今日は渡島(おしま)半島の西の先端部、松前や江差を巡りながら松前半島をぐるっと一周する長丁場。地方の公共交通がどんどん規模を縮小する中で、ツアーバスの価値が上昇するコースだ。

知内の道の駅は北海道新幹線のレール際にあり、展望塔が併設されている。自力で上がる4階建て。さっき通ったばかりだから暫くは来ないだろうし、時間もないし・・・これまで評価はともかく、初めて見た施設をスルーした経験はあまりなかった筈なんだが・・・歳には勝てない。

福島町出身の千代の山、千代の富士を顕彰する記念館が国道沿いに見えて来た。我が家の子供たちは、漢字を四股名で覚えたほど相撲好き。国技館の升席にも何度が連れて行ったっけ。函館からは路線バスで2時間半、1日数本で動きにくい~末娘などは北海道旅行中、ここのためにレンタカーの「決死行」を決めていた。

観光バスは2時間弱で松前到着、ポスターで見慣れた城と桜の構図が目の前に広がる。
松前城は外国船打ち払い令遂行のため幕末の1855年に完成した、日本最後期の城郭である。ここには1600年に福山館と呼ばれる城砦が建設されたが、松前氏は蝦夷地交易の独占という特殊な性格のため石高が無く城を持てず、城とは呼ばれなかった。

松前氏は1849年にやっと城の持てる大名となった。松前城は戊辰(箱館)戦争の際、旧幕府軍によって攻め落とされたが、翌年、松前氏と官軍が奪い返す。天守は1949年、類焼によって失われたが、残った本丸御門が重要文化財に指定されている。

郷土愛溢れる地元美人ガイドが撮影に走りたがるメンバーをしっかり押さえて城内観光。
城内の三名桜の一つ、光善寺の血脈桜を原木とする南殿(なでん)が八重の大輪の花を開き、海からの強風に揺れる。

松前氏について
松前氏の前身、蠣崎氏は現在の松前城の北に位置する大舘に拠点を構えた豪族。客将であった武田信広(若狭出身と伝える)が1457年アイヌ族とのコシャマインの戦いに勝利して蠣崎氏を継承し、豊臣秀吉、徳川家康に蝦夷地を安堵され、松前と改称して藩主となった。

詳しくは
https://www.town.matsumae.hokkaido.jp/bunkazai/detail/00001681.html

 

投稿された画像

投稿された画像

投稿された画像