昨年の9月に中国人の経済学者の投稿記事がニュズウィークにありました。

 

ニューズウィーク日本版2023年09月27日
日本は不況の前例ではなく「経済成長の手本」

中国が「日本と違う」これだけの理由 by 練乙錚(リアン・イーゼン、経済学者)
<日本は「失われた」数十年を経験したが、実はその間も成長を続けてきた。今、中国の停滞を日本と比較する識者が多いが......>
※本誌2023年10月3日号は「日本化する中国経済」特集。失速する中国経済を検証しています。
中国経済の不調を伝えるニュースが続くなか、多くの識者は中国が1980年代後半から日本を悩ませてきたのと同じ「好況・停滞・低迷」の道をたどっているとみている。
だが、ノーベル経済学賞受賞者のポール・クルーグマンの見方は違う。「日本は警戒すべき前例ではなく、手本と言っていい」と彼は主張する。日本は1991年以降、「失われた」数十年を送ったが、その間も労働年齢人口の1人当たり実質GDPはアメリカとほぼ同じペースで推移し、45%の成長を遂げた。深刻な高齢化に直面し、人口が2008年をピークに減少に転じた先進経済にとっては容易なことではない。日本の事例で評価すべきなのは、2014年以降は若い世代も含めた労働者のほぼ完全雇用を維持しながら、この成長を達成したことだ。世界最大の債務国でありながら財政が比較的安定し、デモや暴動などの社会不安がほとんどないことも注目に値する。

(ポール・クルーグマンが指摘したことは、とても大事なことで、1990年から2020年まで、経済が低調減退しても日本ではたしかにホームレスは増えたが、私はある友人からコンビニの期限切れになる食品を廃棄するのをホームレスの人たちが並んでもらい受ける、という場面を毎日見ていたそうですが、その時に、やはり秩序があってホームレスの長い人が優先されるようだと話してくれた。無秩序に奪い合う場面を見たことがないというのだ。あのバブル崩壊時のホームレスが新宿にはかなりいたが、そのような秩序を作るところが面白いですね、いうより合理的なんですよね。奪い合うのではなく、廃棄食品がいきわたるように考える。助け合うという互助の精神が、どのような立場にあっても失わない、・・・でも考えてみれば極めて合理的と言える。あの時期でも失業率は5%を超えなかったと思う。特に若い人の失業率は低く中高年の失業率がたかったと思う。

*「経路依存性」、中国はさらに悪い状態に
一方の中国は、職探しをしていないため統計に表れないケースを含めると、若者の失業率が50%近くに達しているともみられる。しかも超成長期でさえ、年間数万件のデモや暴動が発生していた。(→まさにそのようになっている。社会秩序の安定感は大事な要因です。さらに近代経済の中では「失業」問題、雇用の安定が第一義的に重要とされている。)

中国が日本に似ているとは言えないだろう。だが日本との比較がほとんど役に立たないなら、国際社会が中国に提案している強力な刺激策や個人消費の促進といった対処法は、あまり意味を成さないことになる。(この指摘は、日本と同じように対策を考えても背景が異なるから有効にはならいと指摘している。)
そもそも中国の習近平(シー・チンピン)国家主席は、国民の消費増を望んでいない。消費行動への補助金を嫌っていることで知られる習は、先日も若者に「苦労は買ってでもしろ」と促した。2008年の世界金融危機の後、中国は4兆元という世界最大規模の刺激策で成長を一時的に安定させたが、後に再び減速した。しかもその後に残されたのは、浪費と汚職が蔓延する経済と多額の債務だった。

(→資本主義の経済成長の基本を全く理解していないから、実物経済にでももどりたいのだろう。内需改題が現代の経済においては最も大事なことで、「内需を拡大するために所得を増やす」という政策が有効になる。日本が戦後高度成長を遂げた時の、「所得倍増政策」池田隼人総理大臣の時でしたが、「貧乏人は麦を食え」の発言とともに忘れられない首相です。

でも貧乏人は麦を食えというのは、合理的な発言でもあるわけですよ。貧困に耐えて、お金を節約して・・・二宮尊徳の銅像が私の時代には必ずあった。国民を豊かにするというのは、内需を大きくするということですからね。

習近平のような器の小さい人物がトップにいる限り、トップの器量・器の大きさ以上には、組織は大きく離れないのです。企業の原則です。おすれば国家も同様です。北朝鮮の友達がいいところでしょう。

「経路依存性」という社会科学の言葉がある。人や組織は過去の経緯や歴史に縛られがちだ(つまり「歴史がものをいう」)という意味だが、そう考えれば中国はさらに悪い状態に陥るだろう。
なぜか。
2008年の刺激策では中国政府が補助金や投資、融資をハイペースで提供し、国民がそれを奪い合うような騒ぎが全国に広まった。中国の国民はその後10年、苦労せずに多額の資金を手にすることばかり考える「パラサイト(寄生虫)」と化した。
刺激策が国民を甘やかした結果は、投資効率の低下としてデータに表れている。今の中国では、同じ生産高を生み出すのに必要な投資額が20年前の約2倍に達している。
刺激策が「パラサイト」を生んだ一方、資本はその効力を失っているのだ。

(→〈パラサイト〉は中国の文化的伝統・生き方でしょうね。しかし不思議な国です。郷にいては郷にしたがえ、というように、むら(邑)社会のままなのでしょう。金をまけば群がり、ちからのある者がはねていく。動物的な力の社会なのだ。弱者ははじかれる。)

*自由市場型か、毛沢東主義か、国家主義か
同じことは、形こそ違うとはいえ、習を含めた若者たちが「階級闘争」の中で育った毛沢東時代にも起きていた。ここでも歴史を参考にするならば、中国では今後、健全な経済を維持するために必要な人的資本や適切な職業倫理の不足が予想される。
今の習には、経済政策について3つの選択肢がある。
1つ目は自由市場型アプローチ。中国ではこれは縁故資本主義を意味し、習と敵対する派閥が今も力を持っている分野だ。
2つ目は毛沢東主義的アプローチ。政治的には有効だが、かつて中国を窮地に追い込んだ方法だ。
そして3つ目は国家主義。政府が主要産業を独占し、民間部門には厳しい規制や制限を課す。
習は1つ目の選択肢は受け入れ難く、2つ目を全面的に受け入れるほど愚かでもない。3つ目のやり方を選び、それに固執することになる。
クルーグマンは正しい。2023年の中国は1991年の日本とは違う。「中国は(当時の日本より)さらに悪い状態に陥るだろう」と、彼は書いている。

(→このような見方をする中国人がいることに驚きを覚えるが、同時に中国という風土に合っては、このような人は生きられないから、外にデアざるを得ないと言える。結果的に「国家資本主義」という化け物を生み出そうとしているが、生産手段を国家という得体のしれない「官僚組織」の支配下に置くことになる。「官僚支配経済」がいかにイノベーションに乏しく、活力にかけていくかは、日本でも民営化問題で直面した問題でもある。

問題は、日本が停滞して言う間に、中国に集まった富はどのような形で、蓄積されたのだろうか。北欧型の福祉国家には程遠く、中国を、見ているとℳルクスの資本論など無縁なのだと思わざるを得ないし、合理的な計画性、そういえば、社会主義経済は計画経済だ、とか言っていたけど、「コスト計算と」「投資回収計算」なんてないんだよね。複式簿記ではないんじゃないの。高速鉄道の投資をどのように回収するんでしょうかね。

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もし、マルクスの時代に複式簿記がどの程度普及していたのかという問題もあるけれど、マルクスが、19世紀の社会で、経済行為にどこまで直接携わり、その体験から、また経験から搾取という問題を引き出したのか?現代において「商品」を〈交換価値〉で考える経済人はいるのだろうか?友達同士、同好会中間ま内で「交換」はあるけれど、商品を当時も貨幣で買う・売るとしたら「貨幣価値」=「売買価値」ということだし、交換価値は実物経済においてのみあり得る。交換価値は、経済概念としては不適切ではないか。『交換』行為は社会学的行為で、経済学、特に貨幣経済においては、「売買価値」というべきだろう。「捕虜の交換」はあっても「捕虜の売買」はない。ただ「奴隷の売買」はあった。

「搾取」と「剰余価値」という用語も現在では不適当であり、マルクスも使う「利潤」ではないのか、と思う。・・・今、資本論第1巻の1章「商品」の部分を読みながら、その商品の価値を労働の量によってはかられるという一節に接し、斎藤幸平さんには悪いが、斎藤さんなりの目で現代を語ってほしいと思いますね。マルクス的思想を基礎にしていようが良いけど、マルクス的用語を現代に用いても、何の役にも立たない。むしろ今のマルクス主義的な考えにならう人の役割は、現代語に訳すことだろう。マルクスの時代と今の時代がどれほど違うのか、マルクスの労働価値説による商品は、トルコやエジプト絨毯の店での商品の値段であった。彼女らの実働日数かける日当分が原価+利益で値付けられるが、現代の「価格」決定の内容をもとに語るべきだろう。

中国の共産主義思想が、近代を経ずに、ロシアとか中国にもたらされつた結果、大衆に理解されないままに、社会を変えたかに見えても、根本のところは、何も変わっておらず伝統的ロシアや伝統的中華が、息づいている。だから近代社会を経ずに、共産化して、再び近代社会へ戻らないと、再出発できないと思う。ロシアも本当の友達がいない。ソレンなんて言う徒花の時代を持ったことで苦労する。

資本主義は、裏を返すと「商品化経済システム」で経済活動のどこに光を当てるかで見方が借ると言える。

「資本家」という面に光を当てると、巨人資本家ではなくて、株主の大衆化によるシステム形成、

「経営者」に光充てると、経営者の技能・能力に、また経営思想等の問題が出てくるが、大企業だろうが中小だろうが、「イにベーション」は重要な要素でもあり、企業系列も問題となるだろう。

「労働者」の面でいえば、労働組合の形成と賃料交渉や、労働条件の改善、経営への参画も課題になるだろう。

コンプライアンスの問題も重要になる。法治国家の下での安定した経済活動が経営の安定化につながるわけだが、今述べたにほんでは当たり前の経済環境が、中国では育っていない事情がある。

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「中国共産党合弁会社」と見たときに、習近平という社長が、この巨大なカンパニーを無難に運営できるか?という視点で眺めるしかないだろう。人民はトップを交代させる手段を持たないからね。他方、アメリカは直接、トップを選ぶことができる。まだましだ。

いま、中国の金が日本に流れ込んでいるようで、日本の株式相場は30年前のレベルに戻りつつある。

一黙さんのブログ

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今年というか……今後の日本は上り調子で心配ない?

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最近の中国

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2024.1.122.ニューズウィーク日本版する

中国の人口が4億人を切る?...人口減少の超加速化はもはや「時限爆弾」

2年連続で人口減を発表した中国。若くて豊富な労働力が「売り」だった中国の急速な高齢化は、世界2位の経済大国の生産性への懸念材料に>

中国の人口が昨年、2年連続で減少したことが新たな国家統計(117日発表)で明らかになった。人口統計の時限爆弾がもたらす惨劇を回避しようと努める中国政府にとって大きな打撃だ。

2023年末時点の人口は14967万人で、前年から208万人減。約60年ぶりに人口減を記録した22年の減少幅(85万人)よりさらに大きい。

出生率が1.0を保っても、2100年には中国の人口は4億人未満に落ち込みかねないと、米ウィスコンシン大学の人口統計学者、易富賢(イー・フーシェン)は指摘している。労働力の高齢化も急速に進むなか、世界2位の経済大国の生産性をめぐる懸念は強まる一方だ。

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4億人というのは明治時代の清朝の時代の人口でした。日本も8000万ほどになるかも。

このまま習近平政権が続くという選択はありでしょうね。いくつかの国に分裂した方がいいかもしれないと思うのだが。

私が90歳までの10年余の時代に、大きな変化を見ることができたら面白いと思うのですが。中国が皇帝制度に戻ったりして・・・