2024.4.26

 

いよいよ5月を迎えますね。昨年も雨季になると中国各地で洪水騒ぎになりますが、『のど元過ぎれば・・」の類で、過ぎてしまえば、「何かあったの?」というように話題にもならないし、そのような洪水騒ぎに何かしら対処しようというようなことも話題にならない。不思議な国ですが、人の命が「一番安い国」トイウ「イメージでしょう。日本とは全く異なる文明だと思います。

日本は中国からの文明的刺激を受けていますが、文字にしても、漢字からひらがな・カタカナを発明し、漢字に音読みと訓読みを残し、形象文字の特徴を残し、音読みも生かしています。漢詩の影響から詩歌として、詩歌から和歌と俳句を発展させて、ハイクは今では世界的に愛される文学の一つになっています。

私にとって中国というのは、私が「南京生まれ」ということを親から聞いていて、そのように信じていたし、父も戦時中は大陸に居り、南京から引き揚げてきたのも事実です。ですから自分の生い立ちと深くかかわっていると長く考えていましたし、毛沢東の文化革命や天安門事件、さらにチベット迫害などは、私の成長過程の一部としてあるわけですが、90年代以後の中国は、親しみを覚えることはありません。21世紀になって2度、2008年北京と2012年四川省を旅行に出かけていますが、その時の印象はこの国がよくなるといいな、と思いましたが、現在では、「やはり、無理か」というニュアンスの方が強いです。一番の関心はこれからどうなるか、言う以外にないです。こちらもいつまで観察できるかわからないですからね。

それで最近ジェイコブ・ソール著「帳簿の世界史」(文春文庫)と、大村大次郎著「お金の流れで見る世界史」を合わせ読みしつつ、中国のこの先を、スペイン帝国と今一つはフランス王朝の歴史に重ねて見えるかも、と思いました。

大村氏の本にも第4章にスペインが取り上げられていますが、金の動きが経済を差ゆするというのは当たり前の話で、金が無くなれば、経済は回らないのは当然と言えるでしょう。

それで今回、「帳簿の世界史」で触れられている『会計文化』について、その文化の担い手であるかどうかと、金の動きとの関係を考えるという視点に立って眺めてみようと思ったわけです。

経済がテイクオフするには、原始資本の蓄積が問題になり、資本蓄積を「蟻とキリギリス」の例でいえば、日本は蟻さんで、中国はキリギリスでしょう。アメリカの資本の導入を図り、その理由付けが「グローバリズム・新自由主義」などでした。他人の褌で相撲を取ってきたのが中国と言えるでしょう。これはキッシンジャーがウォール街の使い役を果たした結果と言えるでしょう。

問題は原始資本をどれだけ大事にするかと言えば、「帳簿付け」がきちんとできるかという問題になります。日本は江戸時代から大福帳による帳簿付けが行われてきましたが、イタリアに始まる複式簿記のレベルとどうであったかはわかりません。

ソールは会計文化の継承者の歴史をこの本で書いていると言えるでしょう。

最初はシュメール時代から始まるのですが、ローマ帝国を経て中世時代にイタリア都市国家に会計文化が芽生えますが、ルネサンスによって新プラトン主義が、人間復興とともにもてはやされて、プラトンの理念主義的傾向が、メディチ家の歴史を通じて、継承されずに、オランダに受け継がれ、さらにイギリスへ、そしてアメリカへと

受け継がれていくことを追求しています。

いずれ、このブログに投稿しますが、「会計文化」という面白い言葉を用いていますが、戦後、私が10代のころ、村田簿記学校・・いまでもあると思いますが、簿記学校がかなり増えた時期がありました。簿記の知識が求められたのです。

日本ではこの簿記学校と、20代から30代のころにドラッガーの経営書マーケティングの書物が売れていました。50年代ではチェーンストア理論が学ばれました。

「会計文化」というのは経営に志向した現実主義的生活態度であり、そこに「倫理的要因」がぜんていとされて『信用』が大事なこととなるし、遵法による法治社会が形成されることによって、維持されていくのが「会計文化」です。

その維持されずに、衰退していく過程を古代ローマや、スペイン・ポルトガル、近代のフランスにジェイコブは見ています。アメリカの金融危機の原因も、その危険性を見て取れるとしていています。ソビエトもその類です。小室直樹氏のカッパブックのソビエト崩壊シリーズ5冊に描かれている。

要するに「正直な経営」から成り立つ文化が「会計文化」と言えるでしょう。

 

スペイン帝国が、南雨アメリカやアメリカ南部を占領していたにしても、近代国家にはなれなかったし、産業革命も起こせなかったし、金融資本を牛耳る仕組みも津kレなかったのはなぜ。

また、フィレンツェのメディチがやフッガー家があまる財力で君臨しても、近代化ができなかったのはなぜ?

中国共産党「合資」会社の経営は、果たしていかに?

フランスの王家の財政と国の財務の関係にきちんとした「会計文化」があったのか。なぜ君主がギロチンにかけられたのか?
天皇をギロチンにかけるような国民にあなたはなりたいか?

 

中国の歴史は皇帝を殺しては次の皇帝の王国を作るから、王朝の名前の変化が歴史となるが、日本は天皇に苗字がない!亡くなられて初めて年号の苗字となる。

ま、いずれにせよ国家の経営も「経営」ですからね。会計文化がどこまで正常に維持されているかが問題なわけです。

国家経済の破たんは、経営破たんと同じことですからね。でも会社ならよそに行けるけれど、国家の破たんでは逃げられないです。

ということで、中国の今後の推移に目を向けると、「合資会社中国共産党」の経営における「会計文化」のレベルの問題と言えるでしょう。

まだ読んでいる最中なのですが、思想が理念主義であるという1点において、現実把握の基本がどこまで浸透しているか、とか会計学・簿記学などの勉強のレベル、マーケティングや経営学の学習がなされておらず、習近平思想など学んでも何も役立たない。そういうことを繰り返しているわけで、アメリカと競った現在が一番華やかな時代とでも言えるのでしょうか。

ジェイコブ・ソールは『会計文化』という良い概念を創り出したと思います。

原題は「財務会計の認識と国家の興亡」というものですね。

これは新たな側面(会計)に光を当てて読み解く世界史ですが、とても重要でこのような歴史書が書かれなかったたのが不思議です。大村氏の「カネの流れで見る世界史」は結果であって、原因が「会計に対する認識の相違」にあると言えるでしょう。

中国は、結論的には、スペインやフランス、ロシアと同じような道を歩むことになるだろうということです。債務の問題がどうなるのか、中国を救う道があるのか、私の命あるうちに中国はよみがえるのか?

もう一つ、付け加えると、共産党という家計が国家財政とイコールなんですね。国家財政の崩壊が共産党という家計の崩壊になると言える。つまり過去の王朝となんら変わりがないわけで、共産党政権が崩壊しても、権力争奪戦をどのように繰り返すのか、金がなくなるとはどういうことになるのか・・・

そういう問題が出てくるように思えますね。

あと10年たつと89歳か。持つかな2034年、孫が21とか18とかになって、大人になりかけてよい年ごろだ。

もう一つ、付け加えると、「発展の原点」がどこで、その原点の仕組みがどうであったか、という問題です。30年で一回り、一世代と考えたときに、日本は1890年代と、1950年代の回帰点を持つと言えるでしょう。アメリカは独立戦争と南北戦争以後となるでしょうが、中国は1990年代になるでしょう。中国が再び原点に戻るときの政策は、外資による金づくりでした。それとアメリカをモデルに真似ばかりして、独自性がない。世界の覇権をめぐる理念による行動です。

成功体験をたどることになる。だけど中国の場合は、毛沢東は自力更生をスローガンにしたけれど、方法を間違えて多くの餓死者を出した。言い換えるとソビエトが成功例に見えたから、真似したけれど、理屈通りにはいかなかった。毛沢東の後に鄧小平がの改革開放路線で成功したが、これは他力本願であった。習近平は毛沢東路線に切り替えようとしたのだ。自分への敵対勢力が鄧小平路線であったからだ。

何が問題になるかというと、まさに「自力更生による原始資本の蓄積ができなかった」ことになる。だから鄧小平は毛沢東亡き後に、アメリカの資本をうまく使ったのだ。だが実際の力はついていないと言えるだろう。

1つには、共産党主義による貨幣経済は成立しない、と言うのが屋だしいだろう。実物経済においてのみ、理論的にはあり得るかも知っれないが、マルクスは見誤ったのだ。ミラノヴィッチの「不平等について」の第2章1節に「なぜ、マルクスは道を間違えたのか」において格差の原因を階級においたが、当時はそう見えたかもしれないが、むしろ地域的格差の方が大きいという。また「労働貴族」も現れて、彼の時代後の変化を見誤っていたと指摘している。

 

一つ取り上げることは、「会計文化」というべきお金の計算の手法を正しく学ばねば、「資本主義的成功は生み出せないということ」の強調でしょう。

つまり、「会計文化」の根付きの問題です。それでジェイコブ・ソールの本をもとに書いているけれど、今1冊。、田中靖浩著『会計の世界史』があって、これもソールと重なる話となります。これはこれで、改めて取り上げましょう。ただ田中はジェイコブの本は参考文献にあげていませんが、出版された年が同じですから知られていなかったとしても無理はないですが、重なり合うところも少なくはないですが、ともに参考になります。

今回は、ここまでして、次回スペインの話の第4章を取り上げます。

でもここまでで、中国の経済がどうなるかについては、察してもらえるところがあると思います。