キリコが出せるだけでも、
正直申し上げて、
能登の広範囲で、夏から秋にかけて繰り広げられるキリコ祭りですが、
その形容は様々で、形も太鼓、笛の音色もですが、
高さ5~7間ほどの巨大なものから、2~3間(ウチの)の小振りなもの、
また、1~2基だったり、大規模集落は、数10基だったり、
ホント、様々あるのですが、
特に、私が奉務する奥能登珠洲の神社では、ほぼ絶望的で、
若干、お神輿は出ずとも、キリコだけ出して、少しでも祭りの雰囲気を演出する集落はあるみたいですけどね。
(本来、キリコは「切子灯籠」で、お神輿の夜の渡御の明かり役です)
神社も氏子も被災していて、神事はなんとか神主がやっておりますが、氏子が参加しての、いわゆる「まつり」は、出来ないのが現状です。
そんな中ですが、
被害があったとはいえ、当珠洲市からみれば、まだ自宅に住んでいる方が多い能登町だからこそ、
「こんな時だからこそ、まつりをしよう!」
となるわけでして、
この祭りの齋行を決断された氏子様方には敬意を表し、同時に、まことにうらやましく、
おそらくは、向こう数年、ひょっとしたら数10年、神社内での祭りしか出来ないであろう、我々は、こういう集落から、復興の一路が見えれば、と、思うのでございます。
阪神大震災の年、東日本大震災の年、
なぜか「自粛」ということばが大流行し、ぜんぜん関係ない能登でも、お祭りが中止になった例が多くあって、私はそうとう憤慨しておりましたが、
今、避難民になってみて、それが如何に愚かで、さらに傲慢なことなのか、ヒシヒシと解ります。
おれら、したくても祭りが出来んがじゃっ!
出来るやつらはやらんかい!
山口の祭りは、午後六時ころ、一旦休憩して、私と娘も、片道40分弱の珠洲の仮設住宅に帰り、
午後九時から再び奉仕。
次女と二人で神幸祭を奉仕したのは初めてでしたけどね、