初めに。
もう多分、彼はこの世には居ないと思う...
Mさん、ありがとう。
貴方のこと、皆が大好きでしたよ。
おいらがバイク便で働いていた時、Mさんという自分より2つ年上の先輩が居た。
とてもカッコいい男で、面倒見も良く、後輩たち皆から本当に慕われる人だった。
彼は、鮫洲に程近い、1Fがセブンイレブンになっているマンションの2Fに住んでいて...
みんなでしこたまお酒を買い込んでは家に押し掛け、朝までお酒を飲んでしょっちゅう馬鹿騒ぎしてたっけ。
お洒落で流行の服を着こなす、スラリと長身の彼には、とても綺麗な彼女さんも居て。
本当に当時のおいら達の憧れの先輩だった。
そんな彼が、何がきっかけなのかは分からないが、覚醒剤に手を出した。
最初はソレとは分からなかった。
家に行き、酒を呑んでいるとトイレに行く。
で、暫くして戻ってくるのだが、何か様子が変なんだよね。
その内、トイレに焦げたアルミホイルが落ちていたり、TVの前に真ん中が膨らんだガラス管が置いてあるようになって、皆が気づき始めた。
誰だってトラブルに巻き込まれたくは無い。
彼の家に毎晩のように来ていたメンバーは、どんどん去っていった。
おいらは本当に彼のことが好きだったので、それでも何とか元に戻ってくれるんじゃないかって、半分期待しながらあまり気付かないフリをして、通うのを止めなかった。
その内、酒を飲みながら、彼はフツーに煙草を吸うように、覚醒剤をあぶっておいら達の前でも吸うようになった。
何回か誘われたこともあった。
「酒よりこっちの方がいいぜ、お前もやってみろよ」
ただ、それだけはキッパリ断った。
一度そっちに行ってしまったら、おいらは絶対に戻って来れなくなることは、自分が一番良く分かっていたから。
その内、彼は仕事にもあまり来なくなり...
心配なので、おいらは仕事帰りに必ず様子を見に行くようにしていた。
前の日に「食べてね」と置いていったサンドイッチやおにぎりは、そのまま手付かずで置いたまま。
それを取替えに行っているような日々。
どんどん痩せていく彼を見るのは辛かった。
「もう止めなよ」
そう言うと彼は決まって
「あぁ、もう止めるよ」
と返す。
そう言いながら、彼はテーブルの上の、ガラスの破片のような結晶が入った小さなビニール袋を、何より大事そうに眺めていた。
日を追うごとに壊れていく彼を見て、もう数人になってしまった仲間と相談し、彼を救う為にはもう他に手段が無い、「警察に通報しよう」と決めた頃だった。
その日は、まだ明るい時間帯だった。
彼の部屋に行くと、いつものようにカーテンは引きっぱなしで、彼は真っ暗な部屋のソファーにポツンと座って、ボーっとTVを見ていた。
いや、見ては居ない。
TVに焦点は合ってない。
光の明滅を見てるって言うのかな... そんな感じ。
淀んだ空気が溜まらない。
「ねぇ、空気を入れ替えようよ」と、おいらはカーテンと窓を全開にした。
そして、彼と暫く何かを話したと思う。
急に彼が、「お前、俺の女と寝ただろう」と言い始めた。
「何言ってんのMさん、おいらがそんなことするワケないじゃない」
最初は冗談かと思ったが、彼はTVを見つめたまま、そうブツブツと繰り返す。
その内、彼がフッと立った。
一瞬飛び掛ってくるのかもと警戒して身構えたのだが、ふらふらと玄関の方へ歩いて行った。
「トイレか...」
彼が視界から消えた、ほんの数秒後。
カタッ
なんだこの音?
脳みそフル回転でこの音が何かを考えた。
あっ! これは流しの下の扉を開けた音だ!!
そこにあるのは...
振り返って窓が空いていることを確認。
視線を前に戻した瞬間、彼が包丁を振りかざして突進してきた。
止むを得ない。
思いっきりダッシュして、窓から階下に身を投げた。
下は自転車置き場になっていて、おいらは自転車の上に落下。
大怪我しそうなもんだが、却って自転車がクッションになってくれたのか、メチャクチャ痛かった位で骨折などはしなかった。
カシーン!!
倒れこんでいるおいらの頭の横で、大きな音が。
彼が2Fからおいらに向かって包丁を投げたのだ。
これも刺さらないで良かった...
そして、おいらは何とかその場から逃げることができ、警察に通報。
彼は覚醒剤取締法違反で逮捕された。
後日談があるんだが、長くなったのでこの辺で...