物心ついた頃、いつでも礼節を重んじている祖母のことが、母にべったり甘えん坊の私にはとても怖く写ってました。
お礼を言うのも挨拶するのも母の後ろに隠れてすごく小声でしか言えない私。いつでもおばあちゃんは笑顔だったのに何ででしょうね。
祖母の家でお留守番するのも苦手中の苦手でした。
おそらく、私の生活圏内に祖母や祖父の年齢の方がいなかったから…だと思います。
でも、いつからでしょうね。私が大人になってからかな?
きちんと私が大人の人と話ができるようになってからは、そんなこともなく、仲良く話せるおばあちゃんでした。
誕生日になると必ず電話をしてきてくれて「おめでとう」って言ってくれる。おばあちゃん。
20歳を迎えた時には「はよ結婚しやーよ。おばあちゃんはあんたの歳で、子供が3人おったがね。」って…流石に現代では早すぎるよ。って返してましたが。
祖母は、私が役者を目指していることについては一切何も言わない人でした。頑張れとも、やめなさいとも。
仕事したものを聞いてもらっても「みんな有香ちゃんの声に聞こえるがね」が感想でした(笑)
ただ、結婚と出産だけ親戚の誰よりも願っててくれました。現代だと煩わしいって思う人も世の中には多いようだけど、私は嬉しかったので、いつでも「長生きして待っててね」って伝え続けてました。私が孫の中で1番年下なので、気にしててくれたんでしょうね。
30歳を過ぎた頃に、祖母の家に遊びにいった時、こっそり呼ばれて何かと思ったら「あんたいい人見つかったかね?」って、誰にも聞こえないようにコソッと聞いてくれたりする可愛い一面もありました。
その時は誰もいなかったので「残念ながら…」としか言えなかったなぁ…(*ノ∀`*)
それからさらに数年経ち、旦那氏と結婚するって決めた時、両親はもちろんでしたが 真っ先におばあちゃんにも紹介しに行きました。
愛知と岐阜だから、東京からは私たちも頻繁には行き来できないですからね。
あの時のおばあちゃんの笑顔は忘れられないです。
本当に紹介できて良かった。
「仲良くせにゃあかんよ」紹介した時も、それから電話した時に何度も、ずっと言われた言葉。
幸い私たちは本当に喧嘩がない夫婦なので「大丈夫だよー仲良しだよー」っていつも伝えられて良かったなぁ。って心底思ってます。
私たちが入籍したのはコロナ禍がちょうど始まった頃。
結局、両家の顔合わせすらできておらず、式もできてない。
「おばあちゃん有香ちゃんの結婚式が見られたら、まー思い残すことはないわ」
そう言われたのはいつだったっけ。確か、まだ旦那氏とも付き合う前。結婚したいなーって自分で思い始めたた頃。
私もおばあちゃんにウエディングドレス姿見せたかったな。
おばあちゃんと最後に話したのは昨年の敬老の日の辺り。いつも8月のおばあちゃんの誕生日、9月の敬老の日、11月の私の誕生日に電話するのが おばあちゃんとのルーティーンでした。
おばあちゃんに結婚式見せるために、両家の顔合わせするために、この2年色んなこと頑張ってたんだけど…とうとう、一つは叶わなくなっちゃいました。
長生きして待っててくれたのにね。
コロナ禍のばーーーーか!!!ですよ。本当に。
感染拡大しているので実家に戻ることもできず、直接送ることも叶いませんでした。
が、祖母が多分 コロナ禍で疎遠になってる親戚の絆を最後にガッチリ繋げていってくれたんでしょうね。
従兄弟同士で協力して、ネット上でしっかりと気持ちを送ることができました。
最後の最後まで、私たち親戚一同の人としての幸せを願ってくれているんだなぁ。と思っちゃいました。
亡くなったと聞いてから暫くはメソメソしてましたが、とある日に夢に出てきたわけじゃないけど「あ、おばあちゃん笑ってるな」って感じた日があって、その日から泣くのはやめました。
どこからでも私のこと見ててくれるようになったのよね。
家庭の幸せも、人としての幸せも、仕事の幸せも、全部 私なりに頑張って掴んでいこうと思うよ。
心の中の整理はちょっとずつつけていこうと思います。
まずは、ゆっくり。ゆっくりね。