お母さんが息を引き取って、

エンゼルケアというのをした。


看護師さんとお兄ちゃんとわたしで、

まずはお母さんの身体を拭いてボディクリームを塗った。

「今日お風呂入ったばっかりだから綺麗だね」

と話しかけた。


そうだ、お母さんが気持ちよさそうにお風呂に入ってたの、まだ今朝の話なんだ…

と思った。


こんなにすぐに逝ってしまうなんて、

誰も思わなかったはず。


下顎呼吸になってからたった10分で呼吸が止まるなんて思わなかった。


舌根沈下で窒息してしまったからなのか?


確認したくても、もう確認できない…


あの時の苦しそうな顔が脳裏に焼き付いて離れなかった。




そして、わたしが選んだ浴衣をお母さんに着せた。


亡くなる前、病院から

亡くなった後に着替えさせるお母さんの服を選んでおいてください

って言われていた。


腹水でお腹が出てたから、普通の服は入らないと思い、浴衣にした。


「浴衣着る時は右を下にするんだよ、

逆だと死んだ人だよ。」

と子供の頃お母さんに何度も教えられたのを思い出した。


今、お母さんは左を下にして浴衣を着ている。


お母さん、死んじゃったんだ。


まだ実感できてなかったけど、

色々なことがきっかけで現実を突きつけられる。

だけどまだ信じられない。



最期にお母さんにお化粧する。


昔、わたしの化粧品でお母さんにメイクしたのを思い出した。


あの時、

「え〜濃くない〜?つけすぎじゃないの?」

てお母さんは言ってた。

お母さん普段全然化粧しないもんね。


だから、今日は、少し薄めに塗った。


顔色が良くなった。


なんだか、笑っているように見える。


苦しそうな顔をしていなくて良かった。


そのあと、葬儀屋に連れて行く前に

一度お母さんを実家に連れて帰ることにした。


お母さん、ずっと家に帰りたがってたもんね。


今更になっちゃったね。ごめんね。


ほんとは、自宅看護がしたかった。


薬を調整して、安定したら家でお母さんと過ごそう

と思ってたけど、思った以上に安定はしなかった。


こんなに薬が効かないなんてことあるんだね。


お母さん我慢強いから、我慢してたんでしょ。


ほんとはもっと早く痛み止め増やすなり、鎮静するなり、苦痛を取り除いてもらうべきだったよね。


お母さんは我慢しすぎたんだと思う。


しんどい思いさせてごめん。


もっと楽にしてあげることもできたのに。

もっと早く鎮静してもらっておけば良かった…

後悔しかないよ。



鎮静薬を入れるのって家族にとって勇気がいることだと思うけど、本人の苦痛を取り除くためには、

さいごは必ず必要なんじゃないのかな

と思った。



その夜、お母さんとお兄ちゃんとわたしで、

リビングで一緒に過ごした。


ドライアイスを入れてもらってるけど、

葬儀が4日後になってしまったので(空きがなくて)

暖房は入れずに寒い部屋で過ごした。


お兄ちゃんとお母さんの話をたくさんした。


こんな時、兄弟がいて良かった

と本当に思った。

1人だったら耐えられなかったと思う。


さいごにお母さんがすごく痛がって苦しんでた時の様子が

頭から離れなくて辛い。

と言ったらお兄ちゃんが、

「全部細かく話して。

辛いこと共有しよう。」

と言ってくれた。



そのあとは一晩中お母さんの眠ってる顔

をずっと見ていた。

手を触ると、すごく冷たくて、カチカチに固くなっていた。


お母さんから、お花のいい匂いがした。

お化粧の匂いなのかな?



お母さんの入院の荷物の片付けをしてたら、

入院中にわたしが書いた手紙が出てきた。

大事そうにポーチにしまっていた。


お兄ちゃんが昔お母さんにプレゼントしたネックレスも

ポーチから出てきた。

病院に持っていってたんだね。

入院中ネックレスつけないのにね。

宝物にしてたのかな。






全然眠れないまま朝が来た。

眠れるわけがなかった。




まだお母さんが亡くなった実感は湧いてない。




全然受け入れられてなかった。



わたしはお母さんといつも一緒で、

もともとお母さんにべったりだった。


若い時に子供産んだのもあって、

なんでもお母さんに頼って、一緒に子育てしていた。


なんでも相談してたし、どこ行くのもお母さん誘ってたし、しょっちゅう実家に帰って、

毎日電話もしてた。

とくにこの一年は、会わない日なんかは1日に何回も電話してた。


親友みたいに仲が良かったと思う。


お父さんが単身赴任でいなくてお母さん一人暮らしだったから、

お母さんの誕生日やクリスマス、イベントの時は

必ず一緒に過ごした。

お母さん1人で寂しい思いさせたくないな

っていうのもあったし、

わたしがお母さんと一緒にいたかった。


わたしの子供たちもお母さんに懐いてて、お泊まりなんかもしたし、ばあばんち行く!ってしょっちゅう言ってた。


ばあばが作った鶏そぼろと大根の味噌汁が

娘は大好きだった。


癌になってからも、元気な時は

子供たちに作ってくれてた。

ありがとう。


お母さんがわたしの子供たちにたくさん愛情を注いでくれたこと、

子供たちが大きくなっても忘れないように、

ちゃんと伝え続けるよ。