この一日の暑さは、フルーツトマトの細い木を枯らしそう。

たっぷりと水をやると、トマトが笑っているみたい。甘ーい。

初めて苗を六本も植えた。頑張れトマト。

 昨日は「いらっしゃーい。お帰り。久しぶり」と、滅茶くちゃ

私ははしゃいで、言葉が支離滅裂。七年も我が家で踏ん張り、一年遅れの高校入学、専門学校入学と楽しみを与えてくれた祥君が、就職先の県外から来てくれた。随分と「君」をつけずに名を呼ぶのに手間取ったが、膝の筋を痛めてから何年も、痛み止めの注射に通うのに車の運転をしてくれ、世話になり続けた祥君だった。

 神経質な子でもあったが、綺麗好きで、何でも懸命に取り組んでくれた。沢山のステージを立ち、美容師となった拓君の打ち方に似た、素晴らしいスピードと曲線の打ち姿を後輩である子たちに残してくれたが、

昨年の正月の里帰り以来の時間をくれた。

 鳥の唐揚げ店に昼食を食べに行き、隣り合わせで座った。恒君も向き合って食事をする。美味しかった。笑って話す余裕、会社も三年の余裕が見えた。周りがピリピリする少年と言われたが、そんな部分は見えなかった。読書の大好きだった祥君だったが、今では仕事人間になっている様子。色々会社の出張の話など聞いたが、一皮も二皮も三皮もと竹の皮を剥ぐように成長をして行く姿を見せて貰っていることに、本当に嬉しかった。次はいつ来る?

 次女が誕生日だった。初めて、ゆっくりと祝ってやれた。ごめん。文句一つも言わずに淋しかったろうに。祥君もケーキを持参してくれ、誕生日を祝ってくれたことに感謝。手土産のパームクーヘンも、皆で頂いた。働く社会人となった子の、手土産に感動。

 「体を大切にして下さいね」・・・こんな言葉を残して帰って行った。

 「ちゃんと病院で治療してるよ」

処置を終えて待合に行ったら、祥君は本を膝の上に、居眠りをしながら待っていてくれた。里帰りを楽しみに待つ母で居られたらと願っている。

今日は孫三人の笑顔も見られた。クーラーが膝を冷やす。明日もミシンでの手仕事を頑張ろう。老犬二匹もフラフラだけど頑張ってる。

 

 

 雨は嫌いではなかったけれど、仕事に出かける家族のことを

思うと天気が良いな。それにしても、豪雨警報のニュースを見な

がら縁の方々の地域や、県外の方々の心配に家族から出る言葉

は同じだった。「大丈夫ですよ」のお声に安堵。

 雪の季節を今から不安に思っているが、雨も相当なものだった。

「自転車大変だからね、乗せてゆくよ」と、我が家の家の前の急な

坂を自転車通勤する恒君に声を掛けるが、「大丈夫。そんなことより、

お母さんは自分の体を考えていればいいんだからね。心配しないで」

いつもいつも同じ返事。もったいないことだと、手を合わすばかり、

 一メートル七十センチになったということに驚き。まるっと五年の親

子の縁にも感謝。今週の日曜日は、十六年の親子の縁わ紡いでいる

啓太が来てくれ、大好きな喫茶店で食事。近くにいてくれるので太鼓

練習や、ステージ本番にも汗を流してくれ有難いが、仕事の話や、素敵な彼女の話、会社の所長さんの学びとなる話など、成長が沢山とみられる。私も成長をしていないと、啓太君が淋しがることだろうと思うと

、しっかりしないとと思う。親は子供との食事の時間に育てて頂く気が

してならない。「お母さんは、お母さんらしくいてください」と、一番厳し

い言葉を貰う。「あなたはあなたらしく・・・それでいいんだよ」と、何度

こんな言葉を投げかけてきたことか。老いてみて、周りのことを考慮しながら生きる辛さの中で、「・・・らしく」と言われることがどんなに困難なことかと、今しみじみと身に詰まされている。

 「・・・君、元気してるかな。お母さんも今、残されている歳月がどんどん老いの時間帯に入ったことで、自分らしくとか、悔いなくとか、もっともっと君に語りかけた言葉を自分に言い聞かせながら、大変な言葉だぁと。でも頑張ろうと思っています」・・・。

 出会った子供たちと、今ならもっと違った思いも伝えられるのやもしれないなどと思うが、手を合わせる地蔵様は、今日も微笑んで下さるだけ。いや、見守っていて下さり、私に手を合わせていて下さるのだ。

 今日は滋賀県から、税理士法人中央総研の山川 晋さんご夫妻と、株式会社ヒロセの廣瀬眞弓社長が訪れて下さり、沢山のお肉をおみやげに戴いた。山川さんなどとお呼びしてはいけないのかも知れないが、

石川 洋先生の学びでのご縁ということもあり、何故か身近に。

 私の呟きは長くていけないのだが、余の嬉しさと感動を再認識するために、廣瀬社長から頂いた、企業列伝(ヒロセ物語)の一冊のことを呟いておこうと思う。人間育成という人生の最大の課題を、家族で読み、そしてそれぞれの思いを語り合いたいと思っている。

 そういえば啓太君も、当時の沢山の少年と共に、石川先生の学びの会で学ばせて頂いた一人だった。根が育てられて来ていたのを知る。

恒君も十九歳。今が吸収する時でもある。お肉をお腹一杯食べて、今の私が語りゆけること、今の恒君がうなずき返し、語ってくれる言葉を

互いに聞きあいたいと思っている。ヒロセの会社には、かっての私が出会った我が家の少年や、青年たちを重ねることが出来る。石川先生や、致知誌の学びに反発した当時の少年たちの「僕らには理解が出来ません」と反発した言葉や目を思い出す。「噛み砕くように語ってやりなさい」と言われた石川 洋先生。アニメとなっている為に、子供たちは喜んで読んでくれることだろう。眞弓社長の熱き志に感動せずにはおれないだろう。兄嫁さんが一冊、「これは良い本ですよ」と言われて持って帰られた。また感想など語り合おう。

 キャベツにピーマンも足して、今からお肉を焼かせて頂くもの。

心から頂きます。成長をして、まだまだ縁の子と向き合ってやらねば。

豪雨被害の方々に、心からのお見舞いと祈りを。

 

 

刑務所の体育大会、途中の雨で中止の予測。だけど

最後まで続けられて、毎年の感動のリレーに掌が痛く

なるほどに拍手。頑張ってほしいと、すべての入所者に

手を合わせていました。私もつくづく齢を重ねたのだと、

そんな話を福田会の施設長さんと語り合ったり。

涙もろくなったのかな、何でも感動している。

 高校生の君と向き合った夜、やはり時代という背景

の移ろいに追いついてゆけない焦りを覚えてしまいました。

四杯も麦茶を飲む君も、のどが渇くほどに緊張をしていた

のだろうか。でも、「顔を見て話そうよ、目を見て話そうと言ったら

」君の気に障ったらしくて、テーブルにコップをぶちつけてしまった。

お母さんは、家庭での君の行動を知っているからか叱られたけど、

実際に見てないと、私もお話だけでは分からないことばかり。ゆっくりと君の人生、歩きたい方向が見つけ出せたらいいね。そう祈っています。

  

 昨日は、滋賀県の近江市の更生保護婦人会の方々がね四十一人もおいで下さった。バスの中で募金を募って下さったのだと言われ、会長さんから手渡され、沢山のバザー品も。私たち家族は何とも幸せ者です。しみじみと思いました、しかも、余ある人たちの情を頂いて、もったいない限り。

 

 馬になりたい 立ったまま眠れる馬になりたい

 私の周りには 温かい人が多すぎて

 足を向けて

 眠れる場所がないから

 私は馬になりたい

              (福井県小浜市  山崎ゆかりさんの詩)

私の大好きな詩を改めて呟いてみる。重度の障害者として生まれた

山崎ゆかりさん。今日も、この詩を幾度となく呟いていた。

どなたかと思いを共有したくて、呟きを大きな声にしています。