短歌の詠う百名山 17 朝日岳

 

朝日岳は百名山の東北の山の中で、奥まったところにあり、歌人の目につかない山でもある。それだけに短歌で詠われる機会のすくない山です。同じ山形の山でありながら、斉藤茂吉は歌っていない。これは私が知った歌としてですが、いずれにしても少ないと言えるでしょう。

日本山岳短歌集において取られている歌にあって、

下り来て振り返り仰ぐ朝日山の踏みにし雪は雲の間に見ゆ 結城哀草果

神山の笹小屋に住む山犬も暁寒からむ焚火に寄れり     同

山の湖の岸を吾がゆく朝早し向ふの山に郭公啼けり    神保樵限

(朝日連峯)

日本海より吹きつくる風は寒ざむと雨も父ぜつつ夕暮れにけり 國井葭村

雨風の荒れなぎたれぱ頂にはるばると佐渡ヶ島も見えたる    々

群山のはるばる北へ連なれる月山の奥に鳥海山見ゆ       々

 

というものであり、国井のうたの二首目は以東岳から詠んだものではないかと思う。朝日岳の山頂から佐渡島が見えるとは思えないからだ。

三首目は朝日岳の頂からなら見れると思う。

 

深田久弥が引く歌に結城哀草果の歌が二首添えられている

 

奥羽山脈に接して太平洋に出づる日の荘厳をわが生涯の奢りとぞする

太平洋に日は昇りつつ朝日岳の大きな影を日本海のうへにさだまる

 

いずれも規模の大きな歌です。

この山は都会派の歌人には縁のない山であり、茂吉さえも詠うことが無かったのである。大正15年ごろから知られるようになると深田は書いているが、彼は昭和の初期に登ったと言う。深田は実際に朝日岳の山頂で日の出をみて、哀草果の歌を実感していると書いた。

今一般に歩かれている大鳥池から大鳥川の道などは、当時は道が無く、「ヘソまで浸るような渡渉の連続だった」と書いている。

私が昭和44年代に昭文社のブルーガイドブックを買い、読んだときには恐れをなして到底足を踏み入れることができない山の印象を受けた。当時280円と定価にある。

つまり、そのように山深く、いまのように大衆に知られるような山ではないがゆえに歌に詠まれる機会は極めてすくなく、ゆえに歌を探すのも困難なのだ。

この現代においても、朝日錬歩への登山は交通の便がきわめて悪いので、よほどの山好きでないと挑めないと言う山だし、まして縦走となるとタクシーを利用しないとできないだろう。むかしのようにバスが走っていないからだ。

 

私が探した哀草果の歌。たぶん哀草果はこれ以上の歌を詠んでいるであろう。手元に彼の歌手が無いから、いずれ改めて結城哀草果と朝日連峰と言うテーマで書いてみたい。

 

大朝日山荒川谷はいまだ明けず夜ごもる雲の生々とをり

目下に四方の群山ねむれるを大朝日の山上射る日の光

雪渓に幕とたれし雲ぞきて朝日山塊青しもこごしも   

(以東岳)

以東岳の雪渓(せつけい)の水あつまりて滝は孤独のひびきあげおり

以東嶽たたまる尾根の昏(く)れしのちも天のあかりに雪渓がみゆ

以東嶽のけはしき崖を水は落つ出谷川(でやがは)となる源ならむ

わが死なば骨を粉にして以東嶽お花畑の風にし飛ばせ

 

確かに最後の歌の気分はわかる。もし人が初夏の稜線を歩いたならば、道の左右に広がるお花畑と残雪に心を奪われることは間違いないことだろう。私はそれを飯豊で体験した。朝日錬ピこの朝日も同様の風景を見せるにちがいない。

私もそのようにしてほしいかな。

 

盗作:わが死なば骨を粉にして奥穂高巌の嶺の風にし飛ばせ

 

そう私の青春、人生に大きく穂高岳はかかわっている。哀草果の歌はこれから生涯私に着いて回る歌になるだろう。

 

朝日岳の連峰を私は偶然にも山中2泊して縦走を2000年の10月にしたことがある。郡山の山の会の山行に参加させてもらったのだ。

私の手元に昭和44年のブルーガイド(昭文社刊)「飯豊・朝日・出羽三山」と言うのがあって、1969年の本に朝日岳の縦走の説明がある。半世紀前のガイドブックです。これを紹介させてほしい。この文章を読みながら山に憧れていた青年がいた。しかし、1970年の山をもってその後20年山を封印してしまったのだ。だから40年後に朝日連峰に挑んだと言えるのだ。

p83-84

「大朝日小屋から大鳥池北岸の大鳥小屋まで合計9時間であるから、体力と時間を上手に配分し、自然観察の眼を大いに開いて楽しみたいコースである。

 大朝日小屋を発つとすぐにひろびろとした這松帯の鞍部、そして右手東斜面に大朝日小屋の水場金玉水がある。やがて中岳、西朝日岳と道はつづくが、この鞍部の東側と竜門山から寒江山へ至る回の東側には稜線近くに巨大な雪田が発達している。寒江山付近は連眸中高山植物の宝庫ともいうべきところで、ヒナウスユキソウ、ヒメサユリ、ウサギギク、ガンコウフン、チングルマ、コバイケイソウなど、そのほか数々の花畠が眼を楽しませてくれる。二方境までくれば、縦走路はすでに半ばとなり、連峰最後の雄峰以東岳の迫力ある山容が眼前にせまる。三方境から下った鞍部が狐穴で広い草原の中に冷い流れが走って休息を誘う場所である。2、3のゆるいピークをすぎ以東岳への登りにかかるがまだ天上の楽園は終らない。アオノツガザクーフ、ミヤママツムシソウ、ヨツバシオガマなど多彩な高山植物の群落がつづいている。

 以東岳頂上について、ふりか丸って眺めるえんえんたる国境主脈とすでにはるか彼方にへだたった主峰大朝日岳のたたずまいには今日1日の感慨とともに朝日連峰の大きさを痛感させられる。北方の脚下には熊の皮を拡げたような大鳥池がブナ樹海の中に光っている。以東岳頂上西方にある以東小屋は避難小屋で、水にも不便なので縦走の終りはやはり大鳥池の東側を辿り北岸にある大鳥小屋に泊るのがよい。

 縦走は好天に恵まれれば小屋泊りで十分果すことができるが、キャンプを望む人には金玉水、竜門山、狐穴にそれぞれ幕営適地がある。また、北寒江山から二面へ至る相模山尾根へちょっと下っての善六の池も環境のよい泊地である。大鳥小屋からの翌日は、早朝暗いうちに出発して、皿淵をへてパスの終点大鳥まで強行し、ここから日本海岸の名湯・湯野浜温泉あるいは鶴岡市郊外の湯田川温泉に直行して、山の汗と一日の疲れを流すのもよい。

(大朝日小屋から以東岳まで主稜13キロの間には2つの避難小屋がある。一つは竜門山の北350mにある竜門小屋、2つ目は三方境の北四〇〇mの狐穴小屋である)」

 

この時代と小屋の配置は変わっていない。