中国がまともな近代国家になれるかどうかというのは、正直言ってよくわからない。

だけれども、長い歴史のなかで、やっとつい最近になって80%以上の人が文字を読めるようになつた。それは朝鮮も同様だ。


中国の儒教というのは先祖崇拝を基礎に置いた儀礼体系を合理化した宗教で、その指向性は、孔子の人生から方向づけられていると言えるでしょう。

孔子様は紀元前551年にお生まれになっていて、イエス様より500年も前の人、ゴータマ・ブッタと同じ頃なんですね。その頃は周王朝の時代ですが、いくつもの諸国が乱立する春秋時代で、魯の国の国府曲阜から30キロほどはなれた農村に生まれたのだそうです。


お父さんは農民か、または下級の武人で、母が葬祭を生業とする祈祷師の家系であったという。

この葬祭を生業とする「儒」と呼ばれる人たちは、下層の扱いをされていたという。

父も三歳のときに他界して、幼少期からかなりの苦労をさせられたようだ。そして彼のエピソードとしては祭礼の真似事をして遊んでいたという。


孔子は大きくなるに連れて祭礼の手伝いをするにつれて文字を学ううだ。

当時、文字を習得する階層は特別のエリ-ト層であり、ほとんどの人たちが文字を読めないでいた

文盲、識字率の低さは20世紀まで続いた。

中国には文字を読める人たちの国と、読めない人たちの国があって、読める人たちが国を治め、庶民を支配した。

皇帝の国というのは、文字の読める人たちの国で、その外側は愚民とみなされていたのだ。


儒教というのは、孔子が自分の商売をより意味のあるものに、より高度な位置に高めようとして、祖霊崇拝を儀式的に合理化したと言える。

彼は若くして学門に目覚めて、立志を求めるが、なかなか思うようにいかない。でも彼の学問の志向は、君子のように偉くなるにはどうすればいいかという、プラグマティズムてきな考えかただ。


もともとアミニズムの一形態であったと思われる先祖の霊魂、もともと土葬ということは、エジプトのミイラと同じく、そこに死んだ人の霊が帰るという発想だ。

日本では仏教の影響で土葬ではなく、火葬です。朝鮮では以前、親が死ぬと、親の遺体の肉が落ち、骨になるまで三年の間、その遺体の傍らで喪にふくし、その骨を洗って土葬するということが「孝」として行われていたという。これも儒教の結果だが。


そのアミニズムで先祖を除いた他の神や霊は、道教が受け持って、多神教的世界を構成した。これは土着的な庶民の宗教になっていく。道教の寺とかお参りは賑やかです。湖の龍神様を祀ったり、山の神を祀ったり、日本の八百万の神様と同じで、その神々のなかでも一番偉い神様がいたりする。


道教について詳しくはないけれど、日本の神道もそうとう影響を受けているように思う。

そして道教が、中国の支配的思想にならなかったのは、漢の武帝の時代に、儒教が支配階級の思想に採用されたからだ。


ヴェーバーも中国の社会的基礎分析で、中国の城塞都市が西洋と違って、皇帝の統治行政の官僚の住むものとして、市民がその自治を要求した「都市」との違いを指摘している。つまり皇帝の支配の及ぶ城塞都市までが、中国の皇帝の支配範囲で、その外、城塞を囲む農村と農民は、まったく違う原理で動いているのだ。

農民は宗族単位で、皇帝支配から略奪からで自分たちの財産を守り、難しい儒教の礼教などは、学問のできる者に任せて、もし首尾よく科挙に合格して役人になれたら、彼を支えた氏族(宗族)に見返りをするという形が出来上がる。


孔子が「仁徳」を説いたのは、逆に「仁徳」が行われていないことの裏返しだ。つまり農民たちにとっては、支配階級からの収奪にどのように自らを守るかということに知恵が絞られて、宗族の身内と、それ以外には「他人をみたら泥棒と思え」という論理が作られる。二重倫理だ。儒教の高邁な教えは、内輪のなかでは実践されても、外に対しては適応されないのだ。

農民は道教を好み、というのは、理解できるからだ。小難しい議論や儀礼などで偉そうな行為をするでなく、庶民には楽しい祭りになる。日本の神社の祭礼のようだ。

とくに台湾では道教が盛んであるという。

庶民を支えたのが道教ですね。


儒教は支配者の宗教で、道教は庶民の宗教。

その宗教の及ぼす影響、儒教は上向志向だし、道教は脱浮世で仙人への憧れ、つまり辛い現世から離れて仙人のように暮らすことを理想とした。

庶民は道教の神々を楽しんで、圧制的な政治から逃れていたんだろう。だから法律を守るなんてことは、支配者に搾取されることだから、いかに上手に法の外にいるか、抜け出るかを考えて、したたかになったんだろう。

中国人の愛すべき庶民は、支配者の国の外側で、今でもたくましく生きているように見える。共産党員八〇〇〇万人が支配する国は、昔もいまも都市の形をした一部だけなのかもしれない。庶民は清朝だろうが共産党王朝だろうが、政治の外に置かれている限り、この二重国家の構造は変わらないと思う。

なぜ、そうなったか?

儒教の前提が、愚民をみt日くのが「君子」の役割だからだ。この論理を否定できない限り、この国には民主主義は生まれない。

道教の現世逃避的態度と儒教の愚民支配的イデオロギーが、うまくかみ合ってるのだろう。

本当に不思議な国だよ、中国は。


孔子は、自分の商売を、よいレベルアップするために先祖崇拝の儀礼を尊重したし、その上向志向が支配者の都合が良かったのだ。結局専制的支配体制を固定化させるイデオロギーとなったのだ。

その支配者に搾取される側の庶民は、西洋とは違う権力との戦いをしていたんだ。

そこには、自治を求めるような動きではなくて、権力の圧政からうまく逃れる方法、脱法、賄賂、虚言などのあらゆる手を使って自分たちを守ってきたのだ。その習性はいまもなお続いていると言えるだろう。


お上が嘘をホントのように言えば、面従腹背、それが彼等の常である。

貧富の格差がますます広がっているという。もとの中国にもどるだけでしょう。だまって見ているしか手はないですね。