日本は1954年から1973年までの20年間が高度経済成長と呼んでいる。

1950年(昭和25年)から1953年(昭和28年)    戦前の水準に復興

1954年(昭和29年)から1961年(昭和36年)まで 第一期高度経済成長、設備投資型

1962年(昭和37年)から1965年(昭和40年)まで 転換期

1963年(昭和41年)から1973年(昭和48年)まで 第二期高度経済成長 輸出・財政主導型

1974年(昭和49年)から1991年(平成3年)まで 安定成長期

1986年(昭和61年)から1991年(平成3年)    バブル景気 資産価格の上昇と好景気 

1992年以降 バブル崩壊期

2012年(平成25年)                  アベノミクス効果


1960年代 公害問題

1970年代 ニクソンショック・オイルショック


1985年プラザ合意により、1ドル240円→1年後に1ドル150円に、貿易摩擦。

80年半ばから株価が15000円から90年に4万円まで上がり、その後15000~20000円の上下で2000年に至るけれど10000円以下に急落、2006~8年15000円代に、その後再び低迷、現在15000円代回復。

地価の高騰、など、


1991年-2002年(平成14年) 拓銀、長銀、日債銀、山一証券、三洋証券の倒産

                    ライフ、そごう、第一ホテル破錠

                  公的資金の導入


結局、日本の構造変化がバブル以後をもたらしたと言えるように思う。

戦後復興期は昭和20年から29年1945年から1954年を指す。私が小学生の時代。それでも幼稚園に通うこともできたし、1954年は小学3年生のころになる。

1956年(昭和31年)に1940年代の国民所得水準に戻った。1950年から1954年の朝鮮戦争が朝鮮特需で工業が復興した時期だ。

私の子供の頃の印象で言うと、確かに木造家屋の長屋住まいであったし、裕福なという形容詞とは縁遠い暮らしであった。それでもそのころに借家の家を買うことができた。

子供ながらに楽しい暮らしぶりであったと回顧できる。

朝鮮戦争時代の印象は子供心には刻まれていないけれど、引揚者、尋ね人の時間などのNHKの放送が耳に残る。

「君の名は」のラジオ放送、子供向けの「鐘の鳴る丘」「さくらんぼ大将」「三太郎物語」など、その後の新諸国物語、紅孔雀とか、子供の頃のラジオドラマが思い出される。


日本人の生活が大きく変化したのは、むしろ1990年代になってからだろうか。

私で例えれば、45歳から10年間、流通業に身をおいて世の中の変化を眺めてきた。実際に生活に窮する思いは民主党政権以後の時代で、まだそれを引きずっている。

1990年以降の変化は、大きな変化はないというのが実感だ。つまり技術革新も、生活の状況も大きな変化はなかったと言える。バブル崩壊の資産の減少、というよりは借金はそのままであって、返済できたわけではなかったけど、借金が増えたわけでもなかった。自動車や電化製品も十分であって、NECのパソコンが出回ったころに大枚を叩いて買ったものがタダ同然になったり、37インチのTVが今では購入時の3分の1の値段で買えるとか、そういう変化はある。2000年以降海外旅行に出かけることもできた。

1990年から2000年にかけて、さらに2010年から今に至るまで、生活水準が低下したかというとそうは思えない。


中国の30年はこの日本の50年代から90年代までを一気に走り抜いてきたということになるのかも知れない。中国の高度成長が、40年も経てば安定成長にいたらざるを得ないということになるのか。

日本と中国の事情の違いは、人口の違いである。

国民一世帯あたりの所得が日本の6分の1でも、世帯数が日本の10倍あれば、市場規模は10倍であるから、需要は計り知れなく大きい。


日本と中国の高度成長の違いは、民間資本の設備投資型の成長ではなくて、輸出・財政指導型の成長戦略が先行して今日に至っているということだ。

GDPの規模の内容がアメリカ・日本などと大きく異なって、消費需要が極端に少ないということだ。

国営企業と鉄道や道路、空港などの財政支出の規模の大きさと、住宅開発などの過大投資がいまも続いていることだ。


日本は国内産業の活性化とお金が流通する形になれば、つまり個人消費が増えれば、GDPをお仕上げていくのだが、タンス預金などされることが妨げになるわけだ。

それと60代以上の人たちの労働力を活性化させる方法や、老老介護、若者は生産性の高い職業につくこと、そして周辺の産業、生産性の低い、ソーシャルビジネスのジャンルに元気な高齢者の仕事としてもらうなど、新しい知恵が生まれてくるかどうかが、今後の日本を占うポイントになるだろう。

高度成長が1世紀続くかどうか、それは国民の知的水準と所得水準によるものだろう。それと人口規模だ。日本は人口が減少していけば経済の活力も低下する。団塊の世代が経済をお仕上げてきた時代は終わる。人口1億人をキープ出来るかどうか。それが課題となるかもしれない。


やはり中国の将来の状況が気になる。日本と本当に戦争をしたいのか思う。世界第二位の経緯材規模を世界に見せつけたいのかも知れない。

ただ、この高度経済成長を日本は経験して、その時の公害や自然破壊を克服しながらやってきたのだが、それらがのぼなしで、むしろ人為的な仕返しより、自然の仕返しの方が大きいのではないだろうか。それを予測する脳力はないから不明だけど、この先のことはどうも見えない。中国の指導者が長期的なビジョンを持っているようには見えないのだが、どうだろう。


中国のもうひとつの問題は為替だ。1$=100円=6元

もし、1元が切り上げられたら、元の魅力はなくなってしまう。1$=360円から100円に円が切り上がったことを考えると、今の中国の元は1:6なのだ。日本と同様に切り上げられたらどうなるだろう。


今人民元の為替相場の推移を見てみると、以前は1$=8.2元で固定させていたものが6元に上がっているわけで、以前の相場でドル国債を購入していて、それが満期のときに元が切り上げられて、1$=4元にでもなると、半分の為替損が発生する。貿易黒字もあっという間に佐伯がなくなることになる。今100円が6元なのだが、これが100円が4元になると、日本のお金では1元が25円になって、中国のコスト安のメリットが失われる。さらに他国で生産する方がメリットが出てくる。中国人にとっては外国から買い物をするにはいいけれど、輸出が伸びなくなるのだ。


日本企業はアッセブリ工場として中国の工場を利用しているけれど、やすい原料を中国に輸入させて、生産してそれを日本や他国に輸出することができなくなって、国内で消費するために生産することになる。輸入が増えて輸出が減る事態と、為替の変化で国債など金融面での損が累積する可能性があるわけだ。

今アメリカは強く人民元の切り上げを要求していない。かつての日本は強い要求を受けて経済戦争とまで言われた時期がある。それを克服して今の状況だ。韓国も為替の動きで悲鳴を上げる。元も1$=3元事態になったらどうするのだろう。多分4元でもかなり大きな影響が出ると思う。

それと合わせてインフレの問題がある。

インフレ、物価の高騰が起これば所得格差が開いているので、下層階級の抵抗が起こるだろう。

インフレを引き起こさないためには食品などの安定供給が必要だし、公共料金の安定化が必要だけど、食品の輸入や、公共投資の回収で基本インフラ料金が高騰させればインフレが起こることは明らかだ。

それを税金でまかなうには、増税制作を取らないといけない。

医療や保険制度、社会保険制度などが貧弱な中国で、増税をしたらどのようになるだろう。

結局は弱者切り捨て、現金を持っているものが勝ちという社会構造は変わらないままになるだろう。社会主義。共産主義の理念は忘れ去られて、お金の争奪戦が行われ続けることになるのだろうか。

自然破壊による河川の汚濁と農地の汚染、大気の汚染が農地をも汚染して、農産物に与える影響も大きいとなれば、安心して食べられるものがなくなる。

お題目では環境保全を唱えるけれど、誰も実際には行動しない。ますます大都市の大気汚染はひどくなるばかりだ。


やはり冷静にとなりの国を眺めていく姿勢が大事だなと思う。為替相場一つで国の経済が大きく動いてしまう現代の金融の仕組みを受け止めて世界経済のなかで対応できるだけの力があるのだろうか。

実力から言うと、張子の虎のようにも見えてくる。それは中国という国が、ほんとのところ実態がないようなバブルのような国だからかも知れない。巨大な泡が膨らんでいると見れば見れないこともない。だれも本当の姿を捉えることができなくなっているのかもしれない。外部の人間が実態に迫れるわけがないのかもしれない。ちなみに1$=8.2元というのは購買力平価で換算すれば、5分の1の評価だと言われています。中国政府は輸出を守るために、急激な切り上げには応じないで、年5%以下の切り上げでアメリカに対抗しているのです。

それでも、いつの日か輸出メリツト、外国にとっての輸入メリットがなくなれば輸出は縮小するでしょう。その時が中国の問題でしょう。

ユニクロや百円均一の店の商品がいつまで中国で作られ続けるか、アップルにしてもいつまで続くのでしょうか。そうなると中国での賃金の上昇との兼ね合いのようにも見えてきます。ただ世界の工場である時代は確実に終わりに近づいているように見えますね。