孔子が人生を語った有名な言葉



子日「吾十有五而志乎学。三十而立。四十而不惑。五十而知天命。六十而耳順。七十而従心所欲、不踰矩」。

 子日く「吾、十有五にして学に志す。三十にして立つ、四十にして惑わず、五十にして天命を知る。六十にして耳順う。七十にして心の欲するところに従いて、矩をこえず。」


従来の解釈

 孔子の述懐。「私は十五歳で学問に志し、生きるために勉強した。だが両親を失い貧乏だった私は、陽虎に門前払いされるほど、軽くあつかわれた。三十でようやく、ひとかどの人物として認められるようになった。四十代は自信がつき、狭い分野にとらわれることがなくなった。五十代は政治家として、天から与えられた自分の使命と、自分の力ではどうしようもない運命を自覚した。六十代は諸国を亡命してさまざまな人々と知り合い、他人の意見もすんなり聞けるようになった。七十代になった今、私は故郷の魯に帰り、本当にやりたかったことに打ち込んでいる。自分の思うままにやって、ゆきすぎるということはなくなった」。(p124)


筆者も、この述懐は孔子の「勝ち自慢」ではなく、むしろ若い生徒たちに向かって語った「負け自慢」として読むほうが孔子らしいと思う。そのニュアンスを伝えるために意訳すると、こうなる。

 「わしは、今でこそ先生などとたてまつられているが

十四までは学問が好きじゃなかった

二十九まで自立できなかった

三十九まで自信がなかった

四十九まで天命をわきまえなかった

五十九まで人の言うことを素直に聞けなかった

六十九まで、やりたいことをすると、やりすぎてしまった

まあ人生なんて、そんなものだよ」(p126)

加藤徹著「「本当は危ない『論語』」


こう、加藤氏の訳でよむと、孔子が身近に思えてきませんか。
若い人にとって、この孔子の有名な言葉に接すると、「すごいな~」と思うかもしれない。実際に自分もそう思ってきた。


だから、加藤さんの<負け組の自慢>として読み直すと、どうだろう、自分と似たような生き方じゃないかと思いませんか。

学問が大事なんて、中学高校時代に思っていただろうか。


特に、最近、孔子への見方が実は変わったのだ。

確かに孔子の母親は<儒>を職業としていて、孔子も子供のころは葬儀のまねなどして遊んでいたという。

日本は家康が朱子学をもって幕府の支配体制の秩序を維持するための思想・学問として採用した。しかし、宗教としての「儒教」は拒絶して、仏教にゆだねた。つまり儒教を宗教として取り入れなかったので、江戸時代の儒者たちは、儒教的葬儀が出来なかったし、日本では3年喪に服すなどと言う馬鹿げたことが採用されなかった。

家や市が儒教を宗教として取り入れなかったのは、本質的に儒教の教えのもっつ「天」の思想と孟子が唱えた「革命」論が背景にあって、天皇制と幕府の矛盾を突く要素があったからだ。

吉田松陰が幕末、倒幕思想をもつのは幕府が「天命」を受けている天皇の統治権を幕府が簒奪しているという論理が、儒教思想から引き出されるからでした。

つまり、孔子の教えは弟子たちに、当時の戦国時代の「乱世」にあって「革命論」を述べていたと言える。つまり、

「聖人」が出て天下を統一する。ここに彼の思想の「古代性」があるのだけれど、「天下を」「変えたい」という思いが、「君子の徳仁」による統治論になり、孔子や弟子たちはその天下の実現のための志士になれと説いたのだ。

ところが、その願いは彼の生前には実現されず、自らも諸国の君子に採用されることもなく、田舎に困って弟子たちに教育することとなった。

そういう人生を振り返って、この言葉を読んだなら、どうだろう。

これは加藤さんが言うように「負け自慢」なのだと思えるのだ。

決して「四十にしてまよわず惑わず」なんて偉ぶっていう事ではないのだ。この時代、命も長くはない。15歳で立派な大人扱いされるわけだから、まして四十まで惑っていたら、ちゃんとしなさいと叱られたであろう。

今の四十歳なんて、比べ物にならない。当時は四十で老成するような時代であっただろう。

孔子も自分が世の中で役立ちたいと思い、義のある社会、徳のある君子をと、願ったのに、そうはならないで過ぎた。「大学」に孔子の弟子は三千人いたという。

その教えを慕った士がたくさんいたわけだが、彼が願う周王朝のような姿にはならなかったのだと思う。


この言葉を自分に当てはめれば、この通りかなと思える。

七十を過ぎて「人生なんて」と悟れる境地に至るかな。欲も希望も願いもたくさんあったかもしれない。だけどことここに至れば、「矩をこえず」になる。越えたくても越えられない。「なるようにしかならないことを知る」とでもいうのかな。


現役の世代の人たちには、この言葉をもって、自分を励ますことのできる言葉と思ってほしいと思いました。

「四十九まで天命をわきまえなかった」という言葉をどう解釈しますか。

この場合の「天命」ってなんでしょうね。

「あれこれ夢みたいなこと言ってないで、自分に与えられたことをやりなさい、問う事がやっとわかった」みたいな事かもね。