年神様(としがみさま)って、どんな神様? | 羽黒神社宮司のブログ

年神様(としがみさま)って、どんな神様?

いわゆる「お正月様」でありますが、大歳(大晦日)の晩に各家のご先祖さまを導いて、家々へやって来られ、家族と一緒にすごされる神様、といわれ、一般には「年神様(としがみさま)」といわれ、日本神話に登場する「大年神・大歳神(おおとしのかみ)」がこれに充てられますが、陰陽道における、いわゆる大歳神(だいさいしん)は後々、漢字が同じことからあてはめられて、大国主命=大黒天と同じような感じで習合していったものです。


では、大年神とはどんな神様かと言いますと、ズバリ、お米(稲作をつかさどる)の神様であります。

須佐之男命(スサノヲノミコト)と、神大市比売命(カムオオイチヒメノミコト)の御子にして、その御子神には、御年神(ミトシノカミ)のほかに、我が羽黒神社の主祭神であります倉稲魂命(ウカノミタマノミコト=宇迦之御魂神=稲荷の神でもあります)もおられ、さらに孫神に若年神がおられます。

年神様はお正月とお盆の、年2回各家を訪ねられるとされ、羽黒神社をはじめ当兼務社の氏子には、6月中に、大歳・御歳・若歳の三柱の年神様を祀る「除蝗神符」を頒布いたします。
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除蝗神符は田畑の害虫からの守護や、夏の疫病除けとして祀られますが、これは古語拾遺にある、「大地神(おおとこぬしのかみ)が農耕に従事する牛を殺して食べてしまったので、大歳神は大いに怒られ、田畑に蝗(うむか)を放ち、作物を食い枯らしてしまった」
という故事に基づきます。


では、どうしてお盆とお正月に年神様を家に招き入れるのか、といいますと、それは、盆・正月が農繁期から外れている農閑期だからにほかありません。


そもそも「年・歳(とし)」とは、古代には稲作(の周期)そのものを指していて、それがいつしか、繰り返す毎年の農耕行事のサイクルを「1年」=「歳(とし)」と呼ぶようになったわけであります。

実際、神社のお祭りをはじめ、日本の行事のほとんどが農耕行事に合わせて設定されていて、一年の始まりが1月1日なのに、年度初めは4月1日、というのは、田植えが始まるからであり、先祖迎えは農閑期(年神様がヒマな時期)のお盆とお正月なわけです。


お盆には、最近は見かけなくなりましたが、年神様とご先祖様に捧げるお供えを並べる「盆棚」をこさえるのが習わしで、お正月にはお鏡餅を供えるのですが、特にお正月には門松や正月飾りなどの縁起のいい飾り付けをします。
これは、年神様や帰って来られるご先祖様にたいする「目印」などともいわれます。

年末に新しくお受けいただく、伊勢の天照皇大神宮(あまてらすすめおおみかみのみや)のお札であります「神宮大麻」は、以前には「おはらいさん」などともいわれ、年神様を迎える前に、家を清めるためのお札でもあります。

また、お正月に氏神様に詣でる「初詣」は、単に一年の安泰を祈願するためだけでなく、年の初めに氏神様の境内で身を清めて、ご先祖の御霊(みたま)が籠られている鎮守の杜へお迎えに行くという意味を含んでいます。

ついでに言うと、大晦日(おおみそか)は「おおつごもり)とも読み、本来は12月31日は自宅に籠って、物忌(ものいみ)をして心身を落ち着ける日でありました。
(そういうわけで、年末からお正月を海外や温泉地で過ごすというのはトンデモナイ愚行なのであります)

また、お正月3が日は、年神様だけでなく、あらゆる神様にお休みいただくため、仕事場や台所にもお鏡餅をお供えして、包丁は一切使わず、そのためたくさん作り置きしたおせち料理を食べて過ごします。

そういえば、わが家では昔は父母が使っていた原付バイクにもお鏡餅が供えられて、三が日は運転していませんでした。




年神様(と、ご先祖様)を迎えない家、というのは、家にご不幸があって50日が過ぎずにお盆やお正月を迎えなくてはならないお宅で、その場合、戸口には「忌中」の札を貼ってお出迎えを遠慮します。


少しハナシがそれますが、以前、ご不幸があって50日が過ぎて忌中札を外しているにもかかわらず、神宮大麻の奉斎を拒否し、正月飾りや氏神参拝などのお正月行事を一切拒否された方がおられましたが、それはお正月にやって来られる年神様は申すまでもなく、歴代のご先祖様や、その年に亡くなられたご家族に対しても、まことに無礼で不敬な振る舞いであります。

年神様はどのお宅にも、その家のご先祖様を導いてやって来られます。

その時に、なにもお出迎えの用意もなく、家のお祓いさえもしないことが、どれだけ失礼なことかお考え戴きたいです。

ご不幸があって、まだ忌(いみ)のうちにあって、神祇にご奉仕が出来ないという目印が「忌中札」でありますから、忌中札が外してあれば、年神様は訪ねて来られます。


もうひとつ、

今年も、多くの方から「年賀欠礼」のはがきが届いておりますが・・・




「義妹の父が亡くなりましたので・・・」

は?
なんじゃそりゃ???


嫁の妹の旦那のお父さん・・・ということですよね?


ハッキリ言いますが、お嫁に来られた奥さんのお父さんやお母さんが亡くなられたとしても、年賀欠礼はがきを出すことは、愚の骨頂であります。

それは、「家」を否定したことに等しいのです。

嫁に来たら、実家は親戚ではありますが「別の家」です。

一昔前なら、「貴様、ウチの嫁やないんか、喪に服すつもりならさっさと実家へ帰れ!」と、ヒマを出されるくらい、嫁ぎ先に失礼なことです。

旦那は年賀状出して、嫁は年賀欠礼はがきを個人名で出していたりするのは、もう論外です。

どうも最近の「年賀欠礼はがき」には、無知では済まされない、目に余るものがあります(目的は何?)。



さ、
いつものように(スンマセン。-人-。)、大幅に脱線しておりますが(^^ゞ




珠洲に伝わる、お正月様の手まり唄だか、お手玉歌だかがありますので、むか~し描いたイラストとともにご紹介いたします。



♪正月様 正月様

どこまでございした(来られた)

くるくる山の 背なまでございした(麓まで来られた)

土産はなんじゃけ(なんですか?)

小豆餅、年餅、あまのうらの串柿

栗、数珠に掛けて

ゆずり葉を傘にして

五葉松(ごようまつ)つぼ(杖)にして

ちょいちょいとございした♪

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この絵を地元のミニコミ誌からの依頼で描いた時は亥年で、あれからもう7年も経つんですね~(;^_^A


みなさま、どうか懇ろに年神様とご先祖様を迎えられて、良いお年をお迎えくださいませ~(^-^)/