東チベットの旅 

ブルーポピーを求めて

まえおき

ひょんなことから知り合った在日中国人のカメラマンでチベット人の学校を建てて支援している人が、チベット方面にツアーを組んで、ブルーポピーや山の写真を撮りに行くという。もう何度も実行していて、実績もある。

私たちのチベット支援の仲間二人も行くというので、中国四川省チベット族自治州稲城亜丁景区へのツアーに初参加した。

登山ではないけれど、中国の4000m級の自然と大地の光景は、ヤマレコに報告して多くの人に見てもらえたらと思って、2年前のツアーの記録をUPします。

実は、この2010年という年に私の体調の変化が起きていたのだ。64歳になった年です。

2010年は3月にインドに行き、5月に中国の承徳と北京のツアーに行き、7月上旬に会津駒ケ岳、そこでピカ姫と出会った。その1週間後に越後駒ケ岳を登ったが、足がだるかった。そしてこの7月の下旬に四川省のツアーがあり、8月に悠々クラブのメンバーと国師岳にいった。そこで足が上がらない症状がでたが、そのままにして、9月にインドに行き、帰国後1週間後の10月に娘の結婚式のためにラスベガス出かけた。そして10月のラスベガスで病気になった。

それはこのツアーのせいかもしれない。さらに9月のインドで無理をして10月にダウンした。その回復をがんばっていた時にピカ姫からの誘いがあって11月の上州武尊岳となった。そこから再び山の復活になるのだが、私の脚力の問題はこの時期に症状として出ていたのだ。

2010.7.25

成田から成都まで

成田発15:30発北京行のCA926は15:00搭乗開始。

通路から一つ中の50Eの席。隣に30代の若い男性が着席した。

まずはこの男性の話から始める。

始め日本人かと思うほど日本語が上手であったが、中国人。東洋大学を卒業して中小企業に就職。日暮里に住んでいて今回は2週間の予定で内モンゴルの奥さんの実家のあるフフホトにいくという。礼儀正しく好感がもてる。うちとけて話をした。

奥さんが出産するので奥さんが実家にいる。奥さんとは大学で出会って4年前に結婚したという。王と書いてワンさんと呼ぶ。

ワンさんは浙江省杭州の出身。父親は58歳で、文革時代に生きた人だ。

農村戸籍だったが、杭州市に移って、都市戸籍を取得したという。この戸籍のことで面白い話をしてくれた。

中国に特有の都市戸籍と農村戸籍は、移動の自由を奪うものであり、かなりの差別をうんだ戸籍制度であった。文革時代に下放された青年が農村戸籍になって、その後不遇な暮らしを強いられたという話も聞いていた。

ところが今は、農村戸籍の方が暮らしぶりには有利なのだという。なぜなら土地の配分で多くもらえるのだという。

父親の友人は水産業をやって国内取引でいまでは1億円くらいの財を成したという。父親は都市戸籍になって稼ぎ損ねたという。

それでも杭州でマンションを父親は買っている。彼にマンションを買ってあげるというのだそうだが、ワンさんは3000万円くらいするなら、日本で買いたいという。

ワンさんは自分たちの暮らしは金持ちではないが、まあまあのクラスだという。

奥さんは赤ちゃんを産んだら、半年から1年は実科で育てるという。日本で母子手帳はもらっているという。日本の病院でワンさんが「日本には一人子政策があるのかと」尋ねたら、笑われてしまったという。

一人は中国で生んで、二人目は日本で生みたいという。日本の国籍を取らせたいと考えている。ワンさんは日本に定住することを考えている。

子供の名前を聞いた。女の子とわかっているが、名前は決めていない。名前は生まれた日時をもとに寺にいって坊さんに運の良い字を一〇字くらいもらってきて、それをもとに家族会議を開いて決めるのだそうだ。ずいぶんと古風なと思ったが、やはり両家のメンツを立てるとそうなるらしい。それに親が名前を決めるとマンションが1戸プレゼントされるかもしれないのだ。

その話のついでに、中国の相続税についてきた。日本では3代続くとみんななくなるくらいに税金を取られるが、中国では数パーセントで、金持ちはずっと金持ちだという。

それに企業でも2代目は、日本だと外に勤めてサラリーマンを経験してから親の会社に入るけれど、中国では経験もなく部長だとかになって何もしないでいる、とワンさんは批判的にいう。

それとワンさんは私が中国について詳しいので驚いている。彼は今、日本で留学生を支援するような組織を作っているという。

出産に立ち会う話。

出産に立ち会うのも良し悪しで、彼の友人は出産の場面を見てからセックレスになってしまったとか、もう一人の友人はビデオを撮影していて出血の場面で気絶してしまったのだという。だから自分は奥さんの手を握って、出産のシーンは見ないことにするという。なるほどと思った。そういうこともあるんだ。

文革時代の話や歴史の話もした。ワンさんは日本に来て、一番驚いたことは、駅前で政治批判を堂々とやっていたことだという。中国だったら、明日どこにいるかわからず、永遠に出てこられなくなるといった。

彼の父親は日本に対して批判的だったが、3ヶ月ほど日本に滞在したのだそうだ。

お父さんは日本の印象が安全な国だということ、きれいだということ、年寄など日本人が親切だったことを彼に言ったそうだ。少し印象が変わったらしく、その後日本を批判的には言わなくなったとワンさんは笑って言った。

ワンさんは日本で10年を過ごして、外から中国を見るようになっていて、これからも客観的に中国を見ていくだろうと私に言う。中国にいたらたぶんわからないまあまあだろうとも言った。

ワンさんとは北京空港に着陸するまで話をした。日本に長く住んで日本人的感性を身に着け始めている。本人もそう感じているようだった。

なかなかの中国人の青年と出会った。私にはそう思えた。

 

成都へはここで乗り換え。成都行の飛行機がおくれている。

北京の空港は広くて大きい。国内線は中国人ばかり。当然だが。ロビーで服装を見ていると普通の国になってきている。政治の自由はないが、経済的にはよくなっていることを実感する。日本の高度成長期みたいだ。

 

成都まで隣に太った中国人がきて、魚の骨のにおいがして嫌だった。成都まで240人乗りの中型機。CA4020.成都まで2時間30分の飛行だ。中国はでかい。中国の大地は暗い。

24時10分に成都空港着。乱暴な着地だ。雨模様。

出迎えのマイクロバスでホテルへ向かう。ロービーは暗かった。

1時20分にホテル到着。2時20分に寝る。

便秘気味だ。