神宮。社殿を撮ろうとしたら、植木屋さんが什器を使って手前の大きな松の木の手入れ中。
https://esashi.town/tourism/page.php?id=101
 

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