高橋哲哉著「靖国問題」ちくま新書を読み始めました。

第1章感情の問題 において、「靖国j神社」が当時の人々にとって「生と死そのものの意味を吸収し尽くす機能」をもっていて、その「最終的な意味づけ」を提供したという。もし、「生と死そのものの最終的意味づけようとするものを「宗教」と呼ぶならば、靖国信仰は「お天子様」=「お国」を神とする宗教で、<天皇その人にほかならないとされた国家を神とする宗教>であると著者は読み解く。

ここに国家神道という宗教概念がの内実が示されるというのだ。


この「国」そのもを「神」と見立てて、その体現を「天皇」に見る=現人神。

天皇というのは実在の人間ではあるが「国家」という概念そのものを体現しているという見方ができる。


日本は明治維新で国家形成を急いだ。江戸時代には「国」とは「藩」であり、日本全国を統一した概念としての「日本国」はなかった。幕末に西欧と触れて、初めて「国家」意識が芽生えたというか、意識させられた。

近代国家の形成なくして「国民」概念、また「法治国家」や「憲政主義」や「自由」の概念は実態化されないのだ。

薩長による討幕が目指したものは、明確にこの「国家」の実現であったと思う。幕末期の西欧知識の吸収などから見て、封建的制度から統一的な「国家」の形成を意識させたのだと思う。

この「近代国家」形成の手段として「天皇」がその政治的な、また「象徴的な」役割をもたされた。

これと対比して考えられるのが中国であった。

中国は専制政治で清朝は本来なら「国家」意識を形成するに適した位置にあったのに、その後分解してしまう。これは清朝が国家ではなくて概念として「世界」であったのだと思う。イギリスはじめ西洋諸国に浸食されても「国家」が浸食されているという意識が薄かったのではないだろうか。


今もって中国は一つの世界という「夢」を探し求めている。

近代における実験を持っていた皇帝が、その近代国家の支柱にならず、実験のなかった天皇が「専制君主」であるかのような役割を持たされて、そこに日本という「国家」と「日本人」という国民と民族が誕生した。日本民族はその後であって古代より「大和人」であった。


この近代国家形成に天皇と靖国神社が、当時の帝国主義的世界観の中にあって、国民としての自覚とその「生死」の意味づけを積極的に果たしたと言える。

戦後、東京裁判による歴史の歪曲が、日本さまよってきたと言えるだろう。


私はA級戦犯問題は東京裁判の正しい扱いによって解決されると思う。まだ歴史はそこまで言っていないけれど、アメリカが原爆を落とした真の理由を公言する時期に見直されるだろう。

それよりも、「国」を神と見る我々の心にある宗教意識、明治維新においてそのようなことがなぜ問題なく当時の人たちは受け入れられたのだろうか。その根底にある日本人として出現した側の宗教心について考えてみたいと思うのです。


中国は「近代国家」の形成なしに、再び<中華世界>を持ち出している。

<近代国家形成>のプロセスと<宗教心>の根源とを合わせてみたときには、単純な政治対立の具にできない要素が見えてくるようにお目る。

この著書を読み進んだら、再び書きたい。


また小説「永遠の零」についての書評など見ますと、感動してる意見と、斜めに見ている意見とあるようですが、私は真摯な気持ちで向かい合う方がいいと思います。

ここでも触れたように当時の人たちにとって、「国家」というものが明治維新の当時と違って、ものすごい価値として国民に意識されているんですね。その過剰な「国家主義」を壊して、すこし冷静にさせた半世紀が過ぎて、いまわれわれの前に、「国家」を再び意識させてきたのですね。

私たち一人一人にとって、あなたの「国家」はなんなのかを問われているのではないでしょうか。

「故郷」はわかるのです。それは封建制度のもとでは「クニ」として意識されていましたからね。でも現代において私たちにとっての「国家」とは、あの戦争で若い人たちが命を懸けて守ろうとしたものと<違う>のでしょうか。

新しい<国家>、<国の形>を意識しないといけないのでしょう。そういう意味ではこの靖国問題も解決することがないでしょう。

外国に旅して、「日本」を意識しますよね。それはどうしてでしょうかね。