暑くなりました。朝早くに家事を終えて東海市に向かいました。

国際エンゼル協会の秋のバザー品を頂くために。

明和町の妙法寺さんという寺があります。

長いご縁を頂いて、我が家の活動であるエンゼル協会のバングラデシュ国の子供たちへのバザーのお手伝いを、歴代の子供たちがさせて

頂いて来ましたが、今回は、今まで以上に妙徳寺さんと係わりのある

方々のご支援も頂き、もったいないばかりでした。

寺の家族の方々には、そしてご内儀の井上宏子様には、我が家族一同が支えて頂くばかり。今回は見慣れた寺の庭先の蓮の花が、余にも凛とした姿で迎え入れてくれて、日ごろの疲れがぶっ飛んだ気持ちでした。南無阿弥陀仏が口先から・・・。

 軽トラック三台でバザーを持ってきて下さった方々に、嬉しかったですと、「お母さん、感謝ですね」と叫んだ恒君の声が届いたら良かったのに、、、聞こえたかな。

 啓太君と、かりんちゃんも助けてくれて、バスの中にはバザー品が

一杯に。我が家も助けて頂く品が。伊丹市で開かれる秋バザーが楽しみになった。今回はまだ愛を頂いた方々が。

白髪を染めるようにと希望する恒君に応えて、生かせて頂く美容室の先生と、隣り合わせに座っておられた方より、素敵なバックや着物やバザーを頂いた。先生のお蔭で今までも素敵な品を頂いたが、下さる人が増えることが嬉しくてたまらない。生きるって素敵なことだと感じる瞬間です。ちなみにお店の名前は(無限地)さん。あっさりした先生の気質が大好き感。お客さんとも仲良くなれたらと、心の紐を緩めさせて頂ける、気さくなお店。エンゼルのスタッフさん待っていてくださいね。

 

 孫から、ブログ書けてるよ。頑張って・・・とメールが。独り言をつぶやくには、もったいない時間を頂いている。見てくださる方が、お母さん根今日も頑張ってるんだと思って下さったら嬉しい。

月曜日夕方に初めて会った高校生の君へ。私はもう時代の産物の扱いに困る齢となり、年寄携帯も、まともに操られないでいるけれど、君が大人への階段を上がるために、一緒に抱えた問題の解決に寄り添えたらと思っているよ。でも、やっぱり両親の役割は大きいと思うよ。君みたいな人から、大人は学ばなくてはいけないんだよね。

 君も心療内科の患者さんなのだと知らされ、又も薬の服用についてとか、いつから患者さんになったのか、今までの縁の子供さんと一緒に苦しんだり悩んだり、学んだことを初めからしなくてはと思います。

全ての人が同じではないから・・・と、よく娘に叱られたものですが、君のケースも、向き合う始てのケースだと。でないと、経験とか体験とか、そんなものがごちゃ混ぜになるといけないと思う。

 どうして、普通に人生を歩けない子が増えていくんだろう。

 どうして、普通に食事だけでは駄目なんだろうね。

 胃腸薬のませて、「落ち着いたよ」「大丈夫です」「頭痛いの治りました」なんて言った子が沢山いて、漫画みたいな体験したことあったけど、私の知らなかった病名の幾つかに、気持ちを引き締めています。

 コーヒーは好きじゃなかった君に、冷たいジュースを出すことに。

大根おろしを乗せて、焼きサバを夕飯のおかずに。暑さの大変な時間を少し頂いて綴ったけど、大丈夫かな。ありがとう全てに。

 

 

 

 

 

 

中学に

 

入って初めての期末テストを迎える将君。国語の勉強を覗くことになり、

余にも頭に詰め込まなくてはならないことに驚きました。

読み書きソロバンなんて、いつの時代の言葉か。好きなゲームに取りつかれて、

眠気まなこではいかんぞ、そんな叱り言葉も頷けます。

 漢字の覚える範囲も半端ない。やはり普段の読書ですね。将君、すべて読めた。

て゛も書くのは、読む能力とは違うみたいだ。ついこの間まで小学生だった子が、

かなり難しい言葉を学び、漢字に向き合う。比喩って、意味と読みと漢字と書くことに集中。

子供って一人で勉強するより、傍に見ていて下さる人がいると、安心して必死に取り組める

みたいです。私は自分の子供にしてやれなかったのか、してやらなかったのか、今になって

気づくことを沢山と教えて貰っています。

発達障害を持っている恒君は、沢山の字を読みます。辞典を見るのも好きなことが生かされ

ているのかもと、そう思いながら恒君だけを見ていても、一つことへの集中力と自分のこだわ

り感というものが、漢字を読む記憶に生かされているのかも知れません。

我が家に縁を持ってくれた少年たちが、近年は発達障害なのだと言われることが多くなり、

そうした障害名と取り組む知識を、私は体験というものでしか得ていない為に、出会うたびに(

一人には一人の光がある)という言葉を、これからもきっと信じていくしかないのだと・・・そんな

ことを呟いているのです。太鼓の曲を覚えられなかった子供は、一人としていなかったのだから。

 それにしても今年の夏の草花は育ち過ぎ。紫陽花の花が大きくなりすぎ、頭が持ちこたえられない

状態になりそう。

何事も、ほどほどがいいと思うから、力みすぎないで頑張ろう。夕方会うことになっている少年も

発達障害とか。精神科の薬も併用と聞きます。薬を飲ませない私は責任を思うと悩みの塊になるのです。

飲ませる弊害と、飲ませない弊害、そうした知識も無いからだけど。

 飲まないで太鼓に元気に取り組む姿は一つの光です。そのうちに高校を卒業してくれた少年たちが

沢山といて、子供たちの可能性を信じてやりなさいと言ってくれたりします。

将君の国語の勉強の文法を少し、大変なボケ防止の薬を頂いた気がします。私も勉強だー。

 

 

 

 

 

 

 

 

大変な雨のおかげで、家事がはかどり、ブログに書き込むことを少し覚えたところで

パソコンを開いてます。今年は草が長けて、我が家は緑に包まれています。

六月五日、大阪の西端春江先生のご寺院にて、「四分の一の奇跡、

本当のことだから」の素晴らしい映画を見ました。

 西端先生を囲むお勉強会でご縁を頂いた、入江富美子監督の映画ですが、石川県内の養護学校で

先生をしておられる、山元加津子さんの眼差しと、語られる言葉が素晴らしいのでした。

この映画は、子供さんに関わる全ての人たちに見てほしいと思います。

この毎日、抱えきれずに手を離さなければならなかった子供たちを思い出しながら、

゜ゆっくりでいいからね、本当の自分を遠慮なく出し切って生きて行きなよ。真っ直ぐな目を

社会や大人や、不満を感じる事柄に向けて、自己発信力を養うんだよ」と、顔を思い出しながら、

呟いています。

沢山の学びが宿る映画でした。山元加津子さんのような神対応の出来る先生が、

あちらこちらで生まれ出てきたら最高だと思います。子供をゆっくり見守って下さる

山元加津子さんこと、かっちゃんを必要とする子供さんのために・・・長生きして下さることを願います。

 私とかくれんぼうをして来た恒君。一年半の戦いは大変でしたが、手をつないで寝た日のことも、

トイレに逃げ込んだことも、探して歩きながら私では母親は出来ないのかと苦しんだことも、

答えは全て、恒君がしっかりと握っていたことを知らされて日のことと、映画の中に出て来た

養護学校の中で、磨かれていく魂を見せてくれた子供たちとが、重なってくるのです。

 恒君はかくれんぼうの最後日に、パトカーから降り立ったとき、「お母さん、もうかくれることはしないからね」

そう言いました。「もうしないの?、つまんないよ」と言ったら、」「だって、もう試す必要がないもの」と言いました。

 試されていた私や家族たち。あれから三年以上が経っています。十四歳だった恒君が来年の二月には二十歳になります。

かっちゃん先生に教えて頂いように、我が家も命の尊重を第一に頑張っていこうと思っています。

 少し知っていただいている猫のミーヤは、オセロやブチャの全てを受け入れて餌を分け与え、我が家に忍び入れています。

かっちゃん…みたいなミーヤに、非行猫などと言って申し訳ない気持ちですが、夜中に外出して獲物をぶら下げて帰ってくる顔は、

やはり、たまらないです。褒めてやってください・・・と言われると、言葉に詰まってしまう私です。

とにかく我が家の住人達と、太鼓の練習に通ってくる子供たちと、里帰りに訪れる子供たちと、私は生かされています。

 朝の時間、ありがとう。