ひと月目の祈り
正直、昨日までは、あまりの生活の変わりように翻弄されつつも、
見る風景、聞く情報に絶望し、前途の不安を考えつつも、自分を見失わないように行動するのに必死で、
(しかし、喫煙所に集まった避難者たちとバカ笑いしてますけどね)
氏子さんや、知り合いの訃報を聞くたび、
ショックではありますが、それは、
弔いの気持ちがなかなかわかず、
気の毒だったり、残念だったり、
この現状に絶望しているだけで、まったく自己の内向きな思いだけだったような気がいたします。
昨日の、地震が起きた時刻に、一斉に黙祷を捧げようという呼び掛けは、ある意味、弔いの意、私たちがまだ行けない、神々の世界に送る、葬る(はふる)意を気づかされたかもしれません。
やはり、みながまつらい(集い)、一斉に祈る時間は大切です。
午後4時10分、
昨日の記事で申しましたとおり、地震が起きたとき、元日奉仕の徹夜明けで、こたつでうたた寝していた、今は激しくゆがんだ我が家の居間で、正座して、黙祷を捧げました。
あの日、
激しい揺れの直後、倒れる家具とともに、勝手口の戸が激しく吹っ飛び、
その向こうに、粉塵をあげてガラガラと崩れる、八幡宮の能舞台が見えました。
そして、津波警報が発令され、避難場所となっている勧涛山(かんどやま)へ向かう途中、
信じられない光景が、目の前にありました。
目を疑いましたが、
こらえて勧涛山へ。
この時、
近隣には、瓦礫の下で助けを求めていた氏子さんが何人もいたとは、考えも及びませんでした。
昨日のブログ記事を読んで、遠く、黙祷に賛同し、祈りを捧げて下さった方が何人もおられたことは、感謝いたします。
本当にありがとうございます。
珠洲は昨夜から、また雪です。
町はひと月前と、何も変わらず、
少しづつではありますが、通れなかった道は通れるようになり、電気工事も進みつつあります。
仮設住宅も、かなり増えました。
ここから再スタートですね。