偶然ですが、このような記事を記事を見つけましたので、紹介させてもらいます。

 

2024/02/03 9:51東洋経済 舛友 雄大 :中国・東南アジア専門ジャーナリス

言論の自由求め、中国のインテリが東京に大集結

中国国内の政治対立が日本を巻き込み始めた

202211月末に中国各地でゼロコロナ政策に異議を唱えた「白紙運動」が起きた際には、東京でもJR新宿駅南口で数百人が参加する集会が開かれた。(写真:筆者撮影)

日本に中国から多くの知識人が押し寄せている。中国で言論統制が厳しさを増しているためだ。属性はジャーナリスト、人権派弁護士、ドキュメンタリー映画の監督、出版業者、学者、芸術家と多岐にわたる。あたかも清朝末期に日本で西洋思想を吸収した後に帰国し、辛亥革命(1911年)をリードした先人たちのようだ。

そうした知識人の例として真っ先に挙げられるのが、歴史学者で経済学者の秦暉(しん・き)氏だ。

リベラル派の大物で、2015年には、清朝帝政の呪縛から解き放たれた中国で立憲民主主義が定着しなかった経緯を検証した著書、『走出帝政 (「帝政を抜け出す」)』(邦訳未刊)が発売停止に追い込まれた。現在は東京大学客員教授を務める。

秦氏は都内の大学などで2023年から「全球化和亜州(グローバリゼーションとアジア)」と題する連続講座を実施中で、毎回超満員となっている。

「東京で中国を再建する」

近代史に精通した作家の傅国涌(ふ・こくよう)氏も日本に身を寄せる知識人だ。彼が20111010日に『中国経営報』に発表した1911年、清朝滅亡前夜」という記事が中国で注目された。書き出しはこのように暗示的だった。

1911年、北京を支配していた人々は、自分たちの時代がもうすぐ終わるとは一人も考えていませんでした。(中略)上から下まで全員です。彼らの日記には食事や贈り物の記録がつづられており、はたからは本当に繁栄している『盛世』のように見えました」

傅氏も都内で「在東京重造中国(東京で中国を再建する)」というテーマで、清朝末期に日本にやってきた中国人思想家についての連続講座を開いている。

2010年ごろから中国の知識人の受け入れを積極的に行ってきた東京大学大学院総合文化研究科の阿古智子教授(現代中国研究)も、日本に拠点を移す中国知識人の増加を感じている。

自宅の一部を開放し、中国の知識人を受け入れてきた東京大学大学院の阿古智子教授(写真:筆者撮影)

阿古教授は2022年に、東京・中野にある自宅の一部を「亜州コモンズ」と名づけて開放し、宿泊者を受け入れている。かつて政治犯や思想犯が収容された旧中野刑務所(豊多摩監獄)の表門(通称「平和の門」)と中国陝西省の横穴式住居「窰洞(ヤオトン)」をイメージして作られたガラス張りの玄関がトレードマークだ。

ここには言論活動への統制が強まる中国や香港からのゲストが宿泊してきた。政治的事情で弁護士資格を奪われた女性弁護士、ゲイのジャーナリスト、#MeToo運動を牽引してきた女性とそのパートナーなどだ。

現在の香港では政治的な講演会などを開催することが難しくなっている。かつては香港中文大学が中華圏のホットトピックについて忌憚なく議論できる場だった。「東大をそういう場として提供することで、中華圏の言論活動を活発にし、議論を深めていきたい」と阿古教授は語る。

筆者が202311月に東大で参加したフェミニズムをテーマとするワークショップでは、30人ほどの中国人学生らがゲストである在米中国人フェミニストの言葉に熱心に耳を傾けていた。

また、同年6月に東大でポッドキャスト番組「不明白播客」のファンミーティングの司会を筆者が担当した時にも、大講義室が満員になるほどの盛況ぶりだった。ニューヨークタイムズ・コラムニストの袁莉氏がホストをつとめ、中華圏で大人気となっている番組だ。

ここ数カ月だけで、筆者は都内で、前出の連続講座以外にも、ビル・ゲイツ財団に勤めたこともある著名教育家の李一諾氏のイベント、香港バプティスト大学ジャーナリズム学院で教鞭を執る、著名ジャーナリストの閭丘露薇(りょきゅう・ろび)氏らのイベントに参加した。

これらのイベントの参加者はほぼ100%が在日華人だった。まるで、5年以上前の香港、そして10年以上前の北京の言論空間が今の東京に再現されたかのようだ。

都内の「単向街書店」で8月に開かれたイベント。左は中国出身の著名ジャーナリスト閭丘露薇氏、現在は香港バプティスト大学ジャーナリズム学院で教鞭を執る(写真:筆者撮影)

日本における知識人の大集合には、仕掛けられた側面もある。

国際交流基金や外務省のプロジェクトとして、日本とパイプがある人物を日本へ招聘する動きが2000年代後半に本格化した。

その後、この取り組みは中国で影響力のある知識人を呼ぶ方向へさらに進化した。いま中国から拠点を日本に移している著名な知識人には、そうした招聘で日本に足を運んだことがある人が多い。

大物外交官によるバックアップ

こうした知識人と強固なネットワークを形成したのが、先ごろ駐中国大使を離任した垂秀夫(たるみ・ひでお)氏だ。垂氏はメディアで「チャイナスクールでありながら中国に毅然とした態度で臨んできた」と評されることが多いが、同時に中国で人権派を含めた幅広い人脈を築いてきた。

実はそれこそが「垂さんの外交官として最大の功績」(外務省関係者)という評価すらある。

退官したばかりの垂氏は、筆者の取材に対して、日本側が「結果的に共産党を支援する形となった天安門事件以降、民主化志向の強い知識人は日本に対する関心を失っていたが、一連の訪日で民主主義と法の支配が定着した日本を再発見した。また東日本大震災発生時期に訪日し、日本人の秩序ある行動に深く感動した者もいた」と話す。

そうした中国の知識人の中には、日本の選挙期間中に訪日し、民主主義の実情に触れる機会に遭遇し感銘を受けた者もいたという。街頭演説する安倍晋三首相(当時)と握手できたなどと、とても喜んでいる様子だったそうだ。中国国内では、庶民が最高指導部と直接触れ合う機会はほとんどないからである。

垂氏は、「中国人の日本渡来ブームは、清朝末期と改革開放後についで今回が3回目。今回は中国に対する国民感情が悪い、そして来日する中国人には富裕層が含まれているという特徴がある。何十年後かに振り返って、『あの時、3つ目の波を日本社会はきちんと受け入れられていたか』という検証に耐えられるような対応を考えなければならない」と話す。

そこから見えてくるのは、富裕層が知識人を支えて、新たな政治的勢力を育てる可能性だ。垂氏は「日本に逃げてくる中国人を中国共産党の一味と捉えるべきでなく、こうした人々を逆に戦略的に取り込むくらいの発想や度量が求められるのではないか」と指摘する。

中国の知識人が日本に来る背景には、香港の自由度が低下する中で、中国政府への抗議活動の前線が香港から東京に移ってきているという側面もある。

202211月末に中国各地でゼロコロナ政策に異議を唱えた「白紙運動」が起きた際には、東京でもJR新宿駅南口で数百人が参加する集会が開かれた。

この集会の準備メンバーによると、この集会には香港のデモを継承したところがあった。例えば、参加者たちは中国当局による情報監視が難しいチャットアプリの「テレグラム」で連絡を取り合い、中国大使館員による監視に備えてマスクをつけていた。参加者には多様な意見の発出を認め、リーダーを作らず、看板に工夫を施したりしていた。

202211月に新宿で開かれた集会で、白紙運動の発端となったウルムチの火災の死者を悼む参加者(写真:筆者撮影)

中国の現状を変えたいと願う人々の集結は、今後長期的に日本、そして中国に何をもたらすのだろうか。20世紀初頭のように新たな思想的新潮流が東京で生まれ、やがて中国の体制を変えるほどのインパクトを持ちえるのだろうか。

日本への知識人の招聘を進めてきた東大の阿古教授は「まだまだですね」と話す。現時点で体制変革にコミットする中国人は多くない。

「中国が経済的にも軍事的にもかなり厳しい状況になった時に、どう声を上げるかですよね」。たとえば台湾有事などが本当に差し迫った時には、在日中国人により何らかの組織が立ち上げられるのではないかとの見方だ。

清朝末期との共通点を指摘する向きは多いが、違いを指摘する声も聞こえてくる。そもそも当時と違って、現在の中国の国力は日本を大きく上回る。ヨーロッパの大国であるロシアに勝った当時の日本は、アジアにおける政治の首都だったといっていいが、今や日本の位置づけは「文化の首都」(「単行街書店」経営者の許知遠氏)である。

そして、中国では情報管理がますます徹底されるようになり、海外からの声が国内に届く状況ではない。それどころか、中国国内は、ますます体制擁護的で愛国的な声であふれるようになってきている。

さらに、中国の秘密警察が海外在住者にも影響力を及ぼせるようになっている。日本で学ぶ香港人留学生が地元に帰った際に、留学中のSNSへの投稿をめぐり香港国家安全維持法違反の疑いで逮捕され、202311月に禁錮2カ月の実刑判決が下ったのは記憶に新しい。

体制派も反体制派も存在感高める

中国のネット上で、過激な愛国的主張を繰り返す「小粉紅」は日本にも浸透している。20238月には、福島第一原子力発電所からの処理水放出に反応して「当店の食材はすべて福島県産です」との黒板を掲げた新宿の居酒屋に中国人が突撃した動画が話題になった。その一方では、そうした店を応援するためにわざわざ食べに行く反体制的な在日中国人もいた。

反体制派の動向に詳しいある東京在住の中国人青年は、「一昔前までは中国人留学生には政治に無関心な層が多かったが、コロナ以降は、留学生の中で愛国的かつ中国共産党に近い立場と反体制派の両極への分断が進んだ」と話す。国際情勢の変化で、在日中国人コミュニティ内で政治的傾向の違いが鮮明になってきているのだ。

いずれにせよ、東京では体制派と反体制派が共に存在感を示すようになっており、今後何らかのきっかけで摩擦が起きる可能性についても想定しておく必要があるだろう。日本の国内に「もう一つの中国」が出現しつつあるとすら言える状況なのだ。

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〈歴史は繰り返す・・・〉と言われるけど、この国には、「近代」にジャンプする機会を失っている。

日本の歴史を振り返ると、意外と取り上げられていないのが、日本の「民権運動」の歴史です。板垣退助をはじめとする「自由党」の歴史。

この自由民権の運動をマルクス系の学者は高く評価していないようなのですが、この「民権運動」を起こした歴史をアジアで持つのは日本だけだと言えると思う。

インドは『独立運動』で、その指導者がまはとま・ガンジーであったことが幸いして、軍事的独裁国家にならずに済んだ。その他のアジアやアフリカなどの旧植民地の独立戦争はあっても、「民権運動」を起こした国は少ないと言える。フィリピンもインドネシアもミャンマー、カンボジア、ベトナム、タイも含めて民権運動が国民によって引き起こされたのは、アジアでは日本だけだろう。

中国では、権力の争奪戦が王朝時代から変わらないので、共産党の崩壊においても、権力争奪戦が起こるかもしれないが、国民というべきか、人民というべきか、そのレベルの問題と言える。

社会層という階層で見ても、革命をリードする知識人階層が、もはやいないように見えるし、軍人による権力争奪戦でも起きると、内乱になるだろうし、20世紀の歴史をもう一度繰り返すかもしれない。

人民の意思の問題で、近代的革命が起きないない限り、ロシアのような形態になるかもしれない。

日本に帰化した中国人も多いだろうが、中国という国は王朝が変わるたびに、華僑を世界に出していった。ユダヤ人のゲットーと同じような中国人街を世界に形成してきた。王朝が変わるたびに亡国の民を生み出している。

海を隔てた地に、アメリカのような民主化した国が誕生したら、どうなるか、とも思うけれど、人民がそれを望まないのであれば、手を差し出すことはできない。傍観するしかないかもしれない。いろいろ未来を思うけれど、私は知ることができないだろうから、私が生きているうちはこのままで、戦争など起きないようにあってほしい。多分むこう10年、2035年ごろには、方向が見えるかもしれない。

中国が日本のバブル期の10倍の規模だというので、今後どうなるのか・・・