現代史を振り返っても「日本経済は1990年代初頭に燃え尽きた」という説ほど疑いようのない「事実」として定着しているものは少ない。この説は他国の政治家を大いに惑わしてきた。これから述べるとおり、米国はその最たる例だ。

2013年8月11日 Forbes.com)By Eamonn Fingleton,









①日本の「失われた20年」というのは、単なる作り話どころではない。英語メディアがこれまで広めてきた中でも、とびきり不合理で、あからさまなでっちあげの一つである。私の話が信じられないのであれば、『インターナショナル・エコノミー』誌最新号に掲載されたウィリアム・R・クライン氏の記事を読んでいただきたい。今年に入ってポール・クルーグマン米プリンストン大教授も同じような主張をしているが、一見低迷しているような日本経済は、それは経済的根拠とは無縁の、人口の変化に基づく幻影であるとクライン氏は指摘している。


「日本という錯覚:“失われた20年”説のまやかし」と題する記事で、クライン氏は1991年から2012年にかけて米国の労働人口が23%増加したのに対し、日本ではわずか0.6%しか増加しなかったことに言及している。つまり労働者1人あたりで見ると、日本の生産量はかなり伸びたことになる。日本の成長率は、現在経済的に成功している国の代表例とされるドイツより相当速い(日本の労働人口は約10年前に減少に転じたが、これは長年の政策の結果である。中国と同じように日本も病的なまでに食糧安全保障を憂慮し、中国よりも早くから人口削減策を実施してきた。(1948年の優生保護法) 制定がその始まりである。そのうえ人口削減計画の補強策として、世界でもまれに見る厳しい移民制限を実施している)。


過去20年を振り返ると日本経済は物価が下落しているときのほうが、上昇しているときよりも好調だったというのだ。そして米国の人々が、日本の穏やかなデフレと1930年代初頭に米国を悩ませた極めて破壊的なデフレとの間に多少なりとも共通点があると考えているのは、とんでもない誤解だと説く。現実には、日本のデフレは1880年から1900年にかけて建国間もない米国で見られた「良いデフレ」と似ている。このとき米国では労働生産性が急激に上昇した結果、消費者物価が一貫して下落し、当時としては奇跡的な経済発展を遂げた。



■円が上昇しても貿易面で成功

1989年以降、主要先進国の中で経常黒字を拡大したのは日本とドイツだけだ。対照的に、米国は言うに及ばず、英国、フランス、イタリアの赤字は近年とみに拡大している。この間、円が上昇してきたことを考えると、日本の貿易面の成功はなおさら驚異的といえる。

日本の政府債務の大部分は、米国をはじめとする海外の政府債の購入に充てられてきた。実質的に日本の預金者は、米国など海外の赤字国を支えているのであり、日本政府は単に銀行の役目を果たしているに過ぎない。



■株価に反映していない企業パフォーマンス

日本の株価は、その基礎をなす日本企業のパフォーマンスをまったくと言ってよいほど反映してはいない。円が上昇しつづけたにもかかわらず、日本企業はほぼ例外なく収益を拡大し、雇用を維持してきた。

例えば日本の自動車産業はケタ外れの利益をあげてきた。トヨタ自動車は2011年度に2595億ドルの売上高があったが、これは1989年の841億ドルの3倍以上だ。しかもこの年には、東日本大震災によって大幅な生産縮小を余儀なくされたにもかかわらず、である。この年には日産自動車も1190億ドルと、1989年の3倍以上の売り上げを達成している。日本の自動車産業のほかの企業も、同じようにますます力をつけている。


■実体経済の崩壊は起こらなかった

1980年代後半の日本株式があまりにも過大評価されすぎていたことに気づかなかったウブな米国人だ。彼らは株価の暴落を、来るべき実体経済崩壊の前兆と思い込んでしまった。だが実際には、実体経済の崩壊はついぞ起こらなかった。


 一方、日本政府の高官は、弱い日本経済というイメージが、日本市場の閉鎖性に対する米国政府の懸念を和らげるのにきわめて効果的であることに気がついた。勘の良い彼らは以来、日本経済が不可解な病を患っているフリを続けてきた。


米国政府に対しては、「弱い日本経済」という説は魔法のような威力を発揮してきた。高貴なる米国は、倒れた相手を蹴るようなまねはしない。その結果、自動車、自動車部品、金融サービス、コメといった1980年代に米国政府が大いに騒ぎ立てた懸案は、今日に至っても1つも解決していない。



■中国に影響した「弱い日本経済」説


そのうえ「弱い日本」説は、東アジアのすべての国にプラスに働いている。中国がその最たる例だ。まず、この説によって米国政府には、中国が経済のあり方を変えない限り、米国にとって真の脅威となることはないだろうという認識が生まれた(中国は日本モデルに従っていたので、日本が壁にぶつかったのと同じように、いずれ中国も同じ運命をたどるだろう。さもなければ米国式の自由市場主義を採用するしかない、というのが米国の認識だった)。この結果、中国が1990年代末に世界貿易機関(WTO)への加盟交渉をした際には、米国から市場開放に真摯に取り組むように強く迫られることはなかった。

米国と日本のどちらの経済モデルが優れているか、中国の認識ははっきりしている。その貿易の実態を見れば、一目瞭然だ。中国では長年、日本からの輸入が米国からの輸入を大幅に(直近の数字では約40%)上回ってきた。日本の労働人口が米国の3分の1強であるにもかかわらず、この結果である。しかも中国が日本から輸入するのは、ほとんどがハイテク製品である。具体的には中国の工場が世界に消費財を供給するための先端材料、部品、生産設備などである。

 一方、中国が米国から輸入するのは基本的なコモディティーで、特に多いのがコモディティーの中のコモディティーともいえる金属スクラップや古紙だ。中国が「紙クズ超大国」など目指していないのは当然だろう。











愚民政策をとられるよりは、国民が賢いから、そのために政治家が批判にさらされる国であることが、結果をいい方へと導いているのだと思う。市民社会を戦後70年かけて造り出しているのではないだろうか。

静かな日本人と騒がしい人たちとは、その作り出す文化や生活様式で比べてもらえばよいのではないか。私はこの時期を「うつ病」にかかっていると表現したが、そろそろ意識的にはドライブにギアを入れていく時期に来ただろう。



幸いにもアメリカが言うと、一緒になって騒いでくれる隣人がいるのでありがたいことだ。


でも日本の面白いところは、国民も一緒になって大変だと言ってのけるところだ。そしてその後もうまくやった、なんて表に出さないでしずしずとしているところが日本的だ。


1980年代のアメリカの経済圧力がどれほど厳しく感じ取られていたか、私もそれはアメリカとの経済戦争として印象にある。それらの攻撃から身を守ることができたとすれば、この20年間は日本の戦略的な勝利だと言える。今やっとそのことに気づき始めたのだろう。


<日本の「失われた20年」がどれほどばかげたまやかしか、>という言葉で結んでいる。

日本人自体もこのアメリカ流の思考に踊らされていたように思うけれど、それはここで見事に指摘されているように、自覚的言動であった。

日本の政治は外から見てると危ういし、評価のしようもないほどに愚かしく無策に見えるかもしれないけれど、戦後からの国民の歩みは、よそに比べて賢いのではないだろうか。

その内容は参考になる。以前、私もこのブログで、その20年間、日本がGDPを落とすこともなく、一人あたりのGDPも増加させていることから、日本経済が沈殿しているという見方に疑問を投げた。それほどひどく言われることではなくて、むしろアメリカの金融危機や、日本の大震災を受けても大きく後退せずに、経済を支えてきた力はすごいと指摘した。

以下その要旨を引用する。


日本の経済情勢をどぶに落ちた犬のように見て、中国と韓国が居丈高に反日運動を展開する昨今であるが、彼らが言う「失われた20年」というものが真実なのかという疑問を持っている記事があらわれた。2012年のニューヨークタイムズにもこの記事を書いた著者が投稿している。