6日目(4月12日)(*名前はすべて仮名です)

2:00 トイレに行く。4:00 目が覚めて起きて待合所に行く。

4:00~4:50 瞑想をする。

集中して光が現れるまでに時間がかかった。今日は映像は多くなく、昨日のように光の中にあることはなかったが、光のない状態で自分の心の中を問うて見た。

やはり一番心配なことは、死ぬまでに生きて行けるだけの糧を得ることができるだろうか、と思念していたら、醜いエイリアンの様な物がぼこぼこ現れてきたが、しばらくして明るい光に代わってきて、

「友を裏切るな」「身を慎め」「贅沢を望むな」と、自分を律する言葉がでてくる。いくつも出てくるけれど覚えきれない。短い時間かと思ったが、40分ほど瞑想していたのだ。一度醒めたが、ふたたび瞑想に入り、言葉があった。

「愚者は顧みることが無い、賢者は自分を知る」と言うものだった。正確ではないけれど、そのような言葉が浮かんだ。憂いてもしかのないことだから、この身を返りみて、つつましくして、他利の為に行きなさいと言うことなのだろう。でも最初の言葉が、「友を裏切るな」と言うことは意味があるように思えた。私の仕事の人間関係における戒めだと思った。嘘をつかないことにあろう。

6:00-30 深沼さんとおしゃべり。瞑想について形式にこだわらずにやることを話した。

6:30~7:00 内野さんがまた苛立って、また大きな音を立てているので、「やめてください」と言いに行って、言い争いになったが、「周りの迷惑を考えなさい」と言って戻る。性悪な爺さんだ。70歳だと言う。でも一度ガス抜きさせておけばいいだろう。

食事の時間、私にはない。外をぶらついて戻る。

8:30~9:00 隣の阿曾さんと話をする。山形の鳥海山の山麓の集落が田舎なんだそうだ。話しかけたら、自分の癌のことを話しだした。「多分末期癌だと思っているんだ」と言う。昨晩医者に家族を集めてくださいと言われたと言う。東京に兄さんの家族とか姪っ子がいると言うが、奥さんの話はしないので、いないのかもしれない。本人は入間の金子の方に住んでいて、畑を持っていると言う。癌の話をすると、3年ぐらい前から症状があったらしいのだが、病院に行かないでいたと言う。私も医者の言うこと聞いていなかったんですよ、笑って言う。今は癌も治る可能性が大きくなっているし、交通事故や脳溢血などと比べたら、身仕舞の時間がある。田舎のに帰って自然に触れてれば、治るから頑張りましょうと言った。昨日まで暗い表情だったけど、私と話しているときは穏やかだった。大腸癌はd生存率が高いとか、転移してもきちんと取って行けば治るとか、プラス向きの話をしたら、阿曾さんの顔に笑顔が出てきた。

阿曾さんはほんとうに元気なく歩いていた。気持ちが病んでいる、と思えた。「手術は不安?」と聞いたら、「不安だ」と答える。昨日の麻酔の先生の話や、術後の佐藤さんから聞いた話をしてあげた。今日の11時に医者から説明があるらしいのだが。見舞いの人は家族ばかりのようだ。阿曽さんの話を聞いているとドラマのように思える。私は、いつでも話しかけてくださいと言った。この人がすこしでも心を和らげていられるようになればと願った。だけど偽りを言ってはいないと思う。身仕舞の時を迎えることに少しの余裕がある病気であることを知って、心を落ち着かせてもらいたいと思った。自分にも言い聞かせていることではあるが、実際の所、開いてみないとわからない。転移していれば更に取らないといけないわけで、医者にゆだねて身を処することなどを話したのは、自分に言い聞かせることでもあった。

阿曾さんも悪くないことを願うだけだけど、わからない。ただ、癌は死に至る病であることで不安に恐れる人が多いこと、当たり前だ。それは死を恐れることと同じだと思う。自分も実際には同じ立場にあるのだ。

9:00 裕子に電話したら、穂高がこちらに向っていて、9時50分に航空公園駅に着く着くと言う。駅で待ち合わせて病院に来ると言うことになった。ほたかの旦那の哲也君も来る。あずさがお昼るに来るので、4人でお昼をしよと言うことになったようだ。

10:00-15 医師面談 長谷先生が見えて、4人が一緒に先生の話を聞く。組織から癌細胞が出たと言う。進行度はⅢb 病名:S字結腸大腸癌。進行度はⅢでリンパ節に転移しているかは開けてみないとわからない。CTスキャンで疑いがあると言う状況。写真で見るとかなり離れているので、やはり開いてみないとわからないと矢口医師が言う。

手術の内容は、患部上下10Cmづつ、計20cmの切除とリンパ節の動脈と繋がっている部分の枝部分全部を切除すると言う。合併症の発生について説明されたけど、これは幸運を願うしかない。輸血はほとんどない。もしやる状態になったら、かなりの危険度があると言う。術後、手術の内容や患部を見せてくれると言うので、裕子に写真を取るように言いつけた。合併症が怖いけれど体調の悪い人などに起こるらしい。術後はすぐに動いて歩くようにと言われた。それと「たん」をだすようにと。「たん」を出すのが大事らしい。4日目くらいから水が飲めるようになるとか。つないだところがうまくいかない怖い。腹からチューブを入れると言う。

まあ、医者に任せるしかないので、今日説明があった手術の内容を、急きょ変える時、また臓器を取るなどという時は、家族の了承がいると言うことだった。現在の私の体力は手術に十分耐えられるだろうし、治したい。それから、退院後の5年生存率は85%くらいらしい。5年間は3か月に1度、病院に来て検査を受けなければならない。内視鏡も毎回受けることになりそうだ。その前日からお腹を空にしないといけないので大変だ。5年たって転移が無ければそれなりだ。いまのところ転移は開けてみないとわからないので、術後2週間経たないと結果が出ないそうだ。だからでれば、また入院と言うことです。

一応の説明を4人で聞いた後、ほたかとてっちゃんは11時に帰った。16日にほたかは来るという。今日は無理してきてくれたのでうれしかった。

12:10 下剤を飲む。

13:00 トイレ。まだ茶色の水分がでる。そのあと気分が悪くなった。部屋で横になった。

13:30 阿曽さんと少しお話をする。

医者の説明を聞いたので、内容をおしえてもらった。進行度はⅣで尻の骨に転移していて、人工肛門をつけるという。余命平均8か月の宣告だったという。本人は68歳まで生きられて良かったという。それと話を聞かされて落ち着いたという。あとは自分蟻に頑張るという。励ますしかない。本当に末期の人に出会ってしまった。

奥さんを一人残していくのが心残りだという。

「左足がしびれるんだよ」

「どうして?」

「骨がね、癌にやられているんだよ・・、人工肛門を取り付ける手術があるみたい。大腸を切除するのは、もう手遅れなのかもしれないね。」としずかに言う。

「やるだけのことはやらないね。」と励ましにもならないことをいうしかない。少しでもはげませればと思うけれど、聞いてあげることしかできない。

話を聞いてあげることしかできないが、それで気持ちが穏やかになればな良いと思った。

阿曽さんは、「死は怖くないものだよ。死ねば楽になるから言った。父の顔が浮かんだ。彼に「鳥海山」の写真をなんとか1枚あげたいものだ。

16:30 裕子とあずさが帰る。

岸本さんが、あずさをきれいな娘さんですねという。言われると内心うれしい。

20:00~20:40 待合所のソファーで瞑想をする。集中できたけれどあまり良いものではない。内野さんがやってきておしゃべりしていた。彼が速く良くなるように祈る。花を育てる話をしていた。花を育てる気持ちがあれば本来は優しい意人なのだ。

 

午後にあずさがヴィトンのバッグも持ってきた。エド君が買ってくれたのだそうだ。今度は連休にフィリピンに行くのだという。彼は日本に来て15年、同じ会社にいる。まだ結婚は考えていないようだが、どうなるやら。婿養子になってくれるといいと思うのだが。私の苗字を残したいと思った。それはこちらの都合だ。

エドウィン・タンギラン君、いい青年だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 
 
 
 
(②につづく)