forbes.comに《「超大国」を目指す中国の試みは失敗に終わる その理由》という記事があった。Loren Thompsonによる記事です。

 

2023.08.30

「超大国」を目指す中国の試みは失敗に終わる その理由

Loren Thompson | Contributor

米国の2大政党はすべてにおいて意見が対立していると思われがちだが、そんなことはない。中国に関して言えば、世界の覇権を米国と競う最大のライバルだとの認識で超党派が一致している。この認識は、2018年に米軍事計画の重点に据えられた。当時トランプ政権が発表した新たな国防戦略は、中国について「短期的にはインド太平洋地域の覇権を追及し、将来的には米国を追い落として世界的な優越を達成しようとしている」と記している。言葉を変えれば、中国は、世界規模の影響力を持つ軍事的優越性において米国に比肩し、やがて凌駕する超大国を目指しているのだ。

そのこと自体はもはやニュースでもなんでもない。中国政府はかねてこの願望を公然と表明し、西太平洋を経済的・軍事的に支配する強国となるべく着実に前進を重ねてきた。しかし、中国政府の強硬姿勢が強まるにつれ、世界各国は反発し始めた。さらに、内政における長年の矛盾が中国の計画を損ないつつある。中国が世界で米国並みの影響力を獲得することは、もはやありそうもない。データを見てみよう。

経済

世界人口の4%を占める米国は現在、世界の国内総生産(GDP)の約25%を生み出している。この割合は1990年当時と変わらない。一方、世界人口の約20%を占める中国が創出するGDPは、世界の約18%に相当する。つまり、中国は中所得国ということだ。国民1人当たり年間約13000ドル(約190万円)の富を生んでいるが、米国は同76000ドル(約1110万円)で約6倍を稼ぎ出している。中国は世界第2位の経済大国でありながら、1人当たりGDPでは世界で64位にすぎない。今後、中国が急成長できるかどうかは疑わしい。米紙ウォールストリート・ジャーナルは820日付の一面見出しで「中国の40年間におよぶ好況は終わった」と報じ、中国経済に広範な衰退の兆しがあると指摘。国際通貨基金(IMF)などの情報を引用して、2030年までの年間成長率は23%台になるとの見通しを示した。

⇒「高度成長期」=テイクアウトを中国は終わりました。民主主義と資本主義をとらずに国家指導型の専制政治で、『高度成長』を経験したのは、中国が初めてでしょう。ロシアがその前に試みたが、政治体制が壊れてしまったし、経済体制も不完全のままに中途半端な国のままで、ただ核武装というものに依存しているに過ぎない。核を除けば「ただの後進国」に過ぎない。

中国の高度成長は、後進国であったから「できた」話で、日本の戦後の2度目の高度成長期が、それと比較される。ちなみに一度目は、明治時代です。中国は本来なら、アヘン戦争時期、アロー事件時期などの体験を踏まえれば、日本より早く第一次の19世紀的テイクオフができたはずなのだが、エジプトやインドがそうでなかったように、中國もその後進性を根強くその二国と同様に持っていたと言える。《植民地化》の危機を許す体制が「存在していた」ということです。日本の開国と、その後の展開の違いは、第一に「西欧文明・科学・合理性を理解する能力と、その原理を学ぶ」という「受容の態度」「有無の相違」です。エジプト、インド、中国の「個性的文明」と日本の「個性的文明」の違いに答えは求められるでしょう。民度のレベルからいうと、エジプト人のアラブ文字の識字率は中国よりも高いと思うし、インドの識字率はわからないけれど、中国はある階級が文字を独占していたと言えるでしょう。

押しなべて、日本の識字率が江戸時代でも高いことに外国人は驚いていた。したがって第二に、高度成長に入るときの「基盤社会」のレベルの相違によって、高度成長期の果実の配分が、社会の土台の整備に向けられるか、向けられないかという方向性の違い、第三にさらに高度化の機運を創り出す「資本」の形態、民族資本によるか、外国資本によるかの違いです。

中国と日本の相違を見ればわかるでしょう。日本では渋沢栄一が「合本主義」と言って、民族資本による産業化、起業家を広く運動にしました。国内の資本を有効に投資させたわけです。それに対して、中国は、毛沢東とキッシンジャーが手を結び、アメリカ資本の呉越同舟を画策したので、外資導入という手立てをとり、一時は「世界の工場」と言われましたが、これを維持するためには「平和主義」でなければならないのに、習近平皇帝は「戦狼外交」を繰り広げる。「覇権狙い」の戦法だが、土台が出来ていない。鄧小平の言った意味を理解していなかった。

その結果、現代資本主義の原理を見誤ったと言える。それは資本主義を理解していないのと同じで、前近代的資本主義は「平和」を前提にしていなかった。厳密に言えば第二次世界大戦以前は、であって、1945年以降の資本主義は、「平和」を前提にするものに変わったのです。中国は共産主義的教義により、資本主義の勉強が足らない。共産主義の「貧しさの撲滅」「貧者の救済」は宗教的課題であって、永遠に残る課題ではあるが、マルクス理論は、理論としては誤りの理論であり、現代に禍をもたらせても、救済はもたらせない。経済運営において、中国は、習近平の低い知能の範囲内でしか機能しない。

「企業は経営者の器以上には大きくならない」というのが私の持論なんですが、それは「国家経営」にも当てはまるとみている。器量の大きさから言えば、習近平は小皿みたいなもので、その周りには同じような器量の者しか集まらない。

話がそれたが、テイクオフの「質の相違」これが、何よりもの問題で、日本と質が違うことで、先進国にはなれないと言って良い。⇒結論を出してしまった!要するに、高度経済成長の事例がまだ少ないので、その分析と研究がなされていないのです。多分、私がこの世を去るころに、中国と日本が比較されて、初めて研究対象としての日本が、中國との対比において、高度成長のモデルとして理化されるようになると思う。

まだ日本人自身もそれを言うには自信がない状況に有るからだが、今後中国が、この高度成長期の「ツケ」を清算することになって、かなり苦しむ時に、日本が見直されると思う。「高度経済成長の方法論」が研究されると思う。これは先進国以外の国の為政者と国民が、以下にしたら「豊かな暮らし」を実現できるかとい永遠の課題であるからです。この記事の筆者の「言い方」にそうならば、「超大国」を目指す試みは、その土台形成においてまず、失敗していると言って良い。今後、中国が急成長できるかどうかは疑わしい》と言うが、もう高度成長はおわったのだ。もう二度とこのようなことは中国には

起きないのです。言い換えれば高度成長時期に作り出した社会的なシステム維持のコストを稼ぎ出し、さらに次への投資する「利益」を稼がねば、現状をすら維持できなくなるのは明らかだ。

人口動態

フランスの数学者で哲学者のオーギュスト・コントは「人口動態は運命である」との警句を発したとされる。この基準に照らせば、中国の先行きは暗く見える。というのも、1979年から2015年まで続いた「一人っ子政策」の結果、他のどの国よりも急速に高齢化が進んでいるからだ。一人っ子政策が導入された1979年の中国人の平均年齢は20歳だった。2024年には40歳に達する。現在の予測では、今世紀半ばまでに国民の39%が定年年齢を超え、社会は高齢者の介護という大きな負担を背負うことになる。この問題は自然には解決しない。中国人女性が子どもを産まなくなったためだ。1人の女性が生涯に産む子どもの平均的な人数を示す出生率は、2022年時点で約1.1人で、人口の安定に必要とされる2.1人の半分にとどまる。労働人口の減少という課題は、中国政府が女性の権利を抑圧していることによって悪化している。中国共産党指導部に女性の政治局員はいない。

⇒中国人の特性は、長期的な計画性やその遂行に、不得手であり、常に彼らの行為の目的は、目先の『利』にある。損か得かです。この行動基準に基づく行為は、長期的な「経営」には不向きです。「一人っ子政策」などという、神も恐れぬようなことをできるのは、おそらく中国人しかいないだろう。彼らは「神すらも恐れていない」からです。人口の急激な現象がおこるのかは、わからいけど、向こう何十年間高齢化の問題と取り組まざるを得ないだろうが、建前だけの法律を作って、あとは「知らない」という無責任な政治に終わるのだろう。基本的に「政治」が誰のためにあるかといえば、リンカーンの有名な言葉の「人民」を「皇帝」に変えれば、中国の政治の本質がわかる。このような国には住みたいとは到底思えない。

外交

中国当局は、米国が中国の成長を封じ込めようとしていると非難している。それは事実だ。バイデン政権は米国の同盟強化をインド太平洋戦略の主軸に据えており、その努力を中国の険のある外交姿勢が後押ししている。オーストラリア、インド、日本、フィリピン、韓国など、近隣諸国の多くは中国の政策に断固反対の立場をとっている。ウクライナに侵攻したロシアに中国は寛容だが、それは欧州の北大西洋条約機構(NATO)諸国と太平洋の米同盟国との間に前例のない協力関係をもたらした。これまで通商上の利益を優先して対中関係の緊張化を避けようとしてきたドイツでさえ、今や戦略文書の中で中国を「構造的なライバル」と表現している。ウクライナ侵攻の大失敗によってロシアはいっそう中国に好意的になったが、同盟国というよりも依存関係にあるように見受けられる。

⇒つくづく中国は、習近平になって、彼を選んだ時の思いとは真逆の世界になっていると言えるだろう。習近平が純粋中国人だから、その思考は、100%チャイニーズなのだと言える。外国に留学の経験もないし、「内弁慶」だともいえる。

「平和的外交」を志向しない限り、常に緊張があり、いずれ疲れてしまうのではないか。中国の論理に同調するのは難しいし、基本的には嫌われているのがわかっていない。いまは金での関係でしかないから、勢いがなくなれば、矛盾が沢山出てくる。

南宋の時代に「金」との平和外交をしたときに、経済が発達したのだが、平和を守ることにおいて、安定した取引ができる。政治哲学が「パワー信仰」にある。孔子や先帝の『徳治』など、文字の上でのお遊びに過ぎない。中国人の「殺戮」の仕方がすさまじい。日本におけるような「「切腹」などという形態は生まれなかった。もともと日本とは『美意識』がまったく違うように、中国人と日本人では、「発想」において、多分共通するものはないのではないかとすら思える。

論語子罕第九の一「子、まれに利をいふ、命と仁と。」をめぐる解釈で、通常の読みは、命と仁と並んで利についても語ることが少ない、と解釈したが、

徂徠は、利について語るときは、命と仁と語った、というように解釈し、加地氏もその訳を踏襲している。

 

里仁第四の十二、「子曰く、利によりて行えば、怨み多し」という語もあるから、徂徠の読みが正しいと思う。孔子のこの言葉は中国人には深く顧みられなかった。言ってみれば、孔子の研究も、日本の儒学の方が実りは多いが、中國では孔子の名前を利用はすれど、真実学ぶことがない。なぜ日本では渋沢栄一のように「論語と算術」のような著作が明治期に読まれたか、そのような経済にあたえた影響は、日本においてこそあったが、中國には全く見rされない。現代においては尚のことです。経済活動もそうだが、外交においても「信」がない。一帯一路の債務の罠が、まさに「利によりて行えば、怨み多し」の実例であろう。現代中国人は、もう一度日本kから、孔子を学ぶべきだろう。

安全保障

中国の軍事費は世界全体の約13%を占める。米国は39%で、中国の3倍だ。購買力格差を補正しても、バイデン政権が101日から始まる会計年度に要求した国防予算8860億ドル(約130兆円)が、中国政府の努力水準を凌駕するのは明らかだ。人民解放軍は1979年にベトナムと戦って以来、大きな戦闘を経験しておらず、紛争でどの程度の実力を発揮するかは不透明だ。対照的に、米統合軍は9.11同時多発テロ事件以降、海外で軍事行動に従事し続けている。中国政府はしばしば台湾の武力統一を口にするが、実行に移す資金力に欠け、米国との対立がもたらす結果を恐れている。米国は台湾の防衛力増強を支援し、直近ではF16戦闘機用の赤外線捜索追尾システムの売却を承認した。米政界の反中派は中国海軍の軍艦建造計画のスピードに盛んに警鐘を鳴らすが、いざ戦争となれば、ステルス対艦ミサイルを搭載した数機の米爆撃機があっという間に中国艦隊を沈めるだろう。米国と米同盟国は、台湾周辺海域の船舶を追跡し標的とするため必要な技術への投資を着実に増やしている。

⇒メンツ主義の中国がメンツにこだわって軍隊を作っているわけだけど、外敵に勝ったためしがないのが、中國だ。中国が戦争をしたら、ロシア以上に苦戦するだろう。人民解放軍と武装警察と合わせるとどれだけの維持費が必要となるか。特に軍隊というのは、生産性がなく、消費するだけであるから、経済が安定していなければ、軍事費を維持できない。大体軍事費の半分は人件費に近い。装備に回る金額がどの程度であるかが問題なのだ。中国が勘違いして、台湾に攻撃を仕掛けたら、結果は見えている。

だが、中国と戦争などしたい国はどこもない。何も良いことがないからだ。唯一あり得るのは、「北京の55日」ではないが、連合国による中国共産党の解体と、民主主義化へのプロセスをあたえることだろうが、もはや今の経済状況で、中国にかかわるメリットの有無です。

技術

過去40年間の中国の経済成長は、先進技術よりも安価な労働力によって達成されてきた。安価な労働力が失われつつある今、中国政府は自国の技術基盤を成長させる必要がある。しかし、中国はソフトウエア主導のデジタル革命の可能性にてこ入れするよりも、産業活動でより良い成果を得る傾向がある。バイデン政権は、半導体製造技術の提供を制限し、クラウドコンピューティングサービスへのアクセスを遮断し、企業に圧力をかけて対中技術投資を抑制することで、この状態を維持しようともくろんでいる。北京と上海でソフトウエアエンジニアを多数雇用している米マイクロソフトは最近、中国の人材を国外に移す動きを見せている。ドルの基軸通貨としての優位性など、米国の強さの源泉について挙げられる事例はまだまだあるが、要するに、中国が国力で米国に匹敵することは恐らく決してないだろうし、ましてや超えることなどありえないだろうということだ。米政府の賢明な政策と、中国の根深い欠陥が相俟って、中国が真の超大国になることを阻んでいるのだ。

forbes.com 原文)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 ↓

中国の文化的な魅力の終焉

日本が中国から学んだ時期は、唐時代でしょう。その後江戸時代に朱子学を幕府はさいようしたものの、古学の批判を生み、国学への道を開き、明治維新への改革的思想を生み出す。江戸末に上海に渡った武士らの目に中国は、もはや学ぶ対象ではなかった。中国には世界のの人々の心を揺り動かす、感動的な文物がもはやないと言って良いだろう。私も2度中国に行ったけれど、あきれ返ることの方が多く、この国に暮らしたいという思いは湧くことがなかった。

ヒトラーのドイツの時代にカルチャー面での魅力は皆無になったのと同様に、専制政治は、カルチャーを創造することはなく、文化的な魅力もない文化となる。そのような時代は、文化的に輝くことがないので、国は衰退の方向へ向かう。

今、上に論じられた視点は、大切な視点だが、そこに暮らす人々の活力が消えていくときは、経済発展などは望むべくものではなくなる。北朝鮮やロシアのような停滞化への動きが強くなると思う。面白くない国からは逃げ出す人が増えるだろう。

私は著者のLoren Thompson 氏よりも中国の未来については否定的です。