ウィル・デユラント『文明の話』11巻の著者

 

文明の広がりが100年以上中断すると文明は滅び、再び野蛮人になる。

*100年以上中断されると文明が崩壊する。*さまざまな兆候がでてくる、一夜にして崩壊はしない
第1の兆候集団的傲慢と狂信、傲慢は人類堕落の始まり・7つの大罪でもっとも重い。謙虚さを学ぶのが大事
第2の兆候競争と選択の消滅 デユラントは「人生とは競争であり」「人生とは選択である」といった。
競争と選択は、人類の文明が発展する過程で常に伴ってきたものであり、分明を確実に前進させてきた原動力のひとつである
一部の邦や地域では学校に行ける人もいれば行けない人もいる。ビジネスができる人もいるし、できないひとも「いると規定されている。その結果、その国や地域の人々の選択の自由が奪われ、社会全体が活力を失い、分明は停滞し、後退する。
第3の兆候協力を闘争と閉鎖で代替させてしまう。社会が常に開放的で、協力が常に浸透して地域では、社会の進歩が速く、分明への貢献度もたかくなる。;社会が閉鎖的で、協力が欠如し、代わりに闘争と対立が蔓延し、外の世界から学ぶことを拒否し、自らとっていしなものすべてを虚悦する国y地位がある。、
第4の兆候集団的な精神的道徳的衰退・道徳衰退:同じ歴史がっ繰り返されるのは、人間の性質の変化が緩慢で、何世代たっても国家の性格が変わらない。:社会の基盤は人間の理想にあるのではなく、人間の本性にある。人間性の構成によって、国家の構成を書き換えることができる。
第5の兆候急進化の台頭である。「社会の進化とは、習慣と革新の相互作用のプロセスである。保守派は変化を提案する急進派と同等の価値がある。人類の歴史は何度も何度も狂信的な急進主義に陥ってきた。「フランス革命」はその典型例である。
第6の兆候暴力的手段による富の平均化である。暴力的手段を使って「富の平均化」を行うことは歴史上、珍しいことではなく、今後も一部の国や地域で繰り返される。

第7の兆候ユートピア主義の強制である。これは万能の政府、充実した福祉、平等主義的な社会といった可能な限り最高の未来を人々に約束する。ところが「地上の天国」という理想を押し付ける指導者は、収奪、混乱、腐敗、虐殺しかもたらさない社会実験の「モルモット」として扱っている。
以上の内容が当てはまるところでは文明の崩壊を招く

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毛沢東にはじまり習近平に終わると言える「集団的傲慢と狂信」

競争と選択の消滅・・・共産党員と非共産党員の二階層でしかない。

閉鎖的社会・・・孤立化路線

道徳的衰退・・・これこそ中国の文化でしょう

急進党の台頭・・・文化大革命から習近平登場の流れは、フランス革命にそっくりかも。ナポレオン皇帝の誕生のプロセス・皇帝のナポレオンのロシア侵攻で崩壊

暴力的手段での富の収奪

ユートピア主義の強制・・「習近平思想の学習?」

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中国の「中華思想の勝利による中華思想の復活」

共産主義は「近代思想の亜種」であって、19世紀末から、日本と同様に、またインドも同様に、近代文明との衝突を迎えたのだ。近代文明を「受容する」か、「排除するか」があって、これに直面したのが、イスラム教圏、とヒンズー教圏、仏教圏と儒教圏と日本文明でしょう。結局、「受容」したのは日本だけかもしれない。イスラム圏とヒンズー圏は、植民地とされた。

 

エジプトの歴史でツタンカーメンの父親であったアメンヘテブ4世の「太陽信仰」による一神教を生み出し、宗教改革を行ったが、保守派の迫害を受けて、アメン信者が「出エジプト」の物語につながっていくという説があってとても興味を引くのです。エジプトの伝統宗教の祭祀階層の反撃が成功してプトレマイオス王朝へとつらなる。追われたアメン信者はモーゼに引き連れられてシナイ半島に侵入していくというのです。エジプトでは、旧来の宗教が祭祀階級によって維持されて崩壊しないという事例になる。・・・考えると中国の各王朝を支えたのは、エジプトの祭祀階層と同じ家産官僚層なのですね。マンダリンとか知識階層と言われた儒教の担い手階層です。

 

文明が滅びる7つの兆候というのは、エジプトで起きたアメンヘテブの改革が「共産主義革命」に当たることで、これが《滅ぶ文明》と言えるかもしれないです。『中華文明』は生き残る。

中華文明が滅びるのではなくて、共産党文明が中華文明に飲み込まれていくのではないかと考える。ロシアも中国も、近代化へのプロセスで、手段として共産主義を信仰して、ユートピア主義を強制した結果、ソビエトも中国共産党も、保守主義に飲み込まれていく。ロシアはツアーリズムであり、中華は「皇帝制的官僚制支配」の古来の姿に飲み込まれていくかもしれないですね。

保守主義が強いわけで、第4の兆候に「社会の基盤は人間の理想にあるのではなく、人間の本性にある。人間性の構成によって、国家の構成を書き換えることができる。」というように、「人間の本性」は、簡単には変わらない。

ただ何が違うのかと言えば、日本の文化の受容というのは、強制的ではなくて、選択的なんですね。良いと思うものを受け入れ、違うと思うものは拒絶するか、変形して受け入れる。

他国に強制的に価値を押し付けられたのは、多分戦後のアメリカからのモノでしょうが、中国から漢字を受け入れながら、ひらがな、カタカナ、音読み・訓読みを創り出す。中国語には、前置詞がないとか、文法的にみて特異な文字と言える。

象形文字として残っているのは漢字だけかも。発音文字を持たないのは中国語だけかも、と言えるだろうか。文字の発達からみても、特異なのだ。

言語の輸入によって、新たな形態を付け加えるなどという発展をしたのは日本文明しかないと言えるでしょう。

漢字は象形文字で、中南米やエジプトなどの象形文字は消えていきましたが、漢字は、その象形的意味合いも残し、表音的意味をひらがな・カタカナに消化した。世界でも独自の言葉を持つ文明と言ってよいでしょう。

言語的に見ると中国語は孤立していくかもしれませんね。

 

ということで、文明としての「共産主義文明」は古い伝統的文明に吸収されていくと言えるでしょう。ロシアもすでにツアーリズムの伝統を打ち破る切っ掛けをなくしています。本来ならプーチンが民主主義化を図るべきであったのが、彼が伝統主義・ロシア保守主義の代表者になってしまったですからね。やはり本当の革命家が現れないと、文明は保守的に、伝統主義にそのままに終わると言えるでしょう。

ウクライナ戦争後の債務はどうするのでしょうか。金が無くなるわけで、産油国として生き残っても、あの非生産的な国土を抱えて、生産性の悪い土台を維持しなければならないのですから、正直アホですよ。これもソビエト時代の道を外れての栄華を思うからでしょうけどね。ロシア人がかわいそうですよ。それは中国も同じことですが、儒教の毒気を抜かないと無理でしょうね。

孔子を敬うかのように利用しているのが「家産官僚層」=「共産党官僚」ですから、このままですよ。

 

中国とロシアは「解脱」の切っ掛け・契機が全くないと言っていいかもしれない。悪いことにエジプトの王朝のように「強いもの勝ち」で、日本の権威の形成ができないのですね。解脱のきっかけというのは、「民主政治」への移行する「経験・思想」が全くないと言ってよいのです。「共産党」及びその思想の担ぎ手が伝統主義信仰者だし、ロシア正教も皇帝と結びついての宗教だから革新性など皆無、最後は国民次第ということで、金を持つものと持たないものとの区分によるのだけど、50年先のち中国の状況を冥途にいて知りたいですよ。一度蜜の味を知ったからね、でももう王朝の終焉で、次の王朝が生まれるだろうけど、穏やかに王朝交代ができれば、混乱得せずに済むけど、まあ、様子を見るのが一番良いかもしれませんね。

要は逃げられるも者は逃げて、逃げられないものは残る。また新華僑が、王朝の崩壊ごとに起こると言えるでしょう。清朝長崩壊後の華僑と、向こう何十年かの間に、新華僑が生まれると思うのです。私は後10年くらいは見て居られてもそこから先はわかりません。いついなくなるかわからないけど、日本に生まれてよかったです。

 

  萌え出づる峰の早蕨(さわらび)亡き人の形見に積みてみるも儚(はかな)

西行法師全歌集:尾山篤二郎校訂の夫木和歌集に収められた最後の歌(全歌集の最後の歌)

高層ビルが早蕨にみえますね~

  この国に生まれ来たれば花をめで苦しみあれど人でありえる

  気高きは富士の高嶺に花と人 生き去りゆかば風になるらし

  ただただに君を愛しむ想いににてこの世の秋を歩みおり

  人として世をおくりたる自念あり悪をこばみし心にあれば