『RecordRecord China2024年5月21日:高速鉄道で26カ所以上の駅が建設後に運用されず―中国』

という記事が出たので、眺めると、

《中国メディアの中国経営報は、中国高速鉄道の大規模な拡張工事により、各所で多数の駅が落成した一方で、海南省儋州(だんしゅう)市の海南環島高速鉄道の海頭駅のように、多くの資金を投入して完成させながらもほとんど使われていない駅が中国全国で少なくとも26カ所存在することを報じた。》とある。

《記事は初めに完成後も未使用の26駅の現状について説明した。26駅が建設後も使用されない原因は、駅の地理的条件が大都市や繁華街、観光地などから遠すぎること、周辺の交通インフラが未整備だったり、接続が行き届かず、アクセスが不便すぎること、もともとの利用客数が少ないことなどが挙げられる。》とし、

一例として「海南省発展改革委員会は23年7月、鉄道管理部門との意見交換の結果、海頭駅の利用客数予測が100人足らずで、運用開始後の利益確保のめどが立たないことが同駅運用の制限の理由だと明かした。』

『同様のケースは他にも海南環島高速鉄道の万寧市和楽駅や京哈高速鉄道の瀋陽西駅など多数見られる』とし、『湖南省株洲市の九郎山駅を紹介した。同駅は16年、長株潭都市間鉄道の開通と共に運用を開始した。当初の予測では1日平均の利用客数は100人程度を見込んでいたが、開通後は大幅な下降の一途をたどり、10人にも満たなくなったため、閉鎖された』という。

『京津都市間高速鉄道の亦荘(えきそう)駅は、完成から15年たつにもかかわらず、放置状態にある。ほかにも瀋陽市の中心から20キロ以上離れた所にある瀋陽西駅は18年12月に運用開始後、7カ月後の19年7月に運用を停止した。南京市の紫金山東駅は10年、江浦駅は11年に完成したにもかかわらず、運用されていない。』

『同様のケースは北京のような大都市の高速鉄道でも存在し、記事は次に未使用の駅が生まれた背景について論じた。中国経営報の記者が地方政府の関係者を取材したところによると、高速鉄道の建設当初は中国鉄道部が中心となって路線や駅の敷設の選定を行っていたが、最近は地方政府の投資額が大きくなり、高速鉄道開通に積極的な地方政府の発言力も増大したことが影響し、現在の高速鉄道の駅数は建設当初の「四縦四横」で計画されていた数をはるかに超えているという。』

『同駅の運用開始には赤字補填のために儋州市から500万元(約1億900万円)の補助金が必要になるといわれていた。』

『記事は最後に、「駅を新設する際に重要なのは利用客数予測が的確かどうかだ。鉄道部の設計院が新駅の計画の際に行う利用客数予測は人口密度の高い大都市ほど参考になる情報が多いため当たりやすい

、規模が小さい都市や場所になればなるほど予測が外れやすい。他には発着便数も利用客数に及ぼす影響が大きい。・・・地方政府も盲目的に政治実績を求めて高速鉄道を引こうとしてはいけない」と回答があったことを伝えた。』(翻訳・編集/原邦之)

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→いかにも中国式というべきで、中国は、19世紀後半から旧弊式の体質を変えることができないでいる。西洋思想を受け入れることに合理的な取り組みがない。
これは中国文明の本質にかかわることだと思える。
中国と日本との文明の違いは何かと言われれば、「受容と創造」の一面に尽きる。
世界史の中で、創造的な文明を発信したのは、古代エジプトやアッシリアとギリシャであって、それらをローマ帝国が一つの文明圏にしたのがローマ帝国時代であったと言える。
中国もローマ帝国と同じ役割を果たしたのが清王朝で、それを母型にして繰り返されてきた。ローマ帝国が今でも続いているのと同じだ。
文明の中心地から遠く離れた「辺境」のイスラエルや「倭」の国などが、巨大文明との出会いによって『受容』とその影響による『創造』が「起こるか起こらない」かで、道が変わる。
アメリカ文明の前に、大航海時代によって、スペインとポルトガル、そしてオランダ、イギリスと、海の覇権の変化によって、13世紀~17世紀のシステムが作られてきたと言っていい。西洋と東洋の違いとか、東洋が西洋のシステムに組み込まれていく時代が続く。
西欧の歴史が文明の質、言い換えれば人間の生活形態を変えてきたと言ってよい。
西洋の内部にあっても、変化は当然あるが、東洋の変化は小さい。インド圏、イスラム圏、海洋アジア圏と内陸アジア圏(ロシアも入る)などが文明の『受容』と『変質』『同化』が問題とされるだろう。

現代の高度に発達した『科学的産業社会文明の受容が、インド圏、中国・大陸アジア圏(ロシア、中国、中央アジア)、アフリカ圏、南米圏の国々に起きている。
西欧文明というと18世紀のヨーロッパの文明ですが、今は20・21世紀のアメリカ文明が最大の影響を与えている。言い換えると、アメリカ文明vsそれぞれ文明圏、または「文化圏」と言ってよいかもしれない。世界的覇権の確立というのは、軍事的な支配ではなく、人々の暮らし方への影響なのだ。だからアメリカ的生活スタイルを、20世紀・21世紀は受容してきたのだ。
明治維新以後に、日本は西欧に出会い、中国は日本よりも早くに西欧と出会い、アヘン戦争でその経験をしたにも関わらず、『受容』に失敗する。日本は薩摩藩や長州藩がイギリスの砲撃の前に、「目覚めて」幕府を倒す勢力になる。ある意味、明治維新は英国の清教徒革命にも似た「革命」であったと言えるでしょう。
イギリスと日本の相違よりも類似性の方が大きいかもしれない。その独創性はイギリスにあるが、アメリカとの出会いから、その本質を見抜いた日本人の「思考方法」が、中国とまったく異なると言える。

実証性はないですが、孔子が「聖人」思想を創り出した。モーゼとイエスは「創造神」を創り出した。縄文人は「自然を神」とした。日本人の先祖と言える縄文人は「神性」を「土偶」に表現した。
人に「神性」を置いた孔子と、創造神を創り出したユダヤ教とキリスト教とイスラム教、それと自然に神に「見た」縄文人との違い、シャーマニズム的な宗教の原始性において、マヤ文明やアンデス文明に近いと言えるけれど、神道に発展させた経緯において相違がみられるだろう。
いずれにせよ、文明・文化を《受容》する、または「拒否する」のと、受容して「同化」するのと、「創造する」のとでは違う進路が作られるだろう。
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今回取り上げた中国の高速鉄道の採算度外視の建設は、当たり前のことを「当たり前にやらない」中国的文化性の結果と言える。

『地方政府も盲目的に政治実績を求めて高速鉄道を引こうと』することが目的なのだ。

中国の思考方式は、過去の「聖人」を崇める儒教の「思考様式」が《尚古主義》をもたらすし、また「装う」思想を可能にした。「聖人のように振る舞う」=外見主義=建前思想を生み出した。

私は中国人の思考と行動は、常に「装う」ことで、多くに『嘘』が存在し、「嘘」を倫理的に「悪」としていないことだ。統計が嘘なのは有名だ。その統計に基づいて、高速鉄道を建設すれば、採算が取れなくなるのは当然と言える。日本の高速鉄道の技術を盗むあって、「学ぶ」のではない。インドは「学ぶ」のだが、中国は「盗む」ことに価値がある。日本から「学ぶ」なんて許されないのだ。メンツが立たない。その結果、海底トンネルが完成してすぐに使えなくなった。

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結局、中国文明は、儒教的思想そのものの欠陥があって、それを批判して、現代に活かすすべを持たない。聖人思想は、指導者を聖人化する道具で、真の変革をもたらさせない。

科学的思考が、根底においてできないのは、合理性の前に権力が常に立ち塞がるから、改革は窒息する。

鄧小平のような人物が現れたのは、中国史においては「稀有」なことで、習金平はスタンダードな類型と言えるだろう。つまり伝統に戻るのです。

アヘン戦争のときに、日本よりも先に欧州の視察団が派遣されたが、西洋の文明・文化を学ばず、中国の方が優れているとして清朝皇帝のメンツを保ったのだ。この中国と倒幕運動に動いた日本との違いが、今日の歴史につながっている。

中国は儒教批判をしない限り、変わらない。歴史的な支配思想を批判できないでいることは、儒教思想を「止揚できない」ので、進展しない。日本は江戸時代に儒学(朱子学)批判が起きたことで、突破口が開いたともいえる。

もう一つ、日本と中国の差異を上げると、仏教の役割であろう。日本の鎌倉時代、織豊時代の仏教の民衆運動が起きた、確かに中国にも太平天国などの乱があったが、今につながることがない。

中国というのは、断続の歴史であって、継承性がないと言えるかもしれない。中国人の生活形態・思想は変わらないで、一つの王朝が壊れて、また新たなお王朝ができる。面白くもない歴史と言える。

「共産王朝の衰退」が始まっていて、中国への関心が薄れていくプロセスがこれから始まるだろう。

1990年から2020年の30年が第1期、20年から50年が第二期で、50年から80年、世紀末へ向けては、どうなるか。私が見ていられるのは2030年くらいまでだから、20年代後半の変化を見ていれば想像がつくかもしれないが、見ていられるかな。不良債務の処理にこれから直面するわけだから、それを何もせずにスルーするわけにはいかないだろう。中国の膨大な不良債務は、誰も支援できないし、どの国もできないだろう。

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先進文化・技術・生活態度・思想の《受容》と、《真似》では本質が違う。その事例が高速鉄道であり、海底トンネルなのだ。航空母艦も同様と言える。

本質的には、「真面目さ」の有無でしょうね。「繕う・装う文化」では本質の改革は生まれてこない。

中国の高速鉄道が負債を高く積み上げていて、採算が取れないのに走らせる事態こそ、中国的思考だと許されるんですね。将来を見渡すしかないです。

宗教性で触れたかったことは、中国が現実的な人間に「神性」を与えたことで、そこから人間の生活態度を律する体系が「非合理的」になってしまったということです。自分の都合の良いように考える生活態度を生み出した、ということで、不可解な力への畏敬を持たないで、身勝手に行動する態度が生まれてきたということです。「自律性」のない人たちが「道徳」を説いたら嘘になる。考えれば考えるほど、違いの大きな相手と言えるでしょう。なるようにしかならないと見ていくしかないですね。どう思われますか。

東西帝国に分断したのが395年で、西ローマ帝国が滅んだのが476年です。滅ぶまでに80年はかかっていますから、まだ50年近くはかかるかも。もういません。それども中国は存在し続けており、インドがどうなるかな。孫たちの時代は面白そうだ。(笑)

 

歴史書の中に描いた中国の面白さ無し今のニュースに

かの地にて出会った人の暮らし方映像見るとあまり変わらず

(ロンドンのシナ人)

群れ為せば大声発すシナ人も一人でおればどこかおとなし

(2008年北京にて)

北京にて出会いし人らみな笑顔皐月の空に改革開放