アマゾンで見つけた白帝社アジア史書選集・梅原郁著「皇帝政治と中国」というのを見つけて注文して、目を通す。梅原さんは1934年生まれの、私より11歳年長の京都大学の中国研究者。


この本は面白いと思う。

梅原さんは、西欧に蹂躙されるまで皇帝政治が始皇帝から光緒帝までつづいていたのが悪いと言われる言うな見方を批判して、むしろこの皇帝政治に積極的な意味を見出そうとする。むしろく中国という広い範囲とさまざまな民族を統治するのに、必然的に必要とされた装置とみなそうとしているように見える。


梅原さんが、「皇帝政治とはなんであったか」という最後の終章の第二節、「中国皇帝政治の基底」でとても大事な指摘がされている。以下その要約。


1.中国を支える農業と社会の関係

中国文明のコアができた黄河流域は年間降雨量が日本の3分の1と少なく、しかも洪水がおこる。「十年九旱、夏旱秋澇」と言われて、10年の内9年が旱魃が起こり、夏は旱魃、秋は長雨という気候風土という。

中国の旱地農法地帯では、家族の労働と、それを結び合わせた親族のつながりが強固となり、経験豊かな年長者(老人)が重視される社会ができる。それで「個人が自己主張し、勝手に行動」することは制限されて家父長制の共同体が出来上がる。

日本でも風水害の多い自然であることで、中国風の家父長的共同体は、同様に強かったと言えるだろう。


梅原さんは、ヨーロッパの偏西風地帯の計算して生産ができる三圃農法とはまったく違う自然を前にした農法により、ヨーロッパとは違う共同体の関係が作られるとみなす。

それゆえに、「計算して生産を維持できる場所ではぐくまされた合理的思考は、中国ではそもそも発生する余地がなく、逆にヨーロッパの精神では理解しにくい、中国的合理思想が形成される。

梅原さんのこの指摘は、一つには儒教のコアである儒が、呪術のシャーマンとして家族共同体の中心となって祖霊崇拝から発展する宗族の発生を意味するだろうし、他方でこの風土の違いから「合理性」の違いを、科学的な自然法則を探るよりも、経験知を重視する合理性が形成されていくことを言い表している。

とても納得できる論である。

2.農民の支配に有効な政治形態

結局、この気まぐれな風土に住む圧倒的な数の農民たちは、個人としてではなく家族として存在することになる。社会の構成単位が個人ではなくて「家族」であり、その男系血縁の集合体としての親族「氏族」がとても強い繋がりをもつ地域ができる。

支配者は、この原始的な共同体を利用して統治するシステムを構築する。

つまり、中国における城塞都市は、圧倒的な農村社会を機能的に支配するために、皇帝の役人が住むところとなり、徴税や裁判も請負制にして、農村社会に委ねる、つまり農村においては「氏族単位」とする「自治区」であった。しかし「その自治には、そこに住む成人個人を尊重するような考え方も実体もなく、あくまでも親族が連合した農村共同体といった集団が基礎になっている。

この農村共同体の核が氏族という、中国では「宗族」となったものと言える。

ヴェバーが「儒教と道教」において分析した内容とまったく一致した見方です。

さらに都市は皇帝の支配者の役人たちの集まる場所となる。その役人たちは中国の古典を学んで科挙を通過したエリートたちで、儒教イデオローギーの担い手としての知的官僚集団だ。この文人官僚集団と字も読めない圧倒的多数の農民との格差はとてつもない格差があったと言えるだろう。

中国においては「都市」というのは、荒地に咲く花のようなものと言える。

3.梅原さんの結論は・・・

共産主義革命で、皇帝も消え、儒教士大夫たちも姿を慶したけれど、この「広大で必ずしも豊かでない土地に生活する膨大な数の農民、あるいはヨーロッパのように個人中心の社会を育てるもろもろの条件の、根本的な欠如や未熟さが、現在でさえも(2000年当時)重なり合って見えるこの国では、王朝や天子個人の存在はまったく別としても、皇帝政治的な権威と頭脳、それと表裏した行政制度などの組織が不可欠なのではないだろうか」

と皇帝政治的体制を肯定的にみなし、

「2000年もの間、皇帝たちの圧制に虐げられ、呻吟していた農民たちが、突然自覚をもって立ち上がるというのは、そのときに毛沢東と共産党指導部が優れた方向性と施策をもっていただけのことではないか。現に革命から半世紀、目覚めたはずの人民たちは、社会主義市場経済とやらいう金儲けに熱中し、革命の精神は遥か後方に忘れ去られた感じさえする」と現状を捉えて、

「政治権力の核が、長い歴史遺産である」皇帝政治の長所を取捨選択して、新しい中国の道を切り開く姿を、私はひそかに頭に描いている」と結ぶ。

ここにはこの老学者の中国に対する深い眼差しが感じられる。中国の良き時代に思いを馳せる気持ちが感じられてならない。

この結論は、実は私も最近持つに至った見方と一致するものだ。

現代化した中国の皇帝政治・専制的政治を再現して、そこから民主政治を取り入れられるところから組み込みつつ行うか、または人治統治としても「仁徳」政治をおこなうか、その方向性の選択岐路にあるのではないだろうか。

中国と北朝鮮と韓国と儒教に深く絡まって、身動きが取れない国々だ。

その中でも宗族という単位を、人民の中では破壊した中国と北朝鮮、まだ色濃く社会の根底に残す韓国では、違う変化が起こるだろう。北朝鮮は、あれは中国がなりうる可能性の一つである。人権蹂躙を当然とする北と中国は共通性がある。またウリ思想で二重倫理の強い韓国はユダヤ人かしていくだろう。

問題は中国の変化だ。

今、経済の破綻を目前にして、社会の混乱は間違いなく来るだろう。農民は相変わらずしいたげられたママであるし、都市の下層民もふえている。

王朝の末期の社会混乱がまた起こると思えば、いつものことのように見えるし、人民はまた賢く立ち回るのだろう。損をするのはいつの世も同じ階級でしょう。

いまの共産党の党内の派閥抗争、これは北も同じだけど、どうだろう、これらの国に西洋的価値観を押し付けるのではなくて、伝統的社会に再び戻って、そこから出直すのがいいのではないだろうか。

それが中国人には一番ふさわしいのではないかな。

中国4000年の歴史を現代にふさわしくないというのは間違いで、再び歴史のなかにおいて、そこからゆっくりと改革していくのがいいと思うね。

光緒帝の時代に戻して、そこからの現代化を図るのがいいと思う。皇帝の地位、つまり中国における皇帝というのはひとつの文化であり、地球には多様な形態で文化を維持すべきだ。中国は圧倒的多数の農民や下層市民を救済していく役割がある。そのためには中国人ならだれでも納得できる権威の下で、行うのがいいと思うよ。

共産党というのは、中国的権威ではないのだ。

対照的なのがインドだと思う。急進的な革命によらず、歴史の流れの中で、変革を行っていこうとしている。現実の中で行動している。それに対して理想と現実のバランスが敗れているのが中国で、理想とする建前は崩壊しているので、現実に合わせざるを得ないだろう。

梅原さんは、日本のように「安直に」西洋文化に変身することなど「とてもできそうにない」と思っている。無理に変身させることはよくないことだと思う。

そのような目で眺めていると、それほど不可思議なことはないように思える。新王朝の誕生が来るのか、いまの王朝が続くのか、そういう時期として捉えてみよう。

2015年以降、中国はどういう指導理念を作り出すのだろう。ローマ共和国が帝国に移動する時期、またナポレオンが皇帝になる時期などのような移行現象が再現されるかもしれない。現代ではまず「終身」的身分を保証するところから始まるだろう。北と同じ変化が生じても、それは見事に歴史的中華現象と言えるだろう。