短歌の詠う百名山14 早池峰

短歌の詠う百名山14 早池峰
服部直人 村びとのまつりは終り春ふけし早池峰やまに夕雲かかる

神楽舞う暗夜の中の早池峰に 木霊響かせ木々を燃やさん
気まぐれ短歌http://tanka1811.staba.jp/concept.html

上皇后陛下御歌
 遠 野
 何処(いづこ)にか 流れのあらむ 尋(たづ)ね来し 遠野静かに 水の音する

来島靖生 古き世を今に伝ふる祭り笛ほそぼそ響く雨の山路に       「峠」
     荷を負ひて馬通ひけむ古き道細渓川に沿いて続けり
     ゆゑありて登るにあらねこの山にしとどに流す一身の汗              
     沢沿ひの路と岐るる頭垢離水のつめたく神(シン)すきとほる
     あるかなき風にかそかにゆらぎつつ岩陰に咲く細葉爪草
     人みなの見むとあくがれ来たる花早池峰ウスユキソウ今咲き盛る
     梅雨明けの早池峰に咲くウスユキソウ夜をこめて来し眼にあつき (楡の木)
     岩の間に咲けるをだまき紫の花かたむけて夏の日を受く
     早池峰の山巓(サンテン)に息あへぎて来て鬱金空木(うこんうつぎ)の花におどろく
     この一花にまみえん為と人の指す紅あはき南部虎雄(なんぶとらのお)
     汗沁みる眼にあざやかに朱の色タカネシホガマ砂礫の方に

来島靖生の「遠野物語を思ふ」に
     一夜明け早池峰いまだ霧深しくらし樹の間に啼くやうぐいす
     遠き日に大人(うし)が仰ぎし早池峰や今わが来て踏み登りゆく
     雲の去りあらはとなれる山脈(やまなみ)の描くみどりの はてしもしらず

早池峰に「山」をつけるのは本来ではない。「早池峰」の「峰」が山を表すわけで、岳集落の神社は「早池峰神社」である。
この山は岩手県の奥深いところにあり、一般の歌人が親しく読める山ではない。唐の物語は有名ではあるが、「日本山岳短歌集」にも早池峰は取られていない。小田越えをはさんで反対側の薬師岳も詠まれていない。不遇な山と言える。
服部直人の歌集を見つけて発注はしたが手もとにない。
来島の「歌人の山」で早池峰を取り上げている。来島は1931年生まれだから、私より14年早い。2021年で90歳になるだろう。一連の歌は奥さんと登った時に詠んだ歌だ。
「頭垢離水」は「こうべごうり」と詠む。意味はなんだろう。
「雲の去り」の歌、「みどりのはてもしらず」とあるのは、早池峰の表と裏では山容が違う。
岳側は荒々しい山に見えるが、平津戸側は、大山とおなじで、裏側は深い森が遠くまで続いているのだ。「遠き日に」の「大人」とは柳田国男を指すのだと思う。

深田久弥は早池峰について次のように記している。
 「『遠野物語』には早池峰がしばしば現われる。大昔に女神があって、三人の娘を連れてこの高原へ来、とある村の社に宿った。母の神はその夜、よい夢を見た娘によい山を与えようと約して眠ったところ、夜半に天から霊華が降って姉の姫の胸に留った。すると末の姫がひそかに眼ざめてこれを取り、自分の胸の上に載せた。そこで一番美しい早池峰を得、姉たちは六角牛山と石神山とを得た。六角牛山は旧遠野町の東にあり、石神(石上)山は西北にある。」
「・・・坊主に化かされた話や、眼の光のおそろしい大男に出あった話や、いずれも妖怪変化じみた物語で、この山がいかに普通の世間から遠ざかっていたかが察しられる。なお今は早池峰山と呼ばれるが、山は余計である。」
と言うように、この山の奥深さが、短歌で詠む歌人を近づけない理由であろう。
「現在、普通に採られる登山道は、花巻から岳川に洽って遡り、最奥の岳部落から登るものと、
北側を通じる山田線(盛岡-釜石)の一寒駅平津戸から御山川に洽って登るものとがある。前者を表口と見なしていいだろう、というのは、岳部落にも早池峰神社があって、そこが登山口となっているからである。」
「登山路は岳から川に洽って六粁ほど上った河原ノ坊から始まる。昔、快賢という僧が早池峰に詣で、ここに一寺を建てて河原ノ坊と呼んだ。その後洪水で寺は流失して名前だけが跡をとどめ・・・」と登山口を紹介している。私は1965年に平津戸から登った。

この山には二度登っている。一度目は20代の時に平津戸からの道であり、2度目は、深田久弥がとった河原ノ坊からの道であった。この時は岩木山でであった盛岡の阿部さんと一緒に登った。8月の祭りの時期で、さんさ踊りを前夜に見て楽しんだ。
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-118234.html
ウスユキソウの咲く時期がこの山ににぎわいをもたらす。この山は薬師岳などから見て詠われてもよさそうだが、そのような歌もない。陸中の真ん中にあることが不便な地にあることを物語る。
この山を望むには河原のノ坊付近から間近に眺めるのが一番迫力がある様に思える。
早池峰を語るには遠野物語とは切り離せないのかもしれない。遠野の街を散策したことがないので、遠野から早池峰が見えるのかも定かでない。ただ、上皇后美智子さまの遠野に寄せる歌は、遠野の風情を語られていて、上皇より味わいのある趣がある。

*追記

早池峰山の短歌は詠む人が少なく作品が無いことは書いた。
来島靖生著「歌人の山」の早池峰で冒頭に紹介されていた服部直人の歌集を取り寄せて、その中に4首の歌を得た。
  早池峰と題して
亡き兄が山草摘みて学びたる早池峰やまに雲ゐしずまる
村びとのまつりは終り春ふけし早池峰やまに夕雲かかる
  花の生
みなかみに夕霧たちて早池峰のうつし世遠き峰嶺(をね)かげる
亡き兄が若き日摘みし早池峰の花美しき日の遠のまぼろし
紺の服あせたる兄がいりゆきし早池峰思ふその花の生(み)を
現世にひとりの兄がいりゆきて摘みにし山の花の思ほゆ

と6首詠んでいる。
服部直人は1906年(明治40年)の生まれ、私の父より3歳早いが同時代の人だ。1979年に72歳で亡くなった。長兄の静男氏が昭和45年に亡くなっている。お兄さんは岡山大学の学長を務めた方。直人氏も長く教育者として活動された。この作品は昭和52年とある。
早池峰の山に愛着を抱いて詠じてくれる歌人が少ないのは、早池峰の山の位置によるのだろう。
私の遥か昔、上の駅から夜行列車急行十和田で盛岡に早朝に着き、山田線の始発列車に乗って山しかない平津戸駅に降りたのだ。遠いところと言う印象が強かった。