先日、ブックオフで4冊の本を購入。

「バブルの興亡」徳川家広著

「知識資本主義」レスター・サロー著

「ジパング再来」三橋貴明著

「資本主義はなぜ自壊したか」中谷巌著

これらを丁寧に読むのは大変だが、いずれも「資本主義」経済を問題にしていて、20世紀後半からの世界経済の動きと、21世紀になって中国の経済発展が対象になっている。

4冊ともに、日本のバブル崩壊と失われた20年という事を問題にしている。

サロー氏は結構厳しい言い方で日本をみているように思える。

それともう一つ、「グローバル資本主義」への批判的アプローチが共通しているのと、昔なら「恐慌」いま「バブル」を扱っていることだ。


グローバル資本主義とか「新自由主義」とか言う用語はレーガンとかサッチャーの時代から使われ始めていたかな。20世紀末からアメリカやイギリスの経済成長によって産業が、時刻主義ではなくて、労働賃金の安いところで生産するするという仕組みに変わっていった。国内産業の空洞化であった。それと同時に資本の流動化、つまり、ソビエトの崩壊によりアメリカ一極体制によって、経済も資本の自由化が始まる。つまり金融自由化で、お金は色がついていないので、どこへでも行ける。軍事力による市場支配の帝国主義から金融の帝国支配体制に変わっていったのだ。

2008年の金融危機の発生まで、私はアメリカの資本主義が、本来のものから単なる金儲け主義に変わっていったと見ていた。これをアメリカグローバル資本主義といい、新自由主義だと言い続けてきたのだ。これはアメリカの大量生産大量消費の生産的産業資本主義から、金貸し金融資本主義に変質したのと同時に、私がWerberの理論で言うところの前期的資本主義と近代資本主義の2つの資本主義が併存していて、前期的資本主義が勝ち残り、「近代」資本主義が滅ぶ現象に見えた。


世界史的に見るならば、イタリアのメヂチ家やドイツのヤーコブ・フッガー、さらにロス・チャイルドに代表されるユダヤ系の金融王国が、証券という形態で姿を替え、さらに金融工学という名のもとにリスクを分散させてしまう方法を編み出した。ゴールドマン・サックスやモールガンなどアメリカの金融企業は、いずれも、中国の「拝金主義」と共通する行動をとったので、なんら貨幣経済にあっては古代から行われていたもので、どうやって利益を上げるか、そのためには手段を選ばぬ行動を取るという経済行為によるものだ。それは「近代」資本主義が生み出した中産階級を破壊して、マルクスが見た2つの階級、つまり持てる者の階級と持たざる者の階級とに分けるだけで、それは古代から変わらないことなのだ。

中谷巌の「資本主義はなぜ自壊したか」という問いは正しくない。しかし彼が言う資本主義は「近代」資本主義の崩壊の意味ならばよい問いと言える。資本主義その物自体は崩壊しないからだ。

まあ、Max Weberの問題意識を改めて世界中で検討して欲しいのだが、この二つの資本主義の形態を別のいい方で表せば、「モラール的資本主義」と「アンモラール的資本主義」と言い換えることが可能だろう。

つまり経済行為に「モラール」を設定するか、しないかの違いから作り出される行為の違いである。

メディチ家もフッガー家も歴史から退場した。産業革命期に現れたロス・チャイルド家が残っているのはなぜか。


「意識的資本主義」Conscious Capitalismを以前ブログに書いた。経営者の理念と社会的役割を踏まえた経営による企業の運営を提案したものだ。

この本を読んで、近代資本主義の精神は再び蘇ると思った。21世紀の資本主義を支える柱になって欲しいと願った。むしろアメリカで復活して欲しいと願った。

日本は、古来より「商人道」として、また「家業・家訓」などとして「モラール的資本主義」は実践されていた。産業革命という「動力」の発明と「自然科学」が日本は生み出せなかったのだ。

日本人に、「まったく中国人ように、利益だけ追求してウソをつこうが犯罪をお仮想が、人を裏切ろうが、騙そうが構わないから金だけ設けて来い」と命じても、それをできるものはほとんどいないのではないだろうか。

日本人の文化に「自分だけの事を考えて」行動するという原理がないのではないかと思える。常に相手を想定して行動するのが日本人の行動原理になっているのではないか。

日本人の経済行為は古来より「モラール的資本主義」であると、断言してもいいかもしれない。飛鳥・奈良時代、平安、室町、戦国時代にあっても、「モラル資本主義」ではなかったか。

堺の商人、近江の商人などの行動、江戸時代の商人や手工業者の経済行為は、決して「アンモラール」なものばかりではなかったと思う。

「アンモラール的資本主義」の行動原理は徹底した営利追求である。「営利欲」に支配された経済行為である。これは戦争だろうが政治撮であろうが、営利の機会があれば道徳的倫理的なことなど一切無視する行為によってなりたつ経済行為である。

バブルは資本主義にはつきものである。需要と供給のアンバランスと営利追求行動がもたらす経済行動のミスマッチであるとかアンバラスの結果出てくる。


Weberが近代資本主義と読んだものは、従来は非道徳的経済行為が、宗教革命の影響によって、一番道徳と遠い位置にあった経済行為に「道徳・倫理性」を持ち込んだことだという事を分析したのだ。

つまり、近代資本主義は自覚的にかつ意識的に「道徳的・倫理的」に経営されることによって、その強靭さを維持できるので、もし、それを自覚・意識しなければ、従来の「非道徳的な」経済行為に支配されてしまうのだ。

宗教性が薄れて、その倫理的要素が薄れていけば行くほど、「アンモラールな」資本主義になっていく。アメリカもヨーロッパも、アフリカやインド、アジアもロシアも地球上の国々で「アンモラール的資本主義」が闊歩したとしても、日本人はガラパゴス化した「モーラル資本主義」を唯一残す経済体制の下で経済行為をし続ける民族になる可能性がある。つまり、そういうふうにしか行動ができないからだ。

中国は、一度も「モラール的資本主義」を体験することもなく、また目指すこともなく、従来の「アンモラ-ル資本主義」を続けるだろう。中国の経済成長は過去の王朝が経験したような絶頂期の隆盛に過ぎず、再び崩壊していくプロセスを招くだろう。その時に問題なのは、近代資本主義がつくりだした「モーラル資本主義」にはいたらず、その資本主義が生み出した「中産階級」は消滅してしまい、ふたたび持てる者たちと持たざる者たちの階級に分かれてしまうだろうということだ。

中国の時代はもはや終をつげている。これからやはり重要なのはアメリカの資本主義の形態がどのように変化していくかということだ。アメリカが原理主義に回帰するならば、再び倫理性や宗教性が顧みられるようになるかもしれない。その時にこそ、新しい理念が生まれてくるだろう。

アメリカは自分の国の歴史をもう一度振り返らないといけない。なぜなら、なぜアメリアだけが巨大な産業と富をもたらしたのか、その経緯が理解されていないからだ。かれらこそ宗教革命の恩恵を最大限に受けた人たちなのだから。

欧州の経済回復はアメリカの回復次第だろう。なぜならアメリカの資本がヨーロッパの経済を左右しているからで、それは日本よりもおおきな影響力なのだ。

アメリカの資本主義が「共存型」資本主義になるか「競争型」資本主義のママであるか、その違いが21世紀の歴史を変えていくだろう。競争型資本主義は19世紀の帝国主義遺物である。そこから早く脱して「共存型」資本主義に変化してくれることを願う。

「モラール的資本主義」は「共存型」資本主義です。「アンモラール的資本主義」には「共存」の原理はありません。あくなき営利欲の追求は、地球を破壊させるだけでしょう。これからの経済行為は地球と「共存」するためのものでなければならないでしょう。


私はこれからの世界がどのように変わり、日本という国や我々がどのように世界の人々から見られるのかということに思いが向いています。

すこしでも世界が平和であり、多くの人達が平穏な暮らしをえることができること、世界から貧困をなくし、子供らが教育を受けられる世界になる事を願っています。

残りの時間で、そういう願いが叶うような世界が見えてくれば、とても嬉しいのですが・・・・

私は未来に希望を持っています。人間は少しづつ進化していて、必ずや地球と「共存」できる道を見出すでしょう。その道の先頭を歩む国と後ろからついていく国とでは、残念ながら違いはあるでしょうが、日本はその先頭を歩き、多くの国々を引っ張っていく国でありたいと思います。