藤原定家全歌集(久保田淳校訂・ちくま学芸文庫上)より
2790  生ける世にそむくのみこそうれしけれあすともまたぬ老いのいのちは 
*いきている内に世を遁(のが)れたのはうれしいことです。明日をもしれぬ老いの命にとっては。

との説明ですが、「そむく」の意味がね、期待に反しての意味か、私の疑問?「背く」、定家は何に背いたか?「生きていること」が「背くのみ」との意味でしょうかね?
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万葉集の歌に
生ける世に吾はいまだ見ず言絶(ことた)えてかくおもしろく縫へる袋は
巻四(七四六)
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生まれてから私はいまだ見たことがありません。言いようもないほどにこんなに面白く縫った袋は
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「この歌も巻四(七四一)の歌などと同じく、大伴宿禰家持(おほともすくねやかもち)が大伴坂上大嬢(おほとものさかのうへのおほをとめ)に贈った十五首の恋歌うちの一首。

この「袋」とは、大嬢から家持への贈り物のことで、この時代、袋を送ることは「苞(つと)」と言い、物を包んで送ることは中に心を込める意味もありました。次の巻四(七四七)の歌で大嬢から贈られた衣を詠っていることから、おそらくは衣の贈り物を受けたのでしょうね。「おもしろく」とは心の楽しむ様子。
そんな心のこもった贈り物を受けて、喜ぶ家持の素直な心情がこの一言からもよく感じられる一首ですよね。愛する人からの贈り物なら、それが何であれ特別なものに感じられるのはきっと時代の区別なく誰もに共通する感情なのでしょう。」
との説明がある。
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ネットで検索したら・・・Copilot→マイクロソフトのコパイロット(多分自動検索?)AIアシストだという。多分誤りだと思う。

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生ける世にそむくのみこそうれしけれあすともまたぬ老いのいのちは
この句は、日本の歌人である与謝野晶子によって詠まれたものです。与謝野晶子は、明治時代から大正時代にかけて活躍した詩人であり、彼女の作品は日本の文学史において重要な位置を占めています。この句は、生きる世界の中で慣習に従わないことが喜びであり、老いていく人生もまた尊いものであるという思いを表現しています。人々は、自分らしい道を選び・・・
**ネットでうたそのものを検索したら出てきた。これは怪しい。
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他に、「天野 翔のうた日記」より
命の歌(7/17)

新古今集・和泉式部

 命さへあらば見つべき身のはてをしのばむ人のなきぞかなしき 
*「命さえあれば亡き私を見届けることは誰にもできるが、思い出して懐かしんでくれる人は誰もいない、それが悲しく思われる。」(新日本古典文学大系)
 昨日まで逢ふにしかへばと思ひしをけふは命の惜しくもあるかな
                    新古今集・藤原頼忠
*本歌や類歌があるが、意味は「昨日まではあなたと逢えるなら命などいらない、と思っていたが、あなたと逢えた今日となってはその命が惜しい。」ということで、相手と一緒にいたい、という気持を詠んだ。
 命をばあだなるものと聞きしかどつらきがためは長くもあるかな
                    新古今集・読人しらず
*「人の命とははかないものと聞いていたけれども、つらい(恋をしている)私にとっては長く思われることだなあ。」
 生ける世にそむくのみこそうれしけれあすとも待たぬ老の命は
                    拾遺愚草・藤原定家
*ひねくれたような老人を思わせて愉快。(天野の評)
・・・・他に「命」で引いた歌が、以下4首
 逢ふ事も露の命ももろともに今宵ばかりや限りなるらむ  平家物語・平 重衡
*歌の背景には、戦に出かけて行くもののふと恋人との一夜の逢瀬が感じられる。実感がこもっている。
 いのちありて逢ひみむことも定めなく思ひし春になりにけるかな 新勅撰集・殷富門院大輔
 はかなくもあすの命を頼むかなきのふを過ぎし心ならひに    新勅撰集・藤原家隆
 恋ひわびてなど死なばやと思ふらむ人のためなる命ならぬに   続古今集・藤原為氏

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「いのち」の歌として取り上げられていたが、定家のものとは異なる。なにが異なるかというと、「そむく」の言葉にある。
そ‐む・く【背く/×叛く】 の解説
《「背 (そ) 向く」の意》[動カ五(四)]

1㋐取り決めたことや目上の人の考え・命令などに従わずに反抗したり反対したりする。さからう。「約束に—・く」「親の言いつけに—・く」
㋑謀反する。はむかう。「主君に—・く」
2 世間や、ある人のもとから離れて行く。去る。離反する。「世を—・く(=出家する)「妻にまで—・かれる」
3 予想されることと反対の結果になる。「四番打者の名に—・かぬ大活躍」「ファンの期待に—・く」
4 その方向に背中を向ける。
「結び灯台のうす暗い灯 (ひ) に—・いて」〈芥川・偸盗〉
[可能]そむける
[動カ下二]「そむける」の文語形。
[用法]そむく・[用法]さからう——「親に背く(逆らう)」「主人の意に逆らう(背く)」などの場合、目上の人の言うことを聞かないの意では相通じて用いられる。

◇「そむく」は、反抗の意思を言葉よりも行動で表す方に重点がある。「期待にそむく」「約束にそむく」「…の名にそむく」などの使い方は、「さからう」にはない。

◇「さからう」は、反抗の意思を言葉や行動で表すことで、「上司にさからって左遷される」は、従わないことから口答えまでを背景に含んでいる。

◇「川の流れにさからって泳ぐ」の使い方は「そむく」にはない。

◇類似の語「たてつく」は、よりはっきりと反対の意思を言葉と行動に表すことで、特定の対象にしぼられる。「権力(教師)にたてつく」
類語 反する(はんする)・ 裏切る(うらぎる)
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世(よ)を背(そむ)・く の解説 →「世を捨てる」に同じ。
世をそむく宿にはふかじあやめ草心のとまる妻となりけり」〈拾玉集・一〉
「よ【世/代】」の全ての意味を見る
→世を背く(よをそむく)とは? 意味・読み方・使い方をわかりやすく解説 - goo国語辞書

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「断捨離」の歌かも。
天野翔さんんは「ひねくれたような老人を思わせて愉快。」と評するが、{ひねくれた」とは思えない。

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定家の歌に触発されて詠め宇る歌・・・(自作)

世を捨てる覚悟に至り向き合えるいまある先の断捨離のこと

苦と言える思いを致すことが苦で知らずに咲けるあの花をみよ

いきものの如くにわれも生き終える与えられたるこの生ならば

人もまた神のつくれる生き物の一つにあればただ生き終える

生きているそのこと自体を楽しめば青い空こそ美しくある

一人去り二人去りして我一人残れるときの静かさの中

死ぬとき覚悟はいらぬそのままに鼓動とまりて風となりゆく

あるままに生き終えてゆく生なれば無となることのあたりまえにて

妻の手を握りて眠りそのままに目覚める朝も夢のなかかも


多分、天野さんはまだ若い世代であろう。私にはこの「背く」が引っかかって愉快な老人にはなれなかった。「世を捨てる」に同じを「背く」に見て、はじめて納得する歌になった。定家何歳の歌であろうか。六十を過ぎての歌と思えば、共感できるが、うらやましくも思う。

拾玉集・一の例歌の意味が、むしろ分からない?