何清漣著「現代化の落とし穴」の第6章は「経済におけるモラルの崩壊」という章で、中国の計画経済が備えていた社会主義的経済倫理が<富の衝動>の前にひとたまりもなくふきとんでしまったのはなぜかと問う。ここで彼女は突然、マックス・ウェーバーの名前を持ち出した。

中国でも、ウェーバーの名前を知る学者がいることに驚いた。

何清漣(カーセイレン)は1956年生まれで、上海の大学で修士号をとり、その後中国社会科学院公共政策センターの研究員として勉め、1997年に香港でこの本を出版したが、2000年に出した本が発禁対象になり、2001年アメリカに移り住む。

ウェーバーの著作が読めたのかはわからない。触れた部分には注がなく出典も明示されていにから、わからない。ただ中国でも知っている研究者がいたという事実に驚いた。でもそういう研究者は中国には住めないということだ。学問の自由がないこと、そのものを表している。

彼女がウェーバーの名前をだした部分を引用してみる。

 

・・・中国がこんにちこのような[モラルの崩壊]状態に陥った原因は、断じて「開放」がもたらした「外来」の影響ではない。マックス・ウェーバーはこう行っている。いかなる社会の人間にも富への貪欲さは存在するが、他の制度と比較して、資本主義はより効果的に貪欲さを抑制または理性的に緩和する制度である。(p144)(中川友訳)

 

 

出典が示されていないから厳密な検証はできないが、ここでいう資本主義は「近代」資本主義のことである。

 

p157に再びウェーバーの引用があって、そこで彼女は「プロテスタントの倫理と資本主義の《精神》」の論文名を上げている。これをどのように読んだのか、誰かに教わったのか興味がわく。

p177「富にかんする歴史的考察---儒教から毛沢東思想まで」という節がある。

・「公」「私」観念の歪み

・金銭至上主義と商品拝物観念の形成

と小節があって、思想的な観点からこの倫理観の消滅の経緯を分析する。

 

この本はかなり今までの中国物と違って、学問的な論文になっているように思う。こういう研究者が国を追われることで、中国が異質の国であることを知らされる。