日本の登山は明治時代に「西欧的な近代登山』が輸入されて、それらのアルぴにズムと称せられ、自然主義的文学や科学の導入と同時期にもたらされたものであろう。新田次郎が小説化した「剱岳」に描かれた測量隊の柴崎と競う日本山岳会の小島鳥水との初登頂を巡る話などは、その背景を知らないと楽しめない。

明治という時代は、「坂の上の雲」を書いた司馬遼太郎でなくとも、今大河ドラマの渋沢栄一の生涯のように、社会現象のすべてが大変わりした時代なのだ。ものの見方が大きく変わった時代に、文学も影響を受けて、それまでの文語体から自然体へと変化する。和歌は短歌と呼ばれるようになり、文語律の和歌から、口語律や自由律への挑戦がはじまる。また歌い方も変わっていくのだ。そのような文学の変化の中で、「山」を通して考察したのが田部重治である。彼は日本近代登山のパイオニアの一人であり、近代登山の歴史には不可欠の人物です。百名山を書いた深田久弥も、文学とのかかわりにある。

田部 重治(たなべ じゅうじ、1884年(明治17年)8月4日 - 1972年(昭和47年)9月22日)は、日本の英文学者・登山家である。

田部の本を買いあさっている。「山への思慕」昭和21年1月5日に出版されている。敗戦の翌年にである。東大で木暮理太郎と出会い、山を歩くようになる。私が山を始めたころ、田部は実在していたのだ。私の父より一世代前の人と言える。

 

 以下『山への思慕』(昭和21年・風文書林p162~175)より、「山と詩」を紹介する。茶色部分は私が便宜上書いた。漢字も一部直してある。

 

田部重治の「山と詩」

(一 和歌・短歌)

 山の文芸がかしましく叫ばれている。叫ぶ人達の中には山に関する小説や劇を文芸の新しい方向として要求することは悪いことではない。しかし、山の小説とか劇とかはそう簡単に生れるものではない。登山は盛んになったとは云ふものの、事実の問題として山は人間の常住の場所でない以上、そこに行われる生活は登山と言う行動の範疇を脱しない以上、そこから想像される生活のj反中派限られたものであり、そこから案出される生活の様式はあまり複雑ではない。従ってそこから小説や劇を産み出すのは容易なことではなく、材料としては単調なきらいがある

 題にきれるやうになったのは’十八世紀後牛からと云はれてゐる。他の國の文芸に於てはどうがしらなにいが、少なくも英文學に於いては、山を題材とした詩が多いとは云はれない。

 英國人が登山に於てあれだけ大きな役割を演じたにも拘はらず、英文學に於ける山の詩は多いと考えられない。また幾らかあるにしても、ぞれらは詩として余り優れたものとも考えられない。浪漫主義時代の詩としてゴールリッヂのモンブランを歌ったものの如き。

 山の詩としてて最も優れたものと云はれる。しかじ、それにしてもコールリッジのものとしては大して優れたものはない。ワーズワースはあれほど自然を歌ってゐにも拘はらず、山の詩と称しうべきものものを殆ど文學に於て山の詩と称すべきものを殆ど作っていない。

 これに比べると日本に於ての状態がこれとは異ってゐる。万葉集に於いて既に山に開する有名な詩のあることは誰でも知っている通りである。日本では欧洲とことなり、山は麗はしくい存在としてのみでなく、畏敬さるべきもの、時には親しまれるべきものものとして人間の生活に昔から織り込まれていた。したがって万葉集の中には色々の意味で山をうたったものが無数にある。例へば人麻呂の歌の中だけでも山に開係をもつものが数十ある。全く万葉時代の詩人は平安時代の詩人に比して実際の自然か勝者であり、よし高山に登らなかったにしても、美しい自然にふれて、崇高なる山の姿を見た実感を歌つたらしく思はれる万葉集に於いて最も有名な山の詩として、〈赤人の富士の歌及び無名氏のそれがあり、いずれも富士山の壮麗なる姿を彷彿せしめるものであるが、外に大件家持が今日の日本アルプスを歌っているのも面白い。

  立山にふりおける雲を常夏に見れども飽かす神からならし

  立山の雪に消らしも延槻の河の渡り瀬鐙(あぶみ)浸かすも

万葉の歌は簡明、雄勁、自然の唄い方が山の叙述としては総括的な感じ

を与えるのはやむをえない。この時代に歌はれた山の多くは低山であるにもかかわらず、その山にも富士山の唄の様な草原なものをもち、ニホンアルプスの様な珍しいものを歌った詩をもったことが異数とすべきであろう。

奈良時代以後にも山の唄はあるが、多くは問題になるほどのものでなく、伊勢物語には在原業平の作に

  時しらぬ山は富士のねいつとてか鹿子班に雪の降るらむ

と云うのがあり、金槐和歌集には

  山たかみあけはなれ行く横雲のたえまに見ゆるみねの白雪

  見わたせば雲井はるかに雪しろし富士の高根のあけぼのの空

があって、何れも目立っている。これらは何れも白雪を頂いた山の壮麗限りなき姿を賛美せるものである。山と雪、これが上代の昔からの詩人の心をもっとも引きつけたものである。

 しかし、私たちの心を本当にうつ山の歌は何としても明治から始まっている。山に対する感じが一層深く、雄大な趣致は上代のものに劣らない。例えば伊藤左千夫のものなど興趣ふかい。

奈良井川さやに霧立ち遠山の乗鞍山は雲おへるかも

   秋かぜの浅間のやどり朝霧に天の門ひらく乗鞍の山

   朝湯あみ広き尾の上に出てみれば今日は雲なし蓼科の山

   信濃には八十の高山ありと云えど女の神山の蓼科われは

   松山を幾里さきなる天つへの雲まだらなり黒姫の山

   天地のなしのまにまに獣し居る山も晴れて笑める入りあり

   飯綱のすそ野を高み秋はれに空とほく見ゆ飛騨の雪山

外に彼の歌で高原をうたへるもの、峠をうたへるもの、山里をうたへるもの等色々あるが、何れもとりどりよく、本当に山を体験したものでなければ、うたふことができないと云う感じがする。

   雲霧のただよふ原に萌黄さし三月月の湖奥に浮かべり

   くぬぎ原くま笹の原見とほしの冬がれ道を山深く行く

   帰りせく寂しさき胸に霜枯の浅間のふもと日は暮るるかも

   ひさかたの三日月の湖ゆふ暮れて富士の裾原雲静まれり

   籠坂ゆ北見おろせば日に三日月のみどりせる見ゆ

   ひさ方の天の時雨に道急ぎおく山道をうらさびにけり

   富士見野のちぐさの秋を雲とぢて雨さむかりしゆふべなりけり

情熱の詩人石川啄木の作にも忘れられなぬ山の歌が二三ある。

   神のごと遠く姿をあらわせる阿寒の山の雪のあけぼの

   神無月岩手の山の初雪の眉にせまりし朝を思ひぬ

   目になれし山にはあれど秋来れば神やすまむと畏みて見る

日向に生まれ、特に山が好きであった牧水は、色々の意味に於いて本当の山の詩人であった。彼のうたえる山は多方面で、総じて山国の気分が最もよく現はれてゐる。彼の山を直接に詠ったものに次のようなのがある。

   雲らみな東の海に吹きよぜて富士の風冴ゆ夕映のそら

   雲はいま富士の高ねを離れたり裾野の草に立つ野分かな

   夕さればいつしか雲は降り来て峰に寝るなり日向高子穂

   天地のしじまわが身にひたせまるふもと野にいて山の火をみる

山間の森閑とした気分、山国の情調、時には雄大な山国の風景、寂しき廃駅の風情、自然の微妙なる官能的存在など、彼ほど巧みにとらえたものは珍しい。

   地ふめど草鞋(ぞうり)聲なし山ざくら咲かむとする山の静けさ

   山脈な水あさぎなるあけぼのの空をながるる木の香かな

   春の夜の匂える闇のをちこちによこたぱるなり木の芽ふく山

   月明し山脈こえいて秋かぜの流るる夜なり雲高く照る

   樹聞がくれ見居れば阿蘇の青煙かすかに消えぬ秋の遠空

   白雲のかからぬはなし津の国の古塔に望む秋の山々

   白雲のいざよう秋の峰あふぐちいさなるかな旅人どもは

   秋かぜや碓井のふもと荒れ寂し坂本の宿の糸繰りの唄

   峯あまた横ほり伏せる峡間の河越えむとし蜩(せみ)をきく

   水無月の山越え来ればをちこちの木の間に白く栗の咲く見ゆ

   はるばると一すぢ白き高原の道をいきつつ夏の日を見る

竹柏園派の三角幾代女史の歌は最近に読んだものであるが、無邪気な人形の歌、下町風情のをよんだ歌などのうちに、複雑な変化に富む情操をあらわしている外に、山の歌にかけても非番非凡なる才能の持ち主であることを示している。

   遠山のもえぎの衣につま形のただすぢの朝かすみしぬ

この歌は女史がまだ女学校在学中と作ときくが、観察の鋭さや優美さには勿論のこと、女らしい精操もよく表れている。

   やまなれば神いますらしおごそかにただ神々し夕映えの雲

   紫の裳裾を長くうひきてあれど立ち足る富士はますらをに似る

これは何れも山の荘厳さを叙述し得て遺憾なきものである。他に次のような歌も面白い。

   この山はさみどりの山雲ひくきかなたの山は濃みどりの山

   しまひおきし半襟のこと思ひいでぬ山のあざみの夕ぐれの色

   ほんのりと槻ひとつおき山々はうす紫にくるる秋の日

   一面のほうけすすきは風にふし富士見絵図今日の十国峠

   千曲川の照りよどむあたり山遠くその山ひだの段々畑

更に一つ槍ヶ岳に登った感じを歌ったのがある。

   槍ヶ岳の上に立ちたり立ち得たりみなわが胸にかちえし心

これはワーズワースが虹を見て作った詩のように、自然に対する作者の感情がを巧みに歌い、自然を彷彿せしめるもので、女史の咲くには人間や動物のそうした躍動的な感じを歌ったものが多く、いずれも活々と成功している。

以上の輪かは別に代表的に云う意味であげたのではなく、ただいま手元にある歌集から思摺路いと思ったものを抜き出したに過ぎない。まだ多くの過去の歌人や生ける歌人の山の歌のうちにも多くの優れたものを見い出す事こんなんではなかろうと思われる。

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田部重治氏は明治時代の日本の近代登山の先駆者の一人です。「山と渓谷」という登山の専門雑誌に名を連ねている。

彼が英文学者であり、岩波で「のワーズワース詩集」を出版しているので、この「山と詩」の冒頭は、一部省略しているが、文学論です。しかし、私は山を詠う和歌を万葉集に求めたり、また近代短歌で日本百名山を詠んだ短歌を探しているのですが、改めて田部氏の指摘する西洋の文学・特に詩歌の分野で、山が取り上げられていないという指摘は、きわめて奇異に思えた指摘であったのですが、それはまた日本の自然観、生活習慣が、いかに西欧と違うかと言うことを際立たせるものなのでしょう。

中國の漢詩に、山を対象にしたものがあるであろうか。詳しくは知らないが、ただそこにも日本との違いがみられるのではないかと思う。もともと、和歌を発明したところから、日本は独自の道を歩み始めたと言ってよいと思うのです。

さらに江戸期に入り、俳句が風靡するに至るのも、日本的でしょう。これはまた日本語と言う、世界でもまれな言語に由来するもので、漢字の採用からはじまり、ひらがな、カタカナの発明、さらに助詞の発明という、中国語から独自の進化を遂げていく過程で、それらを牽引したのは、縄文時代以降の言語が、漢字を利用して表記すると言うことから始まったけれど、それでは日本的感性に合わない部分があったのだと思うのです。今では古典と言う分野の平安時代や奈良時代の言葉は、言語学的にみて日本文化の特異性を解明できるかもしれないですね。

いずれにせよ、山を対象として、自らの心境を重ねるとか、描写すると言う詩形を発明したのは、日本語と言う言語があってのことではないでしょうか。本質的には「自然観」の相違が、日本は際立っているのかもしれません。

山に神が住まわれると言うのは、日本だけではなく、インド、チベット、中国にもあると思うのですが、

 

近代短歌は正岡子規にはじまり、与謝野鉄幹や大町桂月などによって全国の山々が詠われ、啄木の岩手山、牧水の浅間山、茂吉の蔵王・鳥海山、空穂の槍ヶ岳、そして柳瀬留治の「立山」などと言う山嶽の歌集が生まれる。

歌人と山が人生を通してクロスしているのだ。西欧の詩に山の詩歌が無いのは、「人生」と山がクロスすることが無いのではないか?または自分と山とを一体化して発送することが無いのではないか。つまり、私とあなたと言う区別と同様に、主体と客体として自分であり、山である、という捉え方にあるかも知れない。あくまでも山は『自然』という客体化されるものの一部でしかないので、つまり物理的にこの山の成形の原因とか、地質学的な特徴とか、地理学的な分析として山が見られていて、山に神様がいるなんて言う発想とか、感覚的に山を神秘だなどととらえる感性が無いのではないでしょうか。

天上にイエス・キリスト、またはアッラーのみあって、山に神がおられるなどと言うのは日本だけとは言わないが、西欧から見ると「非合理的」であり、呪術的でしかないのだ。

私の敬愛するMAX・WEBERは歴史の過程を「合理化への過程」ととらへて、『魔術からの解放』を宗教社会学の中で明らかにしようとし、「近代資本主義文明」をその成果としてとらえて肯定的に評価した。しかし、近代資本主義の暗い面をも見ている現代人にとって、『魔術からの解放』を肯定しても、他方で日本人の持つ思想の「非合理性」を一概に切り捨てることはできないように思える。ただこれはまた違う話題なので、今回は、西欧には、日本の様な山を取り上げた詩歌がきわめて少ないと言うことだけにしておきましょう。

日本の詩歌の中でも際立って短歌の中で山は詠われる対象になっているし、歌人も歌っている。次に田部が取り上げた歌

を見ていくことにしましょう。

  神のごと遠く姿をあらわせる阿寒の山の雪のあけぼの      啄木

  目になれし山にはあれど秋来れば神やすまむと畏みて見る

  やまなれば神いますらしおごそかにただ神々し夕映えの雲    三角幾代 

などは、神住まう山を前提にする。牧水の歌にもその自然に対する態度は日本人の感性をあらわすものと言えるだろう。むしろ、合理化のプロセスにおいても、その合理化に寄り添える非合理的部分と、寄り添えない部分とがあるのではないだろうか。または、合理化のプロセスが、西洋式だけではなくて、イスラム的、チャイナ的、日本的合理化があって、それぞれの合理化がいくつにもあって、その合理化された形態がぶつかり合うと言うことになる。

この三首共に「神」を置いていますが、啄木は雄阿寒岳の姿の現れ方を神の出現のように厳かに感じたのであろう。私もこの経験はある。

二首目の啄木の歌も、山を見る態度を神に礼拝するような思いで見ていることを詠んでいる。

三角の歌も黄金の夕焼けの空の美しさが、神の働きと言える。