(黒部五郎岳の歌を見つけたので、飛び入りで投稿します。今まで探してもない山の歌が見つかれば、それを先に投稿させてもらいます。前にも書きましたが、巻機山、平ケ岳、雨飾山、火打山、鷲羽山、荒島山、宮之浦岳などです水晶岳も、歌探しの旅でもあります。写真などはあとから追加する時があります。)

 

薬師嶽に朝日照り始め黒部五郎の暁はつめたし口すすぐ道

柳瀬留治と言う富山の歌人がいた。歌集「立山」があり、山の歌集を書いた最初の人ではないかな。北アルプスの山では、この人の歌を抜きには語れない。その歌集に

「槍より薬師、立山縦走」昭和9年8月11日~17日」の山旅を詠った一連の作があり、その1首が冒頭の歌だ。しかし、直接黒部五郎岳を歌は実はないのだ。

 

黒部五郎の小屋の主は越中の説りなるゆゑ一夜語りぬ(蘆くらの佐伯九郎とよぶ者なり)

爐に大きとねをばくべつ黒部川ゆ釣り来し岩魚焼きてくるるも

団櫨裡火に腹あぶりつつ小原節おぼこ樹献唄ひふかしぬ

    第一日―朝を迎ふ

薬師嶽に朝日照り抄め黒部五郎の彫はつめたし口すすぐ水

一夜泊のわれ逡り㈲で聾かぎり気をつけよといふ見えずなるまで

水晶赤牛この深き黒部の廊下さへ雪に埋れむみ冬かしこし

   黒部五郎より谷に踏み迷ふ

黒部谷に臨む平あり岩めぐり水の流れて花啖きみだる

迷ひ入りここに死にせば白骨と晒るるも逍に人知らざらむ

優松をはひ上り漸く首いづに踏みはづし落つ深き藪底に

上ノ嶽太郎兵衛平の秋草をふみつつ向ふ大き薬師嶽に

   太郎小屋にて

このわれに食めよと出せししなび渾庵溢茶の昧の忘れかねつも

 

という一連で、この後に薬師岳の歌が続く。

しかし、この歌を見る限り柳瀬は黒部五郎岳を踏んでいないのだ。黒部のカールから黒部五郎の肩にでて太郎平らについた。

この柳瀬留治は、山岳短歌ではその師匠である久保田空穂の槍ヶ岳の登山一連の作に並んで大いなる道を作ったと言える。だがその後に続く山の歌人は、今のところいない。

小屋の主と裂け酌み交わし、小原節と言うのは、今の風の盆で越中おわらの盆歌であろう。

 

この歌らを論じるだけで多くのことが書けるだろうが、私はネットで黒部五郎を詠ったものを見つけた。

 

踏みもみぬ黒部五郎岳そのはたて淡くも白き秋の残月

遠くありしたらちねの母思へらく黒部五郎岳は慈悲母観音

幾山を越えてたどれど行きつけぬ黒部五郎をただにをろがむ

 

新墨東通信 2014年10月14日 (火) 山の旅

http://wine.way-nifty.com/red/2014/10/post-debc.html

 

この三首は「山の歌」と題された北アルプス登山の一連の作のものだ。

 

黒部五郎岳を詠った歌は、新墨東通信の上記の2014年の記事しかなく、それもプロフィールがなく、作者も明らかにできない。(私のパソコンの知識では明らかにすることができないのです。)

作者は「◆台風18号と19号の間を縫うようにして9日夜から13日、北アルプスに出かけた。目指すは「黒部五郎岳」。しかし、10月も中旬を過ぎると、奥地の山小屋は閉鎖してしまう。五郎小屋、水晶小屋、雲の平小屋など。そうなると、手前の小屋からの往復は困難で、結局断念するほかはない。日は短くなるし台風も近づいている。それに自分の歳も考えなくては、ということになり、今回も黒部五郎岳は諦め、鷲羽岳までと変更。登山届の内容を大幅に変更したから、下山届で訂正しておかなければならない。」と書いているように、夜行発3泊4日の山旅を歌にしたものだ。鷲羽山や水晶岳も眺めているのだから、読んでいて欲しかったが、残念だ。黒部の山頂に至らなかったのは残念だろう。

新墨東通信の作者は黒部頃へは登れず、第三の「黒部五郎をただにをろがむ」と詠んだのだ。とどかぬ思いが「をろがむ」にあらわされていて悔やむ気持ちを思う。

黒部五郎は北アルプスでも奥山で、その山も大きく、私も黒部五郎の肩から山頂までの途中でバテテしまったことを思い出す。

 

深田久弥のから四つの文章を紹介させてもらう。それはこの山を讃えるのにふさわしいと思うからです。

「黒部五郎は人名ではない。山中の岩場のことをゴ ロという。五郎はゴ ロの宛字で、それが黒部川の源流近くにあるから、黒部のゴーロ、即ち黒部五郎岳となったのである。北アルプスには、ほかに野口五郎岳。二つのゴーロの山を区別するために黒部と野口を上に冠したのである。」

「私も黒部五郎は大好きな山である。これほど独自の個性を持った山も稀である。雲ノ平から見た姿が中でも立派で、中村さんの表現を借りれば「特異な円錐がどつしりと高原を圧し、頂上のカールは大口を開けて、雪の白歯を光らせてゐる」

「肩から圏谷の底へ急斜面を下ろ道には、真夏でもまだ若干の雪が残っている。底から見あげたカールは実に立派である。三方を岩尾根に包まれて、青天井の大伽藍の中に入ったようである。すばらしい景色はどこにでもあるが、ここは他に類例のないすばらしさである。圏谷の底という感じをこれほど強烈に与える場所はほかにない。」

「中村清太郎さんは黒部五郎岳を不遇の天才にたとえられた。確かに、世にもてはやされている北アルプスの他の山々に比べて、その独自性において少しも遜色のないこの見事な山が、多くの人に見落されている。しかしそれでいい。この強烈な個性が世に認められるまでには、まだ年月を必要としよう。黒部五郎岳がTo the happy fewの山であることは、ます埋す私には好ましい。」

 

私は一九九〇年に妻とこの稜線を太郎平から笠ヶ嶽へ縦走した折に歩いた。その印象は深田が述べるとおりである。薬師の金谷カールも見ているが、黒部のカールは華やかに思う。それでも迷い込めば、柳瀬が詠むように白骨に晒される恐れはあるだろう。

三俣への道から見た黒部五郎岳とカール