「間違った言葉を知らずに発する教師たち」 | はぐれ国語教師純情派~その華麗なる毎日~

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国語教師は生徒に国語を教えるだけではいけない。教えた国語が通用する社会づくりをしなければ無責任。そう考える「はぐれ国語教師純情派」の私は、今日もおかしな日本語に立ち向かうのだ。

 職員室で電話をしていた教員の口からこんな会話が聞こえてきました。

 

「いえいえとんでもありません。私なぞでは役不足ですが……」

 

 

 本人は謙遜しているつもりなのかもしれませんが、これだと逆に威張ってしまっていることになりますよね。この教員は、電話の相手の方に何かの役職か仕事かを頼まれたのですね。頼む方は低姿勢です。何とか引き受けてもらいたいわけですし、相手の忙しさもわかっていて申し訳ない気持ちなのですね。それに対して、頼まれた教員は快くその役目を引き受けたうえで、相手に対して労をねぎらうとともに、謙遜した態度を示そうと思ったのでしょう。そんな相手を思いやる者同士のやり取りであるにもかかわらず、ここに言葉の用い方の誤りによるちぐはぐが発生してしまっているのです。残念!!

 ここでは、どう言うべきだったのでしょう? 

 

「いえいえとんでもありません。私なぞでは力不足ですが……」

 

 「役不足」というのは、なすべきミッションがなすものにとってはたやすいものであるときに用いる表現です。したがって、このような言い方をしたなら、相手には、

 

「こんな仕事、俺様にとっては簡単すぎるんだよ。相手を見て、もっと難易度の高いものをあてがってくれよ」

 

といった尊大な言いぶりに聞こえてしまう危険性があります。ここは、

 

「いえいえとんでもありません。私なぞでは力不足ですが……」

 

と、

 

「私などは本当に力のないものですが、精いっぱい頑張らせていただきます」

 

というふうに述べるのが、日本語の望ましい用い方であり、日本人の美徳、美意識とされます。それなのに、子どもたちの身近な言語環境たる教師がこんな言葉を平気で用いていては困ります。

 ただ、これからは、もしかしたら自己をどんどんアピールする時代となり、

 

「いえいえとんでもありません。私なぞでは役不足です」

 

は、案外積極的で望ましい表現とされるようになっていくかもしれませんなあ。

 時代とともに言葉は変わっていきます。実に困ったものです。