タケノコ先生
まあ、
とても完コピとは言い難い、ハッキリ言って、へたくそです(-"-;A
神楽「能登浅略(のとせんりゃく)」は、もともと神迎え、神送り、の楽曲と考えられ、
能登では、あらゆる祭典の始まりと終わりに演奏される神楽で、
明治の初めに、神仏判然令が発布された折、多くの神社で行われていた、殊に地方の神主が代々伝承してきた神楽の曲や舞等が、
新政府が神祇に介入する過程において、神道由来以外を排除するにあたり、
「神楽は神楽師がするにしかるべきであって、神主が演舞することはまかりならぬ」
というような、非常に理不尽かつ乱暴な法令によって、全国の多くの(神主が携わる)神楽が失われて行った中で、現代になお、地元の神主によって受け継がれている「能登浅略」は、奇跡に近いのであります。
それで、
能登の神楽の太鼓自体は、能登だけでなく、同じ石川県内の加賀地方や、富山県の、主に旧加賀藩地内に、多少の違いはあるにせよ、伝承されておりまして、
特徴は、太鼓を片面ではなく、両面で打つ、ということで、
こういう打ち方は、ほぼ北陸と、東北の日本海側にしかないと思います。
その中でも、殊に特異な重蔵神楽は、実は、藩政時代以前にさかのぼるといわれる、春祭りの神主舞のために、能登浅略にレンジにアレンジを重ねて、今に伝うるといいます。
あー、はずかし・・・
まあ、
この、能登でもかなり異質な重蔵神楽と、
昨年、この武漢ウィルス禍で巣籠りのみなさまに、少しでも奥能登の空気に触れていただこうとアップした動画と、聴き比べてみてくださいませ~♪
「ひとり神楽」
で、
この重蔵神楽の名手でありました、今は亡きS氏は、当時、小学生だった宮司家の子供たちに、「タケノコ先生」と呼ばれていまして、
その理由をS先生にたずねましたらば、
「子供らが、『センセイ、なんでそんなに笛が上手いの?」
って訊いたから、
「オレは、おかあさんじゃなく、竹から産まれたさかいや♪」
って、適当なこと言うてたら、次回から子供たち、
「おーい、たけのこせんせい~♪」
って、なったんや~
とのことでしたのでした・・・
タケノコ先生の生前にもうちょっと真剣に習っとけばよかったな、と思う今日このごろ・・・
もう遅いですが、
というか、
せっぱつまってしか動かんのが私の悪いトコですな・・・(;^_^A