大腸癌入院日記5日目

 4月11日(金)

2020-04-12 23:46:24テーマ:癌入院日記
2008年4月11日(金)
2:00 トイレ
5:00 トイレ
5:30~6:10 瞑想・・・ とてもすごいものだった。私はベッドの上に胡坐座になり、半眼にして膝に親指を中に包んだ拳を置いて、背筋を伸ばし腹を引っ込めて深呼吸して肩の力を抜いて、息を吐き出して瞑想の姿勢に入る。目の裏側に暗闇があり、そこに手術室をイメージしようと集中した。像は浮かんでこない代わりに暗闇がうごきだし、もやもやと煙が湧くように蠢き始めたら、赤黒い色や濃紺の色などが動き始めて、その遠いところから小さな白い丸が現れて、見え隠れする。しばらくして万華鏡の様に動き出すのだ。白い光を追う。やがて黄金色の光にであった。その光の中に大日如来の姿を求めたが姿をえることはなく、そのまま薄暗くなって夜明け前の薄明りの地平を見ているようだったが、それっが突然、ヒマラヤの山々の上空を飛んでいるのだ。そしてヒマラヤを越えてチベットの高原の上を飛んでいるようで、寺院を求めたが寺院は現れずに、夜明け前の紺色の中を飛んでいるのだ。そして黄色い光が現れてそれが徐々に強い光になって、その中につつまれていく。やて草原の上を飛んでいて鹿などが遊んでいて、蝶が飛び花が咲いている場面を見ている。そしてこんどは森の中にはいっていく。熊野古道の様な道で大きな木々に覆われていた。そしてまた黄色い光が現れて、その光の中に仏像が一列に並んでいて、それらを後法の上から飛びながら眺めているのだが、お顔は見えない。
それから黄色の光が一段と鮮やかになり、光に包まれる。心地いい。心が落ち着く。その光の中にいるのではなく、それがまた動き私は大日如来のおそばにいるのでは思えた。印を結ぶ手を探すように私は宙を飛んでいるのだが、その姿の全体像が見えない。ともかく大きいのだ。そのお姿を見ることもできず、その顔をみることもできないが、その光にのって再びヒマラヤの雪山をみる。まるで大日如来の光に乗せられて飛んでいるようだに。再び大日如来の像を求めたが、現れず、光があるだけで、瞑想は終った。
ちょうど午前6時を過ぎて、周りで人が動き出している。40分も瞑想していたのだ。それだけ集中したのだ。うれしい気分になった。
瞑想して、目の裏額の当りに黒いスクリーンが現れて、そこに集中する。私の中にある「意識」が像になるのだろうか。

死後、その光明と一体化することが解脱することのように思えた。光明の中で浄化されるのではないか。世俗での行為、体や心にある執着が強いと、この光明との一体化はないのかもしれない。
世俗の「私」に執着しないようにするのが修業なのだろう。この世に執着することは、成仏できないことなのだ。後悔を残すことは、その一つだろう。キリスト教で言う「救済」と同じ構造をしているのかもしれない。

*娘がアメリカに留学した時のホムスティ先のご主人が、突然の事故で急死されたあと、しばらくして娘がアメリカで奥さんに会い、お悔やみの言葉を述べた時、彼女は、「マイクは今イエス様と一緒だから悲しいことはないわ」と言われたそうなのです。
私の父が亡くなるときの光景を思い浮かべます。苦しみから解放された時、とても穏やかな顔になった。あれは間違いなく御仏の巧妙に包まれて旅だったのだと思う。
「父逝く」 https://ameblo.jp/katsumigunji/entry-12435775604.html (1月6日のブログ)

8:00 食事どきだったので部屋をでたら、佐藤さんに出会ったので、部屋に入って少しお喋り。佐藤さんは術後3日目だ。
そこへ副師長の境さんがやって来た。顔をだして佐藤さんの様子を見に来たようだ。
佐藤さんに術後の様子を聴く。術後1日目は体を動かすだけだけど、2日目から歩くと言う。佐藤さんは腹に力が入れられないので、歩くのもままにならないという。術後の経緯を聞かせてもらったけど、まだ長く話すと疲れるだろうから、早々に退出する。

佐藤さんは手術が午後2時の予定だったのが、午後6時になってしまい、たいへんだったみたいで、手術は早い時間が良いという。待つのもつらいものがある。個室に移された時は鼻から管を入れられていたという。手術前に下の毛を剃るのだが、自分でやってもいいと言われるようだが、剃ってもらった方が良いという。手術は2時間で終わり、午後8時すぐには部屋に戻ったという。
術後9日以降には退院の可能性があるという。3日目に水を飲んでよく、4日目から重湯が出ると言う。佐藤さんは2月に病院にきて、入院まで2週間待たされて、その間、通院して検査を受けて、3月7日に入院してから手術まで一月待たされている。その待つ間が一番つらいかったと言った。これからは回復を待つだけだからと、気分も楽だよと言う。更に退院まで2週間はかかるだろうと言う。
転移を調べるのに2種間ほどかかるそうで、医者にも言われたそうだ。それからネプライザーは練習しといた方がいいよとアドバイスを貰う。まだ道具ももらってないので、ナース室にいって説明してくれるように頼んだ。

9:00~9:25 瞑想
ベッドの上で瞑想をする。明るい部屋の中で始めたので、初めは何も浮かんで来ない。ただ朝見たような光を求めて集中していたら、青白い光が現れた。光と言うか、混沌とした闇だが、それに色がついて蠢いているにだが、小さな点の様な光源が見えて、それが徐々に光線になって、段々広がっていく。私は光に覆われるような気分になった・・、いや光に包まれている。
それから黄金の光にも変わった。如来の顔らしきものも浮かんだが映像にはまだならないで大きな形だけがぼんやりと見えたのかな。衣の一部を見ているにすぎない。まるで仏像のほんの一部を見ているようで、その大きさがどれだけなのかわからないで、その足元を飛遊しているのだ。
光りを呼び出すことが少しできるようになった。然し、早朝ほどの集中は得られずに、看護師の声で中断した。再び白光に包まれた時は体が温かく感じた。
9:30 今日は曇りだ。
9:30~10:00 点滴の入れている針の部分が痛く感じられるので看護師さんを呼んで訴えた。
とても痛いので、針を抜いてもらい、お風呂の後に、付け替えると言うことにした。
10:00-45 東棟の待合室で、また瞑想をする。
人がいるところで始めるには勇気がいる。でも始めてしまえば気にならず、気持ちがいい。
しかし、なかなかイメージが湧いてこない。だいぶしてから暗い中から青白い光が現れき、その光の色がいろいろに変化する。緑色の教会のステンドグラスの様な物が現れてしばらく見ていた。青色にもなったが、まだ模様までははっきりしないし、像がまとまらない。
しかし、その後に素晴らしいことが起こった。
真っ白な光が現れた。この光を待っていた。その光が前面に広がり、まばゆいその中を遊泳する。まるで雲の中を飛んでいるようで、物凄く気持ちがいいのだ。その光に大日如来を探したが小さな像が見えたけどすぐにきえてしまい、瞬間のことだった。あとは青灰色の色合いになり、集中力がきれた。
ふたたび席に座りなおして、瞑想をする。
二度目の瞑想はすぐに光が現れて、それも青白い鋭い光で、その光が見えたり見えなかったりして、手術のベッドを思い浮かべてみた。看護師や医師が動く姿と、腹を切り裂いた場面が見えた。私の内臓が赤黒く見えた。でも具体的に処置されている場面ではなく、医師の顔も見えなかった。しかし、それの光景全体を白い光が包んできて、その中に消えた。
この光が私にはとても気持ち良いものに思えた。この光が持続できる瞑想ができるようになれば、どんなに良いだろうか。やはり、周りの音に集中力が切れた。
11:00 部屋に戻る時に、深沼さんと出会って、また待合室の席に戻り、2人でお喋り。
瞑想の話をしたら、深沼さんもやるけど、映像は出てこないという。彼は道元の本を読んだり、弘法大師の本を読んだりして、仏教に詳しい。真言密教の念仏もスラスラ出てくる。
仏教を学んでいるようだけど、どこか迷いがあるのかな。
11:25 看護師が深沼さんを呼びにきたので、分かれて部屋に戻り、お風呂に行く。
11:30~12:00 お風呂。今日は集めで気持ちがいい。これから、3時まで再び本を読もう。
12:30 山岸先生が見えて点滴を付け替えてもらう。
下の毛は剃ること、ひげは麻酔の先生が判断すると云う。
当日8:20分ごろに山気治先生が来て手術の準備のために鼻に管を通す処置をするという。当日はそれが一番大変らしい。少しオエッとなるらしい。それ一番苦手なんだけど。
それから、私の手術は、20センチ以上の腸を切るとのことだ。私の癌の位置は深いらしく、大腸は奥にあって、手前の小腸どけてから手術するのだという。深いというのは腹部の奥と言う意味だろう。私の症状は軽くないみたい。
山岸先生に「がんが転移しているかどうかは、開けてみないとわからないンでしょう?」と聞いたら、「詳しくはあけてみないとね」と答えてくれた。「悪いことは何でも話してください」と頼んだ。もし、転移があれば腹を据えて対処するしかない。
ほんとのところ、開いてみて術後の判定を待つしかない。明日(土曜日)先生の説明がある。それからだ。
11:00ごろキグナスの竹沢さんから電話あって入院していると伝えたら驚かれていた。
13:00-13:30ネプライザーの説明
看護師の野々垣さんが来てネプライザーの説明をするからと言って、私と今井さん江沢さんが呼ばれた他に深沼さんと二人の男性が、系6名が処置室で扱い方の説明を受ける。
これはタンを出しやすくするための薬を吸引するもので、10分間の間に深呼吸するものだという。煙状のものを吸い込んでは出すという動作を10分間の間に繰り返す。実験台のつもりで最初に私がやったらむせてしまった。なれれば大丈夫とのことで、術後は部屋でやるとか。
14:00ごろ、廊下を歩いていたら女性と出あった。日本人と結婚している台湾の人だと言うが、胃と十二指腸の間に腫瘍ができていて切り取って、つなげたけど、幽門が引っ張られて、うまくつながっていないのだという。内視鏡で広げるオペをするのだそうだが、もう手術は嫌だとこぼす。まだ40前だろうか。家族のために頑張って、と声をかけた。
15:00 裕子が来る。
15:30 森川先生、麻酔の先生で、麻酔について説明して同意書を取りにきた。マスイ役による合併症について説明してくれた。いろいろの項目にチェックを入れていく。アレルギー体質だとショック死に似た現象が出るのだそうだ。裕子と一緒に説明を聞く。

岸本さんは冗談も出るようになって、かなり元気になってきた。内野さん夫婦が出て行ったので、岸本さんと江沢の奥さん達としばらく楽しい話をした。
16:00 裕子は彫金の為に帰る。其の後しばらく本を読む。
17:00-17:30病棟の中をうろうろ散歩する。
17:30-18:00を読む。
18:00-18:30 待合所で瞑想をする。しばらく集中.していたら、光を呼び出すことができるようになった。はじめ雲のような状態が現われてその上に太陽のような丸い白光が現れてきて徐々に大きくなってくる。この光にしばらく集中して、その中に入っていく。それからしばらくして、その光が青色に成ったりしながら、やがて黄金の色の光に変わる。この黄金の光を見るとほんとにきれいなのだ。寺院の内部のようにも見えるし――今日は建物の壁面のように見えて、御堂の中にいるようなのだ。さかんに仏像を浮かべようとするのだが、姿を得ることができない。顔の眉のあたりが浮かんだり、所謂部分しか浮かばない・・・これ修業が足らないからでしょうね。結局像を見ることなく瞑想から覚めた。30分程度はいつでもできるような気分になってきた。

部屋に戻る途中で深沼さんに出会ったら、瞑想をしていたのを見ていたようで、「体が微動だにしていなかったよ、凄いね」と言われた。「じぶんなんかはじめるとすぐ体が動いて、その先寝てしまう」と言う。奥さんもおられたが、私が「白い光や、黄金の光を見る」と言ったら「すごーい」と言って驚いている。「瞑想は楽しいですね」と言うと、「楽しければいいんだよ」と言ってくれた。
部屋に戻ったら、恵沢さんが声をかけてきた。
「ソファーの上でよく瞑想ができるね、感心しちゃうよ。私なんかすぐ姿勢が崩れてしまうのだ」と言う。
「体動いていないですか?」
「動いていないね。」
自分でも驚くほど体が動いていないのはわかる。周りの声や動きはわかるけど、集中が途切れていない時は、動いてないのがわかる。集中しているとなかなかやめられない。今回は30分程度で瞑想を解いた。
19:00 トイレ、おしっこ、トイレの中は明るいので便座に座って本を読む。2回排便があった。
20:00-20:20 待合所で読書
深沼さんが瞑想をすると言ってはじめたが、やはり5分と続かずにやめてしまった。看護師が来て点滴が無くなっていると言うので、ナース室にいって高橋さんに点滴を取り換えてもらう。今夜は彼女が夜勤のようだ。先ほど、渡辺さんに麻酔の森川先生にひげのことを聞いといて欲しいと頼んだ。

20:25 岸本さんはイビキをかいて眠っている。今日、上条さんから電話があった。

20:30-45 新聞を読む。今日はすこし疲れたかな。21:00 寝付けないけれど、無理無理眠る。月曜日が手術だ。どうなるのかな。
明日ほたかが来る。やはり娘には会いたい。