避難中の羽黒大神様の春祭り | 羽黒神社宮司のブログ

避難中の羽黒大神様の春祭り

4月19日、

社殿倒壊のため、齋館に一時避難しておられる羽黒大神様の春祭りを齋行いたしました。 


祭典は午後2時からですが、私は午前中から齋館に詰めていて、

今回も、氏子各位への初穂料の袋は出しておりませんが、
事前に、仮設住宅を含め、地元に残っておられる方々に、お祭り齋行のちらしを配布していただきましたので、
朝から、みなさんお参りされて、その都度、神楽太鼓を奉奏しております。

この日のために、複数のかたからお供えや、玉串料が届いておりましたので、ご神前にお供えいたしました。

ちなみに、電気はまだ来ていませんので、ぼんぼりの灯はお神輿の提灯用の電池式証明です。

時刻、参列された総代さんは二名だけでしたが、

祈年祭にも参拝された、太鼓奏者のNさん、それと、撮影に友人のK氏が参列されました。

雅楽会は平服のままですが、笙、篳篥、龍笛の一管づつで、全員女性です。

時刻、

祭典に先立ち、まず、氏子内に震災で圧死された犠牲者が多かったことに鑑み、誄歌を奉奏。

その後、黙祷をいたしました。


引き続き、春祭り。


以下はK氏撮影。


太鼓奏者のNさんにも、玉串を捧げてお参りいただきました。

もちろんK氏にも。

祭典後に、これまでの経緯と、倒壊社殿の下から救い出した数々の神具の説明をし、
この機会に、幕末から昭和までに奉納された絵馬の数枚を説明いたしました。
ひとつひとつが、その時代時代の、多くの人々の願いが込められた品々ですが、

今回、無事にでてきた、この、弘化4年奉納の絵馬。
正院小路丸山に鎮座していた白山神社に奉納されたもので、羽黒神社に合祀される二ヶ月前です。

おそらくは、自分の氏神さまが合併して失くなることを惜しみ、奉納されたものであり、

今、その羽黒神社が、社殿が失くなってしまいつつあること、

そして、まだ名字がない時代のものですが、
書いてある奉納者は屋号でしるされていて、

その子孫にあたる方が、今回の震災で、圧死されています。

なにかと、考えさせられるお祭りでした。