短歌の詠う百名山 20 吾妻山

深田久弥の文章を引いてこの山を説明すれば、そのすべてのページを引用せねばならない。
私流にまとめてみれば深田の言う如く、「一口に東屋と呼んでも、これほど漠然としたt神どころのない山もあるまい」という通りに、福島と山形にまたがる山脈でありながら、これと言った盟主的な際立つ山がない。一番親しまれているのが福島市から見える吾妻富士と呼ばれる大きな噴火口を見せてしかも簡単に登れる山である。その背後の一切経山と五色沼が知られており、東大巓、西大巓と二つの山群に分けられて知られる。一番高度があるのが西吾妻山で唯一2000mを保つ。白布温泉からスキー場を利用して登るコースが一般的で、この山脈を縦走するのはまれなように思える。
そういうわけで、深田も書いているが、吾妻山の名前の由来は、古記に「実の名は一切経山なれども、土俗総称して吾妻山という」ところからなずけられたと言う。
以下歌人の詠める吾妻山の歌
「日本山岳短歌集」から
月読の光り曇りて吾妻やまこよひは見えず雲来るらしも     佐藤嘲花
遠山山の雲もはだらに春日さすこの街道はゆけど飽かずも     同
たそがるる吾妻の富士に対ひをり秋の草原子や見守りつつ    同
大嶺ゆゆり下し来し朝霧は影沼の上にただよひにけり      門間春雄
梅干をふふみて見居り山腹におしてせまれる白雲ぞ疾き     斉藤茂吉 
くたびれて息づき居ればはるばると硫黄を負ひて馬くだるなり   同
火口よりとほぞきしときあかあかと鋭き山はあらはれにけり     同
うごきくるさ霧のひまにあしびきの深山鴉なづみて飛ばず      同   
吾妻山くだりくだりて聞きつるはふもとの森のひぐらしのこゑ    同
吾妻の傍口榛原眼に寒く人くるが見ゆ馬ひぎ乍ら         佐藤 漓
朝空を鳴きかはすこゑすみとほり燕はわたる噴火口の上を   山澤紫明
春にむかふ吾妻のやまの渓々は土崩して雲よごれたり     結城哀草果
硫黄小屋は開けしままにて人居らず築に届きて俵積まれぬ  橋本眩夫
火口より硫黄を導びく樋太し凝りし大塊を人こはし居り         同

「日本山岳短歌集」でも斉藤茂吉の歌が紹介されているが、それは茂吉の登山詠と言えるもので、彼の山の歌をまとめたものから以下の歌がある。

斉藤茂吉
吾妻やまに雪かがやけばみちのくの我が母の國に汽車入りにけり
吾妻山飯豊の山もこのあさけ近く見えわたる雪降りしかば
吾妻川の谿におり来て魚住まぬ川としいへばわれ見守れり
吾妻峰を狭霧にぬれて登るときつがの木立の枯れしを見たり
「あらたま」
置賜のこほりにいれば雪雲のひまに朝明の黄雲は髙し
霧こむる吾妻やまはらの硫黄湯に門問春雄とこもりゐにけり
五日ふりし雨はるるらし山腹に迫りながるる吾妻のさ霧
山かひにおきな一人ゐ山刀あひて吾妻の山をみちびきのぼる

結城哀草果
弁天沼の藍暗くなり木原暗くなり吾妻山暗し
吾妻山の残雪にあかき夕映が藍色に暈(ぼ)けて暮れしづみたり

斉藤茂吉の二首目、吾妻山と飯豊の山が同時に見えるのか、いささか疑問に思える。同時に見える位置と言うのはどこか。Google mapで検証すると、福島市の位置からは左手に吾妻小富士があり、喜多方の奥に飯豊山があるから、日によって見えるだろうと言うことが云えそうだ。実際に福島から見える飯豊を写真に撮ってみたいものだ。
斉藤茂吉の歌は古今集や子規の流れをくむものと言えるから、見たまま思ったままを言葉に乗せる歌でしょう。所謂自然主義的な歌い方だから言葉が継いでくるように歌が沸くとでもいえるだろう。
最近の若い人の歌と並べてみると、時代の違いとも言うべきだろうが、「面白み」に欠けるかもしれない。
「山かひに」の歌などは、其のままを読んでいて、面白みが出てきている様に思える。
山岳短歌集の山澤の歌「朝空を」の歌は事実を呼んでいるのだが、見えてはいない「噴火口の上」で映像が広がる。続く結城の歌も「雲よごれたり」の表現などおもしろい。
その意味で斉藤茂吉の「吾妻山くだりくだりて」の歌が印象にのこる。いかにもひぐらしの声が聞こえてくる。
その山を見事に歌い上げる歌と言うのは意外と難しい。ただ歌人が山を歌の対象にしていることは、万葉集の時代からあったわけで、山と人間との関係の移り変わりも歌に読み取ることができるかもしれないが、日本人にとっての自然に対する「感性」が、この短形の詩歌にこめられていると思う。
歌のうまい下手は別にして、山と言う自然を相手に感じたままを三十一文字に表すのは面白い、いわば「言葉遊び」であろう。その極めつけが「俳句」にあると思う。これは感性が豊かでないと味わうことのできない詩歌の世界だと思う。
吾妻山は一切教山をめぐり、1990年の初めのころに妻とも歩いた。その時は小富士から東大巓エリアを一泊して半周した。後に白布温泉から西吾妻山を登った。
「西吾妻山の長城も、つかみどころのない広い原で、丈の低いオオシラビソが
雪面にぞくぞくと頭を出している風景は・・・」とあるように、私は夏であったので深田の様な味わいはないが、たしかにつかみ様のない原であった。
この山群を全て縦走するのは、自動車の普及から見るとコース取りが難しい。
山としては難しいものではなく、交通の便から東吾妻のエリアが人気がある。しかし西吾妻山の山頂周辺の雰囲気も捨てがたいのだ。
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