今日、安倍首相が靖国神社を参拝された。

それに対して中国と韓国が再び過剰な反応を示した。しかし、多分この二国の反応が、純粋に平和や戦争に散華した人々を慰霊する思いとは関係なく、二国の政治事情によって反応していることが明白になってきて、それがもはや日本国民の心に響くものではなくて、むしろ安倍首相のような行為こそ、国民にとって大事だということが思われてきているのだ。

いまの情勢において、中国で12年のような政策的な反日行動が起こるかどうかを見てみたい。もしそのような行動を再び許すと、被害は共産党自体に向けられる可能性がある。韓国はどのように言おうとも、もはや、日本との関わりにおいて、経済的にも社会的・文化的にももはや無用の存在になっている事だ。

日本国民が朝鮮と関わることを拒否しはじめている。そのことを理解できないでいる。北朝鮮と戦争をおこしても、それは内乱のようなもので、同一民族内での問題なのだ。日本は朝鮮と積極的に関わる理由がない。北朝鮮の拉致被害者の救済だけが問題である。

北朝鮮を背負い込むことで、朝鮮半島全体が経済的に停滞するだろうし、中国の援助なしには成立しなくなるだろう。韓国という国の存立する理由がいまや問題ではないということだ。

アメリカがどのように思うか、中国とどのように向き合うかによって韓国は立ち位置を失う可能性がある。もはや自立するだけの力はないだろうから、日本にとっても関わりあうメリットがまったくないのである。

向こうから離れてくれることが日本のメリットになる。

中国は、アメリカと対峙して覇権を争うことを願っているけれど、究極的にはアメリカの都合で変化するだろう。20世紀型の世界秩序が変化していく。冷戦体制はつづかない。

問題は中国の人民がどのような国体を望んでいくのか、ということに尽きる。かれらにとって共産党政権による専制的国家であっても、中国人らしく、営利追求の自由と、儒教的秩序を肯定する体制であれば、政治を受け入れていくだろうから、むしろ人民がどのような指導理念を生み出すかによって変化していくだろう。

二国とも、日本の近代化の歴史をきちんと学ぶ機会を失って、客観的に歴史分析ができないから、本当の意味での「自由」理念を習得できないで終わるだろう。国民の知的レベルと歴史的習性に絡められていくだろう。


問題は日本の国内にある。靖国問題を韓国や中国と同じレベルで捉えるのは、むしろ日本の歩むべき方向を誤らせ、過去に引き戻すだけだ。

なぜ多くの日本人があのような戦争を犯したのか、犯さざるを得なかったのか、歴史をきちんと解明することで未来へ向かうことができる。

そもそもA級戦犯になんの意味があるか。アメリカの誤った戦後処理が、このような事態をまねいているのだ。

中国と韓国は、日本に対して噛み付くだけ噛み付けばいいけれど、日本は馬耳東風の態度で良い。相手にするからいけないのだ。

在日中国人と朝鮮人よりも、多くの東南アジアの人々を受け入れるように政策を変えるべきだろう。この二国の人々を見ていて、一番日本に受け入れがたいのは、モラルなき人々であることだ。それと学問のレベル、学者レベルでも大きく異なるので、受け入れることはできない。

日本の人々が、はっきりと向きを変えていることを知るべきだろう。吠えれば吠えるほど、我々は彼らから遠ざかるjことを喜ぶだろう。戦後70年近く経って、やっとこの二国の呪縛から逃れられることに気づいたのが今日の日本の国民なのだ。

お互いに尊敬しえるものがないのだから、向き合うこと自体ができないだろう。中国はいずれ自らを知るだろう。トウ小平以後中国には習近平も含めてもはやカリスマが存在しないのだ。

どのように人民が国を支えていくのか眺めていたい。


テレビi朝日はここぞとばかりに安倍首相の批判を中国韓国を代弁しているかのように大騒ぎして取り上げている。

韓国は、安倍首相が日韓の状態をこのままでいいと意思表示したものと受け止めているという。中国も両国のおいろいろの催事をキャンセルするという。これで反日行動を誘導するかどうか見守ろう。

むしろこの行為が、中国と韓国への明確なメッセージとなったという意味と、国民にたいしても強い意思表示になったということだ。左翼の連中がでもなどを行うだろう。アメリカも批判したというけれど、それは自分の都合に悪いからに過ぎない。また日本として、アメリカに対しての態度表明でもあるだろう。尖閣諸島、航空識別圏問題に対して、日本の立場を強く擁護しなかったのは、中国への思惑があるからで、それを日本は見ているということだ。これから日本としての位置を明確にしていくということが国民に示されるだろう。