「山寺セミ論争」 | はぐれ国語教師純情派~その華麗なる毎日~

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国語教師は生徒に国語を教えるだけではいけない。教えた国語が通用する社会づくりをしなければ無責任。そう考える「はぐれ国語教師純情派」の私は、今日もおかしな日本語に立ち向かうのだ。

 仙台の人たちが、山形のことを「仙台の奥座敷」と呼んでいるそうだ。山形が勝手に仙台の一部にされていることには不本意な気もするが、それだけ親近感を持ってくれているのならいいかという気もする。

 「奥座敷」という表現は、主に客間として使う表座敷に対して家族が生活の拠点とする部屋を意味するが、転じて都市近郊の観光地、温泉街等を指す言葉としても用いられる。

 山形の観光地の代表の一つに、皆さん御存じの「おくのほそ道」にも登場する山寺がある。実は、冬の山寺観光もなかなかに人気があるのだそうだ。

 だが、今日は真夏のお話となる。芭蕉はここでかの有名な俳句

 

しずけさや岩にしみいる蝉の声

 

を詠んだ。

 山寺というのは通称で、正式には立石寺という。切り立った山上の奥の院まで曲がりくねった1015段の石段を登るのでそう呼ばれている。高い杉木立が覆う石段の途中で芭蕉は蝉しぐれに立ち止まりこの句を詠んだのだろうとされる。

 芭蕉が訪れた頃の山寺は静寂この上なかっただろうが、時代は下り山寺はやがて観光地となっていった。現在では、土産物屋や飲食店が立ち並び、観光バスも次々と来るようになり、石段にもびっしりと人の列が連なって、なかなか閑けさは味わえなくなってしまっている。

 芭蕉は木立に降り注ぐ蝉しぐれに感じ入って創作したのだろうが、これに関して、昭和初期にある論争が起こった。

 

「芭蕉が聴いたセミの音は何セミの音か?」

 

ということである。斎藤茂吉は、

 

「やかましく鳴くアブラゼミだ」

 

と言い、小宮豊隆(東北帝国大学教授、評論家、ドイツ文学者)は、

 

「いや絶対にか弱く鳴くニイニイゼミだ」

 

と主張し、それが2年越しの論争になった。

 解明のための調査が行われた。すると、芭蕉が山寺を訪れた7月(元禄2年5月末は太陽暦に直すと7月上旬となる)にはほとんどがニイニイゼミで(ヒグラシ、エゾハルゼミ、アブラゼミは圧倒的に少なかった)、茂吉の完敗となった。強情で知られる茂吉が珍しく素直に負けを認めたという。

 厳密には、調査日と芭蕉の訪問日には10日ほどのずれがあり、正確な調査とは言えない。でも、最近の山寺では、ヒートアイランド現象などの影響により、アブラゼミもニイニイゼミも、ミンミンゼミやクマゼミにその地位をめっきりと明け渡してしまったらしい。そう考えるなら、300年後の「同日比」に果たして意味があるのかも疑わしい。今、遠くにいる芭蕉や茂吉はどう思っていることだろう。

 確かに風情としてはニイニイゼミの鳴き声の方が味わい深い。でも、うるささの中に静けさを感じることって、結構あるような気がする。私などは日頃、学校の中で随分そうしたことを味わっている。そう考えてみると、最近、学校の中もアブラゼミがニイニイゼミに変ってきている気もする。