中国の実質経済成長率の推移
年 1980 1981 1982 1983 1984 1985 1986 1987 1988 1989
7.91 5.20 9.10 .10.90..15.20 13.50 8.80 11.60 11.30 4.10
年 1990 1991 1992 1993 1994 1995 1996 1997 1998 1999
3.84 9.18 14.24 13.96 13.08 10.93 10.01 9.30 7.83....7.62
定成長率 3.18 8.24 7.96 7.08 4.93 4.01 3.30 1.83 1.62
年 2000 2001 2002 2003 2004 2005 2006 2007 2008 2009
8.43 8.30 9.08 10.03 10.09 11.31 12.68 14.16 9.64 9.21
2.43 2.30 3.08 4.03 4.09 5.71 6.68 8.16 3.64 3.21
年 ..2010 .2011 2012 2013
10.45 9.30 7.70 7.60
4.45 .3.30 ..1.70 ..1.60
単位: %
(世界経済ネタ帳)
1989年に天安門事件がおきた。1980年代の経済成長は改革開放政策によって消費需要の拡大がもたらした成長であった。そして1989年に天安門事件が発生し、民主化への道が閉ざされてしまぅた。その結果経済成長は一気に下がった。しかし1990年代になって、先に見てきたように、「中国経済・・・八つの難題」の中の程暁農の論文で分析されたように、政府主導型のインフラへの公共投資主体の強制型成長へと変換されてしまい、そのプロセスで、8%というのが不況限界値と示されて、地方政府によるプロジェクトがたくさん作られていった。
8%は失業をうまないための数値で、西洋諸国の数値で言えば2~3%の成長数字に該当するものだという事を指摘された。
その数字を前提に見てみると、90年、91年とソビエトの崩壊というできごとがあり、1997年から99年にかけてアジア通貨危機があった。さらに2008年~9年とリーマン・ショックによる金融危機があった。
それらの世界経済の動きと中国の経済成長を見てみると、それらの事件の時には経済は影響を受けていることがわかる。
経済成長の第1期 1980 改革開放路線転換
1982 経済規模4倍政策、8%目標設定
1980~1988 消費需要による正常な経済発展型
1989~1990 天安門事件による不況
第2期 1991~1997 強制型成長1期
1998~2001 アジア金融危機
第3期 2002~2011 強制型成長2期 金融危機時に4兆元投入
成長停滞期 2012~
経済成長第1期の1980年代は、日本と同じような正常な消費需要の拡大による成長を実現した。市場経済的な発展と自由化が同時に進行した結果、天安門事件を引き起こした。
1982年の経済政策として国民所得の拡大を目指したものは、妥当なものであろうが、天安門事件で政策が一気に変換して、共産党の独裁体制を固守する政策になる。
その結果、1982年の政策を実現させることが政府の課題となり、1990年代、ソビエトの崩壊、共産圏の崩壊を目のあたりにして、異常な政策が取られるようになったのだ。
実際に8%の経済成長が実質、不況を招かないデッドラインだとすれば、西欧経済圏の経済成長の2%相当の意味しか持たない。その尺度で、1990年以降の数値を言い直せば、上の成長率から。マイナス6の数値が、中国の実態的成長率になり、西欧の国との比較に耐える数値となる。
上の表で示した成長率の変化を修正すると赤字で示した数値が、世界と同列で比べられる数値になる。
中国は自分が作り出した数字で酔いしれていたように見える。
2012年以降、8%を切るということは、日本の経済の状況と変わらない、むしろ日本の場合は2%の回復で経済は回転し始めるけれど、中国は停滞し、その後に、猛烈なバブル経済の反動と、資金が不足するという状況になるのかもしれない。
たしかに30年間にわたり、経済成長を続けて来たと言えるけれど、そこで出現したものは、赤字の公共施設と赤字の高速鉄道とゴーストタウンと汚染された河川と空気だ。
アメリカで発行されたドル札以上に経済規模の小さい中国でお札が印刷されて出回り、理財商品で庶民の金を吸い上げて見たけれど、これが消えてなくなる。疲弊する農村、消えた農地、一部の金もちは国外脱出・・・
7%を切ったならば、経済成長はマイナス状態になる。中国のバブル崩壊、経済成長のマイナスという局面を向えたときに、外国資本はどのような行動をとるか、資本を引き上げる動きが加速するか、国内に資金が流れなくなる状況が出てくれば、また紙幣を印刷しなければならない。そうするとインフレになる可能性もでてくる。
遅ればせながら今年、1982年の政策が見直されて、経済成長率を地方政府官僚の評価基準位にしないと宣言されたけれど、すでに遅いのではないかと思える。遅いとは言え、そうせざるを得ない事態に至ったということだ。
北朝鮮でNo2が処刑され、独裁制が一層強まることになったようだ。
中国でも、習近平の独裁体制が強化されつつあるという。似たような国になるのかもしれない。