今年のミス日本にウクライナ出身の椎野カロリーナさん 「日本人ではない」批判は不毛

 

 

国家・国民という概念への新しいアプローチが必要だと思えるわけですね。

《スラブ系日本人》の誕生であって、シナ系日本人、朝鮮系日本人、モンゴル系日本人、アメリカ系日本人、ブラジル系だペルー系だと、アフリカ系日本人もいるわけで、「日本国のパスポート」を持つ人は「日本人」なのです。

民族という血族に依存するのではなく、「日本国憲法」の理念において、それを承諾して「日本国民」となりたい人は「日本人」なのです。

つまり、「ゲマインシャフト(血縁的協同態)からゲゼルシャフト(利益協同体)への変化」が、近代社会誕生以降に起きている現象です。

「民族主義」というのは、未来を志向しないものだともいます。

「日本の文化・歴史」に共鳴して、または他の文明文化を選らんんで、そこに生きたいという「同志」が国を形成するように未来はなる。人々が、国を選べる生き方ができる。そのような時代が来る。

生まれは時の運、人生を変えるチャンスはその人個人にあってよい。

そもそも生まれ落ちた時から、人間は平等ではない。この国の国民でありたいと願うものを、古い概念で拒否するのは、それはそういいたいならば、言うななどとは言わないが、私から言わせれば、未来に向いていない思考だ、ということだろうと思うだけです。「保守」とは言わない。民族主義の極端な国は「中華思想」に固守する中国とか、「反日」でまとまる以外に何もない国とか、要はアメリカが、なぜ新しく作られた国でありながら、秩序を保つかと言えば、「国家理念」でしょう。日本も多様な日本人が共存できる「国家」であることを目指すのがよいのではないでしょうか。

そもそも日本人がどこからきて、縄文人と弥生人とではかなり違っていたり、法法民族や南方民族からの移住があったかようなので、血にこだわるのではなく、一つの理念に基づくべきだろう。

その場合、「天皇制度」と言うのが、当然問題になるだろうが、「神話」を信じること、その「非合理性」の上に秩序が成り立っているわけで、私は以前から言っているが、「天皇制」を是とする人が集まればよいのであり、否定するならよその国に移民しなさいと言いたい。これは決め事なのだ。日本人になるには「憲法」を「遵守する」上で成り立つと思うのですが、いかがなものでしょうか。ですから憲法の中身が、問題なんですよ。「党が国家を指導する」なんていうような、国民にはなりたくないだけです。