世界には経済高度成長と呼ばれた時期が各国にある。

以下はウィクペディアから。


各国の飛躍的な経済成長

経済の奇跡; 第二次世界大戦後から1970年代にかけての西ドイツ、オーストリアの経済成長

栄光の30年間; 第二次世界大戦後から1973年までのフランスの経済成長

メキシコの奇跡; 1940年代から1970年代にかけてのメキシコの経済成長

ギリシャの奇跡; 1950年から1973年にかけてのギリシャの経済成長

イタリアの奇跡 1950年代後半から1960年代にかけてのイタリアの経済成長

スペインの奇跡; 1959年から1973年にかけてのスペインの経済成長

漢江の奇跡 - 1960年代後半から1970年代にかけての韓国の経済成長

イボワールの奇跡 1960年代から1970年代にかけてのコートジボワールの経済成長

ブラジルの奇跡;- 1968年後半から1973年にかけてのブラジルの経済成長

東アジアの奇跡 - 1965年から1997年にかけての日本、香港、台湾、大韓民国、シンガポール、マレーシア、タイ王国、インドネシアの経済成長各国の飛躍的な経済成長。


日本は1955~73(昭和30~48)年の20年近くの間、中国と同じように10%以上の成長を続けた。これはドイツやフランスと同じ時期に起きた。

中国は1990年から2010年までが10%の成長を続けたといわれる。

今中国経済を見る視点が、日本のバブル期の経済と比較しているけれど、それはどうも違うと思い至った。

中国ははるかに遅れて、この世界の国々の高度成長期を経過したのだ。

1970年代に高度成長を終えた国の経済発展は、その後40年の歳月を経ていて、その勢いや右肩上がりの経済は過去のものとなり、なだらかな穏やかな経済活動に入っているのだ。

ロシアが、その意味でどの時期に高度成長を果たしたのかが、問題になる。1955年以降に一度達成して1980年代に、政治制度の行き詰まりから、20年間苦労して、やっと1990年代の規模に戻りつつある。

そういう意味で中国を、1990年までの日本のバブル経済と比較するのは意味がない。

むしろ、高度成長の内容が問題なのだ。

各国の高度成長期と比較するすべはないけれど、日本の1955年から73年にかけてならわかる。この時に日本はどういう政策をとってアメリカに次経済規模に達したか。

日本の歴史 現代編の「高度成長の経済と社会」を参照。 

http://www14.plala.or.jp/hiro_1/nihon/kindaigendai/015.htm

戦後10年を経て、60年安保を岸内閣で締結して政治を安定させた後に、池田内閣が

「所得倍増」をスローガンに経済成長を促進する政策をとったところから始まる。①工業用地造成や道路・港湾建設を進め、最新鋭の製鉄所や巨大な石油化学コンビナートなどを建設し、また「政経分離」の方針の下に中華人民共和国との貿易拡大をはかるために準政府間貿易(LT貿易)の取り決めを1962(昭和37)年におこなった。


1964(昭和39)年11月に成立した佐藤内閣は、は日韓国交正常化交渉の妥結を急ぎ、1965(昭和40)年日韓基本条約(にっかんきほんじょうやく)を結ぶ。

ここで大事なのは「所得倍増」政策が国民の所得の増加を目指して民需・民間企業の発展を目指した政策をとったことだ。

1961(昭和36)年に農業基本法を制定して農業構造改革がはかり、化学肥料・農薬・農業機械の普及で生産力を高め、食糧管理制度の下で米価が政策的に引き上げられる一方、農家の農業外所得の増加傾向が続いた。農業を犠牲にしない政策をとった。したがって40%の第一次産業従事者が10%台に減少して、産業労働者を創り出した。

さらに地域格差の是正をうたって1962(昭和37)年の新産業都市建設促進法で、指定区域の産業開発を計画的に進め、地方との格差是正を目指した。

それが十分に成果を上げたとは言いがたけれど、少なくとも政治の目線は国民に向けられていた。そして経済発展に伴って起きた公害に対しては、1967年に公害対策基本法を制定し、1971(昭和46)年に環境庁を発足させた。

少なくとも日本の20年間の高度経済成長時期の対策は、ドイツやフランスとも共通しているに違いないだろう。この時期北欧を中心にして福祉国家論が話題になっていたのだから。

この時期の高度成長を今、中国は遅れて、とてつもなく急いで必死にやってきた。その手法は国家主導の市場経済方式だ。ソビエトが社会主義的経済方式で失敗したからだ。同じ失敗を毛沢東は「大躍進」でしてしまった。さらに文化大革命で、経済は破壊されていた。

スタートラインは日本の1945年と似たようなものだっただろう。

鄧小平がかじ取りをしたのだ。その後反日教育を始めた江沢民に受け継がれた。

実質、江沢民と胡錦濤の20年が高度経済成長時期で、その時に国家資本主義的体制を作り上げた。

この時期の政策を詳細に調べる必要があるだろうけれど、日本と比べて農業を犠牲にし、公害対策も有効な手が打てないでいる。

単なる経済成長、それも日本のバブル経済のような様相と比較するのではなくて、それよりも一世代前の経済現象としてとらえると、その後の変化が見えてくるのではないだろうか。日本は高度成長を遂げて近代産業的福祉国家を形成中である。

1990年から2010年を「失われた20年」と呼称するのは間違いだ。

日本は1970年代から成長率は4%台に低下し、さらに80年代から2%程度で長く推移している。

問題は中国が、この20年間の高度成長期に国の土台、国民の暮らしの土台、インフラをどこまで整えることができたか、これから低成長時期になっても日本のように中間所得層を維持し、高齢者社会に対応できる仕組みを作れるかということになる。日本は高度成長から40年たって高齢者社会を迎えているけれど、中国は高度経済成長の終えんと同時に日本と同じ課題を抱える。さらに農業人口は以前高いままで、農業の高度化も住んでいないし、産業もここから停滞すると、農業人口を吸収できないことになる。また経済成長を導いたものが国家企業だから民間企業が育っていない。国内の消費需要をこれから創り出さねばならないのに、見てくれだけ良くても真の意味での中間所得層を生み出せないできた。格差が広がるだけだと、先進国型のGDPにするのが難しいから、やはりソビエト式の国家経済運営=統制的にならざるを得ない。

中国はバブル後の不良債権的な問題ではなくて、高度成長終了後の国の形の問題に直面するということだ。

捉えようによってはかなり深刻な問題だ。高度経済終了後、我々は豊かになった。福祉国家的に国民国家になっている。ソフトランディングしてもその先の道は我々より苦労しそうだと言える。

今まで、中国の今後をどう見るべきか、困惑していたが、このようにとらえれば、バブルがはじけるとかの問題とは全く異なる次元の問題が見えてきた。