アクセント、自信ある? | はぐれ国語教師純情派~その華麗なる毎日~

はぐれ国語教師純情派~その華麗なる毎日~

国語教師は生徒に国語を教えるだけではいけない。教えた国語が通用する社会づくりをしなければ無責任。そう考える「はぐれ国語教師純情派」の私は、今日もおかしな日本語に立ち向かうのだ。

 今日は、一人の国語教師のつぶやきを書いてみました。

 

 日本が近代化してきたとき、まだ国内では様々な言葉が使われていました。日本が近代国家としてはばたくためには、すべての国民に通用する言葉(書き言葉と話し言葉)が必要でした。そこで国は、東京の山の手地域で使われていた言葉をベースに「共通語」を定めたのです。それがNHKのアナウンサーの用いる言葉であり、放送を通して国民への浸透が図られたわけです。

 ここで重要なのは、「共通語」と「標準語」とは違うということです。多くの国では「標準語」を定めていますが、日本においては「標準語」は存在しません。「共通語」は「標準語」より緩いものなのです。

 今、日本語のアクセント位置が曖昧になりつつあります。国語の授業においても、そこは弱点になっています。教科書でもあまり詳しく触れないのです。その理由はいろいろ考えられます。

 

 一つには、インターネットも含め、放送網の整備によって方言が入り交じり、特に関西弁等の方言が「共通語」を乱してしまっている。

 二つには、国際化が進み、外国人に不正確な日本語使用が肝要に許容されてきており、それによって日本人の日本語使用への意識も低下してきている。

 三つには、音楽、ファッション、ゲーム、サブカルチャーに関わる外来語が多産されることにより、アクセント位置のコンセンサスにまでは目が向けられなくなってきている。

 

 まだまだたくさんの原因が考えられるかとは思いますが、いつまで列挙していてもきりがありません。

 私は、日本語が時代と共にその環境に応じて変化していくこと自体を妨げようとは思わないのですが、それがすなわち正しくも美しい豊かな日本語が失われてしまうことを許容することと同じだとは考えません。日本語の現状と将来について、目を向けていきたいと思います。