昨日ブログで、中国の経済発展を日本の40年前の出来事とくらべてみることによって、一つの理解が生まれた。中国の経済の崩壊ではなくて安定化への道なのだが、そこには多くの問題がありそうだと指摘した。

さらに日本の近代化と比較する視点から眺めるともっと世界史的なすがたがあらわれてきて、中国のことであまり右往左往することではないと思えてきた。観察対象としては非常に面白いし、歴史における実験材料みたいなものだ。

つまりこういうことだ。近代化とはイギリスに起きた機械化文明を、どう取り込みつつ古い衣装を脱ぎ捨てて新しい機械化文明に見合う装いをするかということであった。ただその機械化文明の根底には、とてつもない人間の思想の大変革があって、それは啓蒙主義という形で表れて<シティズン>と呼ばれる階層を造り出し、歴史の主人公にしていく。アメリカは機械化文明の上に市民社会が主人公となって造り出された文明だ。T型フォードに代表される大量生産・大量消費のイノベーションの日常化、そういう文明を造り出す。それは普遍的な魅力をもった文明だった。

大きな歴史のうねりの中に日本を置いてみると、そのような歴史の学校で言えば、比較的優等生である。

現代の歴史は<市民>とグローバルなモラリティが前提なのだ。資本主義は<契約>を下に法を守る社会で、人の動きが計算可能なことから成り立っている。

そういう経済構造と市民社会を作り出すときに経済の高度成長が力を及ぼしてきた。

おそらく、ドイツもフランスも先進的な国々では農業改革と福祉政策が、産業化と同時に進行していると思う。それは規模の大小で、国民の意思統一の図られ方が異なるけれど、オランダやデンマークやスイスなどの小国はその意味で歴史の先を行く。

中国は高度経済成長を1980年から2110年までの間に、30年かけて走り続けた。実際に10%以上の成長を20年維持したのだから、それは人口規模と国土の広さや日本の支援もあって行われたことだ。

問題は、歴史の学校から学んでいなくて、独自の道を選択したことである。

中国経済は8%の成長率を維持できずとも、5%でも維持できれば経済は廻る。規模も大きい。だから極端な経済崩壊とか、ソビエトのようなGDPが半分になるようなことはないだろうと言いたいが、なんとも言えない。ソビエトの二の舞もありえる。ただ経済の実態が国家企業であり、民間企業の比率が小さいので、現状を維持しないとほんとに崩壊してしまうので、そこまで行かないだろうと思う。

ただ、当面の私の抱く疑問、なぜ中国経済が巷間言われるような極端なバブル崩壊にならないかといえば、経済発展のレベルが違うところにあって、日本や先進国と比べて40年まえの出来事が展開されているに過ぎず、その後は単純に成長の鈍化が起こってくるのは当たり前の事態なので、驚くことではない。

ただやってることがとてもはた迷惑なことが多いので、眉をひそめる情況になるわけだ。

むしろインフラ関係の整備と農業の近代化がどこまでこの成長期に行われたかによって国力の基礎と国民のレベルが決まるだろう。中国は日本の1970年代の情況にあるといってよい。日本はその後も成長を維持し、国民の福祉を優先課題としてきた。

後に書くけれど、「失われた20年」説が間違いだという見方が最近アメリカで言われ始めている。日本はアメリカが失業率10%のときに、5%でしかなかった。それでも大騒ぎをしていた。失業率を何十年も低い率でコントローできている国は少ない。社会主義だという中国ですら10%近い筋だろう。ジニ係数も暴動が起きても不思議でない数値だ。

文明論的に高度経済成長を見ると、中国は結局、それ自体の成果として社会の基盤を作ることには失敗したと見るべきだろう。だからこの国がどのように変化するかは、見ているしかない。

ただ中国は日本を映し出す鏡である。

中国の経済成長のプロセスを文化史的にみることで、われわれは歴史から学ぶことが出来る。この辞典で日本と同じようにもう10%の経済成長を続けることはできない。安定化するかどうかは中国しだいだ。

経済が縮小することは見えてきた。この生産性を維持し続けることは出来ない。それと中国は日本がその経済成長を完了して向えた高齢化社会をインフラの整備が十分でない中で迎えなくてはならないという難しい課題を抱え込む。

要は、国民を<幸福>に出来るかという課題に<国家>がどのように答えるかイウコトだし、主権在民の国では=市民社会では、自分たちがいかに幸福な社会を作るかと言うことに自分たちが参加して構築していく権利と義務がある。それに参加する<自由>がある。そういう社会を作るために国民のパワーが一つの方向に向いて動く時期が、この高度経済成長の時期だ。

だから、それには民需が主体である。公共投資は従者である。

ここで問題となるのは、中国の高度経済成長はだれのためのものであったかと言うことになる。本当に人民のために行なわれたのだろうか。それが最後にのこる疑問となる。世界第二位の経済規模を誇ろうが、それがアメリカを追い抜くといっても、それが何のためのものなのかが問題で、国民・人民がそこの基盤にいなければ何にもならない。

日本は中国のまねをしないように注意して、西欧の小国のあり方に学ぶべきだと思う。

中国が今の勢いを嵩に来て、我々を侮蔑するかぎり、受けて立たねばならぬと思い込んで、将来を心配したのだが、かような見地に立てば、われわれはと言うか日本についての私の考えは、中国の発言に惑わされることはなく、精神的にはゆとりを持って、自らの求める国の形を作り出すことだ。

江戸時代は過去となり、明治維新か再び日本の姿を求める歴史があると思う。江戸の文化は否定すべきものではなくてそこにはオリジナリティがあると思っているが、漢字の持つ文化的拘束ははっきりと切り離さないといけないだろう。特に儒教的なものは理解はするけれど、過去の袋に詰めて資料館に保存しよう。これからの中国を理解するには必要な辞書となるだろう。

もう一つ、エジプトの民主化問題の行き詰まりと中国の共通項は、軍隊がビジネスを支配していることにある。エジプトの軍隊がなぜあのようにクーデターを起こすかと言うと、軍隊が経済における利権を確保するためなのだ。

中国も実際に武装警察や人民解放軍が、表には出てこないけれどビジネスで金稼ぎをしている。彼らの利権が失われるような行動に対しては銃を向けることがありえる。エジプトに代表されるようなイスラム国家には少なくともそういう傾向がある。

中国を民主化するのは、その意味で軍隊の利権を保護することが前提になる。しかし、軍がビジネスを行なう事態が近代国家の軍隊ではないといえる。だから中国とイスラムは難しいのだ。どうしても伝統主義的な力が強くて、停滞する可能性が強い。500年たてば、歴史化されるだろう。

変な話、自衛隊がホテルを営業したり、観光業に手を出して、関連企業に投資などしていると創造してみてください。その収益で軍隊の整備を図るのではなくて、上のものが利益を分け合うのです。中世の傭兵ではないのだから、そういうこと事態が変だと思うでしょう。

アメリカもだんだんと口を出してわかる相手と、そうでない相手との見分けがつくようになって、財政も悪いから世界への支配的関係を縮小するでしょう。アメリカ軍の駐留をビジネスに考えれば、駐留経費の負担を求めて、世界の傭兵派遣会社のようになるかもしれませんね。日本はアメリカを傭兵として抱えていると思うべきでしょう。傭兵と言うのは、自分の兵隊の消耗をしないように第一に考えますから、尖閣諸島で実際に軍事行動に出るなどとはかんがえられません。むしろ日本はアメリカの傭兵を最大限有効に使うにはどうすればいいのかを考えるべきでしょう。