言葉の感覚、そして日本語の未来 | はぐれ国語教師純情派~その華麗なる毎日~

はぐれ国語教師純情派~その華麗なる毎日~

国語教師は生徒に国語を教えるだけではいけない。教えた国語が通用する社会づくりをしなければ無責任。そう考える「はぐれ国語教師純情派」の私は、今日もおかしな日本語に立ち向かうのだ。

 時季外れの話題で申し訳ありません。突然、ひな人形のCMのことを思い出してしまったのです。

 小さな女の子から見るなら、「お母さん」、「おばあちゃん」、「ひいおばあちゃん」の四代がザブトンに正座して並び、順に、

 

   「母です」

   「母です」

   「ママです」

 

  伝わるなあ~「愛」人形の〇月

 

 「我が家」に伝わる雛人形を通した日本人や家族の愛というものを表現しようとしたのでしょうね。季節外れながら、このCM、みなさんも御記憶にあることでしょう。

 私は、ここでこう考えてしまいます。

 

  『「母です」とは言っているけど、代々女系で家を継いできたお宅なら別だけど、きっと、

  「母です」は「義母(はは)です」なんだろうなあ……』

 

と、CMが流れる度にそんな余計なことを考えてしまうわけです。

 そうこうしているうちに3月3日が過ぎ、今度は同じ会社の「五月人形バージョン」のCMが流れ始めます。

 

   「父です」

   「父です」

   「パパです」

 

  伝わるなあ~「愛」人形の久〇

 

 前作が好評だったのでしょうかね? 台詞が全く同じなんです。安直といえば安直ですが、ほのぼの感は前作同様に伝わってきます。まあ、子役の「こまっしゃくれ感」はちょっと癇に障りますけどね。

 ここからが問題です。「五月人形バージョン」のケースにおいては、日本社会では圧倒的に「父」は「実父」であることの方が多いわけです。ところが、「おじいちゃん」が「ひいおじいちゃん」の方を向いて

 

   「父です」

 

と言った時の発音は

 

   「chichiです」

 

なのですが、「お父さん」が「おじいちゃん」の方を向いて

 

   「父です」

 

と言う時の発音は

 

   「chichiです」

 

なんです。

 まあ、どうでもいいといえばどうでもいいことなのですが、そこで私は、

 

   『なんだ、このおじいちゃんとお父さんは言葉が違うから、「波平さん」と「マスオさ

   ん」みたいな関係の親子なんだな。「お父さん」は九州あたりからお婿さんに来たのか

   な? でも、どうせCMを作るなら、「おとうさん」と同じに「chichiです」って発音の

   できる人をあてがえば違和感なくCMを見られたのになあ、残念』

 

と思ってしまうのですね。

 

 国際化が進み、やがて世界中の人種、民族、国民はシャッフルされ、多くの人がコスモポリタン(世界市民主義者)な感覚で生きていくのかもしれません。そうしたら、もはや「国語」がさほどの意味を持たない時代となってしまうかもしれません。淋しい気もします。でも、それではいけないのではないかと思うのです。たとえそうなったとしても、日本人としてのアイデンティティを保つには、心にこの豊かで美しい「日本語」が生きていなければならないと思うのです。そうでなければ、「コスモポリタン」どころか「デラシネ(根無し草)」にすぎません。

 みなさん、私達の日本語の未来をどうかよろしくお願いします。